Episode22.
イルミさんが黙ってしまって、わたし、また困りだした。
こんなふうに、ひとところに留まっていたら、今度はイルミさんだけじゃなくてシャルナークさん達も来るかもしれない。あ、でも、一時的な興味とかだったら、もう怒ってどうでもよくなって、あのアジトってところに帰ってるかな。
「……あ、あの」
「何」
「シャルナークさんたちは――」
「おいてきた。関係ないんでしょ」
うっ。
ざっくり、云い切られちゃった。関係ないって云うなら気にするなってことだ。
それは当たり前のこと。だけど、気になったのは本当で……うわ、わたし、本当にだめだ。すごく自分勝手でわがままだ。
しょんぼり、うなだれるわたし。こういうの、じこけんおって云うんだよね。
「すみません」
「街はあっち」
そう云って、イルミさんはわたしを降ろしてくれる。
もう行きなさい、って、その動作が云っている。関わらないから、って、云っている。
嬉しいことのはず。もう迷惑かけなくてすむから。
でも、
「……はい」
ちょっとだけ、寂しい。やっぱり、わたしはわがままだ。
ありがとうございましたってお辞儀をして、歩き出す。ううん、それじゃ間に合わないからやっぱり足は前後に忙しく動かす。走り出す。
最後に振り返ったら、イルミさんはじいっとそこに立って、わたしのこと見送ってくれてた。
……それが、すごく嬉しかった。
「。最後にひとつ訊きたいんだけど」
も一度ぺこりと頭を下げたら、ゆらりと首をかしげたイルミさんが、風に乗っけてそう云った。
「はい?」
「君、あの門どうやって通る気」
…………
「あ。」
がくぜんと、つぶやいたとき。風がふわりと色を変えた。
「あ」
も一度同じ言葉。でも、理由は違う。
この風。夜みたいな色。静かな黒。わたしが思い出した風の色。――静かなそれは、
「……クロロさん」
だ。
「へえ」
感心したような声は、前と後ろからいっしょに。クロロさんとイルミさんが、それぞれに。そのあとイルミさんは口を閉じたみたいだけど、クロロさんは言葉を続けた。
「シャルたちには逢わなかったのか? 迎えに来たと思うんだが」
「いろいろあってね」
すごく曖昧な感じで応えるイルミさんに、わたし、少しびくびく。シャルナークさんたちのことで怒られるのはいいけれど、シャルナークさんたちが怒られるのはおかどちがいだから、もしそんなことになりそうなら、ちゃんと訂正しなくっちゃ。
でも、クロロさんはそれ以上訊いたりはしなかった。
その代わり、イルミさんに向けてた視線を落として、わたしを見下ろしてくる。
夜の暗さにもなれちゃったわたしの目は、真っ直ぐ、静かに、でもどこか遠くにあるようなクロロさんの目をきっとそのまま映してる。
そして、「まあいいか」ってクロロさんはつぶやいて、
「」
って、わたしの名前を呼んだ。
「…………」
。。、じゃなく、。
わたしの名前。。お父さんとお母さんがつけてくれた、お姉さんの名前から少しもらった、わたしの名前。
。
――。
。わたし。
心臓が、どきどきしてる。
何だろう。びっくりしてるよりももっと大きくて、強い、これは、――なんて気持ちなんだろう。
「違ったか? たしか最初に名乗ったとき、この発音だっただろう?」
ぎゅうっとおなかの底からこみあがってくる熱が、胸に溜まってく。これ以上あがっちゃうと、目の奥にあるもの押し出しそうで、一生懸命がまんするわたしが、おかしく見えたらしくて、クロロさんは不思議そうにそう云った。
違わない。
そのとおり。
じゃなくって、。わたしの名前。……わたしの、わたし。
どうしよう。
こぼれそう。
ううん、それより、先に。
「ごめんなさい、クロロさん」
謝らなくちゃ。
急に頭を下げたわたしを、クロロさん、ちょっときょとんとした顔になって見下ろした。
「何がだ?」
「わたし、お世話になってばっかりで、ちゃんとお返しも出来ないです」
「……別に構わないが。妙な文字も学べたし、暇つぶしにはなってる」
きっと本当に、そう思ってくれてるんだろうって、そのくらい、わたしにもわかる。
でも、わたしは、それが本当に申し訳ない。
「あの」
「うん?」
「マチさんに云われて」
「逢ったのか?」
「はい」
先にそれを云わなくちゃいけなかったのに。わたし、説明下手だなあ。
どういうことだ、って目で問いかけるクロロさんに、どうお話したものか考え込んだのが一秒か二秒。その間に、イルミさんが話し出した。
「君のところの、その、マチ? 彼女が、この子はオレや君のところに置いておくべきじゃないって云ってさ。それでこの子、ひとりで大丈夫ですって飛び出してきたとこ」
ついでに、と、付け加えがある。他にあったっけ?
