Episode42.
どうして怖がるんだい?
椅子に反対向きで座ったヒソカさんが、そう云った。
きっと、アリスのチェシャ猫みたいなあの笑顔で、じいっとわたしを見てるんだ。本当なら、話しかけられてもお返事しちゃいけない。
纏の修練って、いつもお山でやってたのと似てるけど、あれよりもっと、自分の流れを強く高めてふわーって持っておかなくちゃいけない。周りの風を感じるんじゃなくて、より、自分のことに集中しなくちゃいけない。
でもやりすぎると、深く深く、深くに意識が沈んでいって、ふくらんでく自分の風に限度がなくなっちゃって、あっという間に体力使い切って倒れちゃうから、そのへんの調整が大事で難しい。
だからお返事するひまがあるなら、ちゃんとそれを自分で管理しないといけない。
――いけないん、だけど。
話しかけられてお返事しないのは、失礼で。ヒソカさんは、お世話になってるところの、お世話になってる人たちのひとりなんだから、もっと失礼が過ぎると思う。
だから、わたし、ふくらませてた風――いやいや、念を戻して目を開けて、ヒソカさんのいる方を振り向いた。
……う。
きゅうっと細くなってるヒソカさんの目は、やっぱりわたしのことじいっと見てた。
なんで、あんなふうに見るんだろ。
……あの小屋で逢った、男の人たちくらいって云ったら失礼だけど、あれくらい鳥肌立つものじゃないけど、なんだか似てる気がする。
同じクラスの男の子。
アリの巣に水流して、おぼれるの笑って見てた男の子。
……ヒソカさんにとって(あの男の人たちにとっても)、わたしは、蟻みたいなものなのかもしれない。
その気になれば、水なんて使わなくても、足をちょっと踏み出せば潰せちゃうくらいの、小さくて軽い命なんだって思ってるのかもしれない。そして、それは、本当のことだと思う。
あのお魚がなければ、わたし、あそこで死んでいた。
そして今も、ヒソカさんがちょっと手を動かせば、わたしの首なんてきっとすぐ持っていける。
痛みは、あるのかな。
ううん。痛くなくても、それは、いや。いやなんだ。
わたし死にたくない。
だからああいう目の人は、近づきたくない。
――ころされるの、いやだから。
ご恩は、大事だけれど。わたしは、わたしの命も大事。
ヒソカさんは何も云わない。
ただじっと、あの目でわたしを見て、わたしは、その目を見返してた。
ふたりだけだから、マチさんが隠してくれたりはしないから、誰かが話しかけてヒソカさんの目を逸らしてくれたりはしないから――ただ黙って、見てた。
いつの間にか、少しだけ、後ずさりしたい気持ちがおさまった。
それを見計らってたみたいに、ヒソカさんが今までと反対方向に首をかたむける。
「ボクを怖がるのはどうしてだい?」
同じ質問。
「ヒソカさんに、潰されそうな気がするんです」
「ひどいなあ♠」
くつくつ。ヒソカさんの笑顔は変わらない。
「キミはまだまだ小さくて弱い。ボクが手を下すまでもないのに◆」
「……でも、潰すことは出来ると思います」
「――」
ぱちくり。細っこい目が少し丸くなる。
ヒソカさんの表情を少し、わたしが変えられたってこと、たぶんちょっと嬉しい。だから、調子に乗ってるかもしれないけど、言葉を続けた。
「殺すって、おおきいことだと思うんです。でも、たとえば、そのへんのアリとか小さい昆虫とか、そうしようって思わなくても、人間て、ただ歩いてるだけで潰しますよね。それは、殺すんじゃなくて潰すことで」
「……」
ヒソカさんは、だまってわたしの言葉を聞いてくれてる。
「……わたしはヒソカさんがそうしようって思ったら、すぐ、そうなるくらいに、力がないです。だから、ヒソカさんがこわいって思います」
「それはここの全員同じじゃないのかなあ♣」
「いいえ」
首をふるふる、左右に動かす。
……云っていいのかどうか、少し迷った。
でもたぶん、云ってもいいんだって、思った。
迷惑だけじゃないってクロロさん、何かって触れてきてくれるマチさん、静かに見てくれてるパクノダさん、嫌いを好きに変えてくれたノブナガさんや、最初から何かと気にかけててくれたフィンクスさんとシャルナークさんとフェイタンさん――他の人たちのことはまだ、よく、知らないけど。
でも。
少しだけ。
生まれた気持ちは、自信、なんだって思う。
「きっと――潰しそうだって気がついたら、足、止めてくれると思います」
きっと。
生かしてやろうってほど、手間かける気はなくても。
死なすのは待ってやるよって。云ってくれてるって、思うんだ。
…………その笑顔を。
クロロたちこそが、見るべきだったのではなかろうかと。
その瞬間は娘への嘲笑と彼らへの哀れみを伴って思い。
ずっと後には勿体無いとただ思った。
その変化に気づいたころには、まったくどういうことだろうと、彼は首をひねったものだった。
くつくつくつ。ヒソカさんは笑う。
「大した自信だね♠」
「勝手に思ってるだけなんです」
もし間違っていたら。足を止めてくれなかったら。そうしたら、そのときは、わたしはわたしが潰されないようにがんばって。がんばってがんばって――だめだったら、いやだけど、くるしいけど、かなしいけど、そういうことだって受け止めよう。
がんばってがんばってがんばって。
それでもどうしようもないことがあるって、わたし、知ったから。
わたしだけじゃだめだった、ここに来てからのいっぱいの出来事。それでもわたしがここにいられるのは、手を貸してくれたりきっかけをくれたりした人たちがいたから。クロロさんたちが、いたから。
……だいじょうぶ。
がんばってがんばってがんばって。
わたしはわたしの力を尽くす。
だからきっとだいじょうぶ。
わたしがそんなしてるのを、クロロさんたちが面白いとか、見てるの飽きないでいてくれるうちは、きっと、わたし、だいじょうぶ。足、止めてもらえるって思う。
うん。
わたし、少しだけ、だいじょうぶになったかもしれないよ――お父さん、お母さん。……お姉さん。
なんて、思ってる矢先。
「、調子は――って! やっぱりヒソカいるし!!」
「えっ!?」
「♠」
ほとんど足音も立てないで駆け込んできたマチさんが、なんだか怖い顔して、座禅組んでたわたしを床からすくいあげて持ってった。
同時にやってきたパクノダさんが、ヒソカさんに、わたしに何か変なちょっかい出さなかったでしょうね、なんて訊いてた。
……もしかしてヒソカさん、あんまり信用されてない?
細くて、でもしっかりしててあったかいマチさんの腕の中、何もなかったですって本当のことを云う前に、わたし、少しだけそんなこと考えてた。
その1、おしまい。ここで一息、一区切り。