Episode32.


 落ち着いたから、ってことで、わたし、あのときの男の人たちがどうなってたのか教えてもらった。
 ……血まみれでぐちゃぐちゃで、なんだかもうなにがなにやらのとんでもないありさま、だったみたい。
 クロロさんがなんでもなさそうに話してくれるから、わたし、少し助かったような感じもするけど、でもきっと、普通の人には耐えられないくらいひどいものだったんじゃないかなって思う。
 なのにわたしが平気なのは、たぶん、小さくなってくとこを見てたから。笑い声を聞いてたから。なんだかそのあたりの記憶がクッションみたくなって、教えられる光景を少し和らげてくれてるみたい。
「――そういうことで、原因の検証をしたかったわけだ」
「…………」
 そして、わたしは、がっくり肩を落としてた。
「ひどい、です」
「教えたら出さなかっただろう」
「……」
 それはそうだけど。というか、出し方なんてわからないけど。
 最初、ウボォーギンさんの手についてた赤いのは、ほんとにトマト――というか、濃縮の野菜ジュースとかなんとかで、つまり、仕掛けで。わたしがそれを勝手に血だと思って、怖がって、それで、
「……あの魚、本当にわたしが出してたんですか?」
「他に誰が出す? あの小屋とここ、共通するのはおまえがいたということだけだ」
「……」
 それはそうだけど。
「まあ、それも二度とないだろう」
「そうなんですか?」
 はっきり云い切られて、それでもまだ納得しきれないでいたわたしは、クロロさんが付け加えた言葉を聞いて、きょとん。
「その点では安心しろ。――別の点では、苦労が倍増だろうが」
「え」
「あれはあの時点、そして今でもおそらく唯一のおまえが持つ武器だった。つまり、それなくして生きていかなければならないというわけだ」
「……」
 ちょっと考えて、
「それならいいです」
 って、わたし、答えた。
 軽く首をかしげるクロロさんへ、その理由を説明する。
「あれ、怖いから。いいです。使えなくて。……それに勝手に動いて、わたし、食べろなんて云ってないのに、あんなこと、――」
「修練を積めば、命令も出来たかもしれないな」
「……でもやっぱり、ああいうの、なんだかわたしのっていうのは違う気がします」
「突発的に出たのならしょうがないさ。素養があってよかったな」
「……」
 念、の、素養らしい。
 なんでも、それを使えるようになるには訓練が必要で、わたし、そこの条件をクリアしてたみたいなんだって。たぶん、お山での修行がそうだったのかなって思う。
 そしてよく判らないんだけど、イルミさんちで逢ったおじいさんから感じた熱にも影響を受けて、で、命の危険を感じたのがとどめだった。らしい。
 ――よくわかんない。
 魚を出したのはわたしで、あれはわたしの力なんだって云われて納得できないのも、そういった理由があるからなんだと思う。
 微妙な表情になっちゃったわたしを、クロロさんはちらりと見た。
「この字は?」
「あ、『うみ』って読みます」
「うん」
 ここは、わたしが魚を出した部屋――の、隣の部屋。いるのは、ベッドの上で体操座りしてるわたしと椅子に腰かけてるクロロさん。
 フィンクスさんたちは、わたしの着替えを用意してくれるって云って出て行った。用事があるからまた今度、っていうウボォーギンさんとシャルナークさんも行っちゃったけど。マチさんは、選ぶだけ選んだら先に帰ってくるんだって。ご飯をつくってくれるって。
 そしてクロロさんは、見てのとおり、わたしの持ってた教科書を読んでる。
 ひらがなとかたかなは、この間こっちの世界の文字と交換したけど、漢字まではさすがにできてない。だいたい、漢字って数が多すぎると思う。なんでも、わたしが訓練してる間に、置いてった教科書開いてみたけど、漢字でつっかかっちゃったんだって。
 うん、それは、困るよね。日本語って、難しいんだなあって、思う。
 そんなふうに本を読みながら、クロロさんはわたしと話をしてくれてる。集中してるからどこか上の空みたいだけど、話はちゃんと通じてる。けど、なんだか、いつもというか最初に逢ったときのどこかすごい感じが薄くなってて、……話しやすい、そんなふんいき。本のほうに意識の半分以上もってってるからかな。あ、髪の毛おろしてて、やわらかい感じになってるせいも、あるかも。
 こっちのほうが、好きだな、わたし。
 でも団長さんとかしてると、びしっと決めてなくちゃいけないのかもしれない。
 あれ? じゃあ、今はどうして、髪の毛おろしてるんだろう。今は団長してるつもりじゃないのかな。
 なんとなく、黙ったまま、わたしはクロロさんを見た。

