Episode38.
倒れた。もう、もんどーむよーに、ばったり倒れた。
マチさんは距離を測ってたみたいだけど、わたし、そんなの確認する余裕もなかった。
「おっと」
ふらっと足をもつれさせたのが最後。
そのまま地面に顔から落っこちそうになったわたしを、振り返ったマチさんが受け止めてくれる。どうしようってちょっと思って、結局お世話になることにした。
全体重かけちゃっても、マチさんはびくともしないで笑ってる。
「うん。なかなかやるね」
「……ど、どれくらい、でし、た?」
話す合間に、息、ぜーぜー。
「糸計ってみないと判らないけど――まあ、60キロくらいかな」
あ。
どうりで、お日様の位置ずいぶん違うと思った。
それに、記録更新、かも。
糸ってなんだろう、ってちょっと思ったけど、嬉しい気持ちのほうが先に大きくなった。
42.195キロ以上目指して走ったの、初めて。笑って走るのは無理だったけど――いつもゴールがこの距離って決めてたし、こんな倒れるくらい疲れる前に止めてたから、それより多くは試してみなかったせいもあって。うん、まず、42.195キロっていうのを走りきれたのが嬉しい。
……だけど、マチさんは息一つ乱してない。ちょっと悔しい。
身体の大きさも違うし、歳だって違うし、それは当たり前なのかもしれないけど、……いつか、わたしも大きくなったら、同じくらい走れるようになるのかな。
ああ、早く大きくなりたい。
自分のことを自分でできるって、ちゃんと、周りの人たちに納得してもらえるくらい。
なんて決意をぎゅっとしてたら、
「うちの基準には全然足りてないけどね」
マチさんは、無情にもそう追加してくれた。
「うう」
がっくり崩れるわたし。でもマチさんがいるから倒れない。
あ。わたし、汗臭いかも。平気なのかな?
「――でも、成人と子供を比べてもねえ。これからに期待てところか」
「期待、ですか?」
「そう。将来に期待」
「……将来」
将来かあ。
オウム返しにつぶやいて、わたし、ちょっと口ごもる。
マチさんの云う将来は、わたしの思ってた将来と、きっと全然違うもの。だって、だって、小学生が42.195キロ走ってもまだ足りないって云われる、そんな将来だよ。
……ちょっと怖くなってきた。
お姉さんも充分、なんていうのか、とんでもない世界に行ったらしいけど、こっちもこっちで、今さらだけど、本当に、とんでもないのが常識なのかもしれない。垂直とびで50メートル出せとか! 無理。無理無理、絶対無理。
「何、百面相してるのさ」
「いたっ」
額にぺちっとマチさんの手のひら。
「息が整ったら次やるよ」
「あ、はい!」
ちょっとたしかめる。うん、呼吸はもう平気。
立ち上がったわたしを見て、マチさんは少し考えるように、顎に指を当てた。
「あんた、もう念は使えるんだっけ?」
「……」
出た。念。
なんかよくわかんないけど、あの魚のこととかあるし、風もそうだし、きっと大事なものなんだろうなってもの。使えるようになるきっかけとかっていうのもやっぱりわからないけど、魚が念で出たものでそれをわたしが出したってことは、使えるようになってるって云ってもいいのかもしれない。
でも、
「よくわからないです」
答えはやっぱり、これしかなかった。
中途半端に頭をかたむけるわたしを見て、マチさん、ひとつうなずく。
「だろうね。――じゃあ……なんか判りきってるけど、まず形から入ろうか。水見式、やってみるから」
「みずみしき?」
「念能力にもいろいろ系統があるんだよ」
って云いながら、マチさんは持ってきてたらしい水筒からコップに水を注いでる。それから、「ノブナガ! 眺めてる暇があるならそこらの葉っぱとってきな!」って怒鳴った。
「え」
ノブナガさん。わたしがここにいるの、あんまりよく思ってない一人。
み、見られてたんだ……!?
「おー」
びっくりしてると、――たんに、わたしが気づいてなかっただけみたい。ていうか、気づくの無理。近くのぼろぼろなビルの窓から、ひらり、着物ひるがえしてノブナガさんがおりてきた。
足音軽く、着地。手には一枚の葉っぱ。……雑草だ。
それを持ったまま、ノブナガさんはぶらぶらとこっちにやってくる。
わたし、思わず身構える。
や、えと、だって、ほら。好かれてないの、知ってるし。
でも、
「がんばるな、おまえ」
ぽん、て、ノブナガさんはわたしの額を手でたたいた。
え。
なんでいきなり。
ぽかんとしてると、ノブナガさんはわたしを覗き込んでクエスチョンマーク。
「どうした?」
「いきなり豹変してりゃ驚くに決まってる」
その後ろ頭をはたいて、マチさん。
「んー? いやいやいや」
ぜんぜんこたえたようすもなく、ノブナガさんは、わたしを見たままにやりって笑った。
「まだちまっこいし女なのにな、倒れるまで走るって根性はなかなかだ」
「……そ、そ、ですか?」
「ちょっと頭の利く奴なら、倒れる前に止まるだろ」
「は、はあ」
「おまえは倒れるまで走った。つまり頭が利いてない。要するにバカってこったな」
「え」
ちょ、ちょっとそれはひどい…!?
「限界を省みないバカは好きだぜ」
はっはっは。
明るく笑うノブナガさんに、ちょっとくされかけたわたしの気持ちはすぐ持ち直した。
「あ、ありがとうございます!」
好きって。云ってもらうの、嬉しいこと。
勢いいっぱい頭を下げたら、また手が伸びてきて、わしわしわしってなでられる。
まあいいけどねえ、って、マチさんがつぶやくのが聞こえた。