「これはオレの不手際なんだけど――さっきこの子、散歩してたうちのじいさんに逢ってさ。それで中てられて、精孔開いちゃった」
「……」
あ。クロロさん、頭に手当てちゃった。
「波乱万丈だな。……同情する」
「…………あ、ありがとござい、ます?」
なんだか――どうしよう。
こんなふうに云われちゃうと。謝ってすぐ出てこうと思ってた気持ちが、しゅんってなっちゃう。『それでいいの?』って、さっきのイルミさんの言葉が、頭のなかでぐるぐるしてる。
でも。だけど、わたし、さっきシャルナークさんとマチさんに、ひとりでだいじょうぶって云ってきた。だったら、それ、ちゃんと最後までやらなくちゃ。女に二言はない、だもん。
だから、ちゃんと云おう、わたし。ここで、がんばらなくちゃ、この先だってがんばれない。
「マチさんが云ったんです。わたしは、クロロさんたちのところにいたら、壊れるって」
「壊れる?」
確認するように、クロロさんはイルミさんを見た。長い髪をゆらりと動かして、頷くイルミさん。
「それはよく判らないんですけど、でも、わたしはひとりでがんばれるようにならないといけないから、そういうことだったら、最初からがんばろうって思うんです」
「……どうやって」
「字、教えてもらいました。お話も、普通に出来ます。あと、ここのふもとに街がありますし、保護施設もどこかにはあるそうなので、そういうとこを頼っていったら、なんとかなるんじゃないかなって思うんです」
「ふうん。子供らしい発想だな」
「……」
うう。できっこないって思われてるのがよく判る。
……そんなことないよ。がんばれる。お姉さんだって、がんばった。
わたしはお姉さん以上にがんばらなくちゃ、お父さんとお母さんのところに、お姉さんよりずっと早いうちに帰らなくちゃ。
もう、わたしだけ、だもの。お父さんとお母さんの子供は。
お父さんとお母さんには、笑っていてほしいもの。
……知ってるんだ。
お姉さんのことを、少しずつ教えてくれるとき、お父さんとお母さんの笑顔が、少しかなしそうになること。
だからわたしは、お姉さんの分も。
お姉さんに出来なかったことを。
お父さんとお母さんに、笑っていてもらうんだ。
それは、ほんとなら、とても簡単なことだった。
わたしは普通に大きくなって、普通に学校へ行って、普通に誰かを好きになって、普通に結婚して、子供を生んで……それで、おじいちゃんとおばあちゃんですよ、って、お父さんとお母さんに。抱っこ、させてあげたい。
そして、いつか、お父さんとお母さんが死ぬ日には、ちゃんとそばで見ててあげるの。
お姉さんにはできないこと。
わたしができること。するべき、こと。
お父さんとお母さん。
わたしとお姉さんのお父さんとお母さん。
わたしが普通に生きていければ、お父さんとお母さんはきっと、普通に幸せに笑ってくれるんだから。
「だからわたし、いっぱい、がんばらなくちゃいけないんです」
「別にいいが」力むわたしを見下ろしたまま、クロロさんは云った。「その前にひとつ――そうだな、恩返しをしようという気はあるか?」
「はい!」
ちょっと拍子抜けしたけど、別に反対もされなかったから、返事する声には逆にどんっと力がこもってしまった。
もうきっと真夜中過ぎてるだろうのに、全然眠くならないのは、やっぱりこんなふうに気分がたかぶってるからかもしれない。でも、恩返しするならそのくらいでないと。
どんなことをしろって云われるのか、わたしは、じーっとクロロさんを見上げて待った。
「おまえの念を見てみたいんだ」
「わかりません」
「……だろうな」
わかってるなら云わないでほしいなー……
すぐに答えたわたしに、やっぱりすぐ応答したクロロさんは、「異世界人の念なんて貴重なんだが」ってつぶやいた。
「まあいいか。そのうち開発したら、元の場所に戻る前に見せに来い。――たまに誰かに様子を見にいかせるくらいならいいだろう?」
別に手助けなぞする気はないから、て、クロロさんは付け加えた。
「はい!!」
「さすが」
ぽつりとつぶやくイルミさんを、クロロさんはちらり。
「当人の意志は優先されてしかるべきだろう?」
「うん。それはそうだね」
ぽん、とひとつ手を打ち合わせて、イルミさんもわたしを見た。
「じゃあ、オレもたまには顔見に行くかも」
「あ、は、はい」
「門は、係の奴がいるから。待たせておくから、開閉は頼んで」
さっき見えた、怒ってたような風はどこかに行っちゃってた。
「ありがとうございます!」
だから、わたし、深くふかーく頭を下げて、今度こそ、ふもとに向かって歩き出した。
・・・・・・
「で、どうするの?」
「来る途中、賞金首ハンターを見かけた。目当てはここだろう」
「なるほど」
ていうか。
「クロロ、あの子で何をしたいわけ?」
「云わなかったか?」
生き延びてみろ。
生き抜いてみせると負った意気込み、それがどこまで貫けるか。
――どこが、その意志と手足の限界か。
それを、知れ。
知って、それでも折れぬなら、本物を持っているのだろう。
「……強いて云うなら、暇つぶしか」
「悪人」
「どっちがだ」
夜闇に溶けた小さな子供は さて、どこまで足掻くだろう。