 みんなの団長さん。
 盗んだり殺したり、してる人。
 誰かのものをとったり、命をうばったり、してる人。

 ……ああ。でも。

 ははははははははははははははははははははは

 これから先、一生、消えることないだろう笑い声を、思い出す。
 あの人たちを食べた魚をわたしが出したのなら、わたしも同じ。

 わたしがあのひとたちを殺したんだ。

 わたしが、人を、殺したんだ。

 わたしは、――お父さん。お母さん。お姉さん。帰っても、いいのかな。
 人殺しって、怒られるかな。怒ってくれるならいいけど、嫌われて、話もしてもらえなくなったりするのかな。
 お姉さん。戦争とかに参加してたこともあるって、ノートに書いてた、お姉さん。お姉さんも、そしたら、誰かのことを殺したりたりしてた?

 ――戦ってたお姉さん。強いんだなって、ただそれだけ思ってたけど。
 ねえ。
 お姉さんは、どんなこと考えた?
 こわかった?
 つらかった?
 どきどきした?
 すきだった?
 きらいだった?

 わたしは、
「…………」
 ぎゅう、と、膝を抱える腕に力を入れた。

「怖いかな」
「え」
「オレたちが怖いか?」
「あ、いえ」

 違います、って、それはすぐに云えた。本当のことだから。
 そんなわたしを見て、クロロさんは、ちょっとだけ口元を持ち上げて、たぶん笑った。
「殺しは怖いか?」
 訊いてくる言葉の裏側を、たぶんすごくわかりやすくしてくれてるんだと思う。
 動物や植物。そういうのを殺してご飯にしてるのに、人間を殺すのだけ特別に嫌う理由はあるのかって、訊かれてる。
 ……お山では、そういうお話も聞いた。
 だから感謝しなくちゃいけないって教えてもらった。
 動物や植物を食べてわたしたちは生きてくから、生かしてくれるものたちにありがとうっていつも思っていなければ、食べられたものたちの意味がなくなるからって。
 だから――
「意味が、ない、からです。あの人たち、死んだの。あの人たちが、生きて、つくる意味を、わたしが」
「意味ならあるさ」
 目の前に落ちてきた前髪の半分くらいをかきあげて、クロロさんは――笑った。
 口元だけじゃなくて、目も。にこり、って。
「おまえが生きた」
「……生きてても」
 ここで。この世界で。ぜんぜん関係のなかった場所で。
 それでも関わった人たちがいる、ここで。
 関わった人を、殺してしまって、それでも。
「いいのかな」
「生きてくれないと困る」
 折角盗った能力が使えなくなるし。って、クロロさんはつぶやく。
「……」
 それが、あの魚のことで、きっかけはあの本かなって思ったけど、わたしはとりあえず、何も云わないことにした。
 だってクロロさん、盗む人たちの、みんなから、団長って呼ばれてて。 
 だからそれは、クロロさんには、当たり前のことで。……殺すことも、当たり前の世界の人で。

 殺すって言葉は、とても怖い。
 そう云った人が何かの命を奪うってことだから。

 でも、
「……クロロさんたちは、怖い人です」
「さっきと云ってることが違うぞ」
「でも怖くないです」
「どっちだ」
 ちゃんとお返事してくれるクロロさんを見て、わたし、少しだけ笑えた。顔の筋肉、自分で考えないうちに、ふわーってなってた。
「わたし、誰かを殺すの嫌です」
「一度やったのに?」
「一度やったから。嫌です」
 あの魚を使うのも、自分でやるのも。わたしが、そうするっていうのはきっと変わらないんだ。
「誰かが誰かを殺すのも、嫌です」
「それで?」
「目の前で、そういうの、あったら、泣きます。きっと。吐いたり、わめいたり、します」
「うん」
「そういう、迷惑ばかりの、困ることしかしない、子供が、ここにいて、いいんですか?」
「団員同士のマジ切れ禁止」何かを読み上げるみたいに云う、クロロさん。それが教科書の文章じゃないのは、すぐ判った。「ここでそれを見ることは、ないよ」
 だから、と、続く言葉。
「自分が与えるものが迷惑ばかりでないことくらい、気づけ」
 お魚の念。
 それはたぶん、クロロさんが役立つように使うために、持ってった。
 それはたぶん、迷惑というものじゃ、ない。みたい。

「……」

 深呼吸。
 何度か息を吸って、吐いて、そしてわたしは、決めた。
 こんな子でも、異世界でも、きっとこれからも迷惑かけどおしかもしれなくても。それだけじゃないって云ってくれる人がいるなら。

「わたしが生きてけるようになるまで、ここで、いろいろ、教えて、いさせて、ください。それは、あのお魚と引きかえに、できますか?」

「ああ」

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