Episode30.
白いお魚。骨のお魚。
それはたくさん、どこからともなくわいて出て、ふわふわと部屋のなかを泳ぎだした。
うちの一匹が、今目の前にいる大きな男の人の手のひらを、がぶって食べてた。
「あ」
血が出てない。あのときと同じ。
「……痛くねえな」
大きな男の人は、不思議そうに、ピンポン球くらいもってかれた手を見てつぶやく。それを聞いて、周りのひとたち「へえ」ってそれを覗き込んだ。
それを見て、わたし、気がつく。
この男の人も、クロロさんたちの仲間なんだ。わたしが、勝手に怖がっちゃっただけなんだ、って。
みんなの外側を、ふよふよ、お魚が泳ぐ。
「出血もないな。……じゃああれは別物か?」
クロロさんまで、そんなこと云って、ぜんぜん、けいかいとかしてない。
だから、わたしが、云わなくちゃいけなかった。
「逃げてくださいっ!」
「え?」
きょとん、として云うシャルナークさん。
どうして判ってくれないの。
勝手ないらいらに突き動かされるわたしの声は、もう、なんていうか、甲高くてむちゃくちゃだった。
「魚、人を食べるんです! ぱくぱく、血もなくて、でも、ごはんだって食べて、あの男の人たちもどんどん小さくなっていっちゃって、だから、このままだとみんなも笑うだけの小さい――」
ははははははははははははははは
「――っ、ぐ」
ごぼり。
また響きだした笑い声と、あのとき見てたものが頭に浮かんで、おなかのなかから熱い酸っぱいのがわきあがってくる。
「気を失うとまずいな」
ぎゅうと目をつぶったら、クロロさんがそうつぶやく声が聞こえた。
それから、ふわりって何かに包まれる。
「どれだけ喰えば消えるか判るか?」
「わかり、ません! 逃げてくださ……っ!!」
ばきっ。乾いた音。
「団長、こいつら一応攻撃は当たるよ」
平然としたマチさんの声。
「あ。だめだ。骨くっついて復活する」
「砕くだけ小型になて数が増えるね。性質が悪い」
のんきなシャルナークさんとフェイタンさんの声。
「おっと、おっとっと」
「もう。ウボォーは図体でかいんだからもっと端に寄りなよ!」
「押すな! そっち行ったら噛まれるだろうが!」
マチさんとウボォーさん。
――笑い声は、してない。
なんだか、みんな、のんきにしてる。
「……さてどうしたものかな」
一番のんきな声は、わたしの頭の上から。
「逃げてください、って、だから……!」
それでも、お魚がいるのなら、誰かが噛まれたら、そして食べられたら、またあの、――わらいごえ、が。
小さくなっていく、人の姿、が。
クロロさんたちが。
だめ。
なんとか、しなくちゃ。って、思って。わたし、包んでる何かからまず抜け出さなくちゃっ、って、じたばたした。
なのに、
「どうした?」
なんで、こんなに、のんきなの!
「お魚、あれ、危ないんです……!」
どうして出るのかわからないけど。
なんでここにもいるのかわからないけど。
あの骨の魚は、人を食べて小さくする。笑うだけの欠片にしちゃう。それはわかる。わたし見てた。
「逃げないと、みんな――!」
「あれが何なのか、おまえはわかっているのか?」
なんで、こんなこと、今訊くの!?
「魚です! 骨の!」
「そうか」
くくくっ、て、笑い声。
どきっとしたけど、あの男の人たちの声とは違う。
こわかったあれと違って、クロロさんのは、ちゃんと笑ってる声だった。楽しそう。
「シャル。フィンクス。フェイ。ウボォー。マチ。五秒だ。とれるか?」
「避けるだけならな」
あんまり広いってわけでもない部屋のなかで、軽い足音が絶え間なく鳴ってる。それと、今のやりとりは、みんながまだ生きてるってこと証明してた。
少し安心したわたし、そこで、やっと、自分が黒い布に包まれてるの気が付いた。
シーツじゃない。それに、全部が布じゃない。
何かに寄りかかるようにしてて、頭の上からは布なんだけど、すぐ前にあるのはちょっとかたい、あったかい、それに肩のとこに重みがあるし。――これって。
ずい。
横側の布をめくって、四角い板みたいなのが入ってきた。
「……?」
板じゃない。本だ。
少し入ってくる光で、表紙になんだか骨みたいな手のひらが描かれてるのが見えた。上に書いてある文字は、タイトルなのかな。こんな急に出てくると、今のわたしじゃちゃんと読めない。
「そこに手を当てて」
「そ、そこ?」
って、どこですか?
急に云われてしどもど。答えるわたしの頭を、ぽん、と。さっきまで肩の上にあった――クロロさんの手が、たたいた。
「手の絵があるだろ。そこに」
「あ、当て、て、何を」
「怖いものが消えるから。ほら早く」
「!」
魚が消える。
誰も食べられなくてすむ。
あんなこわい笑い声あげる、小さなかたまりにならなくてすむ。
そこまで考えてる途中で、もう、わたしの手は動いてた。がちがちに握ってた手を開いて、ばん! って表紙の手に合わせて押し付ける。
そしたら、
「あ」
すぅーっ、て、何かが抜けてく感じがした。
それと一緒に、
「おっ」
「消えた」
なんて声が布の外からして、軽く駆け回ってたような足音、ぴったり途絶えてた。