Episode46.

「子供は難しいな」
「どこの親父ね、団長」
 ぼそりと呟くクロロを見るフェイタンの目は、普段以上に細められて呆れかえった色を宿している。
 それもそうだ。天下の幻影旅団の頭目が、子育てに悩むヤングパパ的発言を至極真面目な顔――いや、彼はもともと表情をあまり動かさぬ『団長』ではあるのだが――をしていれば、呆れるなというほうが酷だろう。
「人殺しを怖がるのが問題なら、ワタシが暫く預かてもいいが?」
 二、三日も彼の愛用部屋に突っ込んで、いつか、その例の子供に答えた趣味を終日見せておけば少なくとも『光景』には慣れるだろう。
 なんなら実践させてもいい。精神壊れるかもしれないが。というか確実に壊れるが。
 半ば冗談めいた気分で云うフェイタンだったが、そこでクロロが改めてこちらを振り向いたもので、逆に疑問符を浮かべてしまう。
「何か?」
「……いや。云い忘れていた」
 何を?
「アジト内で――というか、の目に入る場所での殺しは禁止だ」
「は?」
「約束したんだよ」
「はあ」
 別にいいが。
 くだんの愛用部屋は、が普段足を向けないような場所にある。行こうとしても、マチあたりが止めるだろう。
 それにここ暫く、フェイタンはアジトを離れていた。だからあの部屋は使っていないし、今日も少し立ち寄ったくらいで、数日したらすぐに発つ。旅団だからとて、そう年がら年中全員が一箇所だとか近場とかにたむろっているわけではないのだ。

 ……そういう意味では、修練のためもあるとはいえ、クロロがを始終身近に置いているのは珍しい。

 仕事中、団員が一同に介していれば(数名の場合でも)、その一部は常に団長の傍にいる。あまり意味のないような護衛のためでもあり、仕事中の不慮の事態に備える補欠という意味もある。単に余っているだけのときもある。
 だが、仕事でもないのに団長の傍に常に人影があるというのは、珍しいことだった。
 夕刻に立ち寄ったフェイタンが建物の入口に立ったとき、今までは誰が出てくるということもなかった。仮に誰かが中にいてもだ。出迎えをするような酔狂な人間は、彼らのなかにはいない。
 だから、いつものとおり勝手に建物の中へ入ろうとした矢先に聞こえた、駆け寄ってくる足音。それは、脅威ではないものの不意打ちめいたものを感じたのは否めない。あまりにも小さくて力弱い音と気配で、それの正体はすぐに判明したのだが。

 フェイさん、

 と、姿を見せた子供は云った。

 こんにちは!

 曰く、基礎体力と念の修行を終わらせた直後だったらしい。
 汗だくの身体と、疲れきったオーラ。それでどこから顔面の筋肉を動かすような力を出したのか判らないが、今ともなっては見慣れた気もしてしまう、遠慮がちでどこか構えた笑みを浮かべて、子供は云ったのだ。
「……こんにちは、と、云われたよ」
に?」
 フェイタンのつぶやきを拾って、クロロが問う。返すは首肯。
 他に誰がいるというのだろう。
 のほほん、と、そんな挨拶を向ける人間は、だなんて。ここの誰に訊いたところで、返ってくる答えはきっと同じだ。
 という名の本当に小さな小娘。
「あれの程度はどうなてる?」
「それなんだ」
 水を向ければ、クロロは呆れを交えて苦笑した。
「素質は申し分ない」それは、贔屓なしの賛辞だ。「体力面にしても、マチの出す課題はクリアしている。一朝一夕がなくても、あれは、少しずつ積み上げて成功するタイプだな。大器晩成型だろう」
 だが、と、続いた言葉は否定。
「念のほうがな――」
「うん?」
「ムリもないと思うけどね」
 クロロの言葉を奪って、戸口の方から声がした。
 ばらつき感のある、けれどもやわらかめの髪を頭の上部でくくった女性。要するにマチだ。
 ……の着ている衣装は彼女が見立てたものが多く、故に、ジャポン式のものが多い。それでふたり並んでいると、まあ色彩の違いはあれど姉妹に見えないこともなかったりする。
 実際、マチはにとっていい姉役なのだろう。彼らの中では誰よりも懐かれている。
 ――――その手を完全に預けることはしないままのようだが。
 誰が見ても明らかな、それは、遠慮というものなのだろう。
 過去に何かあったのだろうかとさえ考えさせる。強い遠慮は拒絶でしかないのだが、性質の悪いことに、あの娘のそれは強くない。だが頑なだ。
 こじ開ければ壊れるだろうか。
 悲鳴をあげて泣き叫ぶだろうか。
 ……そしてすがるだろうか。何にはばかることもなく。
「人を殺したの、あれが初めてなんでしょ? もともと平凡に暮らしてたみたいだし、そのきっかけになった能力を――念を、恐れるのは当たり前だよ」
「勿体無いな」
 ふう、と、少し不貞腐れたように応じるクロロを見て、フェイタンとマチは顔を見合わせる。
「旅団のメンバーにしたいの?」
 今はメンバー数がフル充填だ。不足しているわけでもなし、むしろ結成時に比べれば増加している。
 それでもいつか、うちの一人が欠けるようなことがあれば、この団長は、あの娘にナンバーの入ったクモを背負わせるのだろうか。
 が、
「要らん」
 あっさりと、クロロはその懸念を粉砕した。
「あんなもの組み入れておいても利点なんかないだろ」
「……じゃあどうして手許においとくのさ」
 いつかの問答を思い出しながら、マチはぼそりと半眼でつぶやく。
 まれにも見せない熱心さでの上達を指導しているのは、戦力とするのでないなら何が目的だというのか。彼らの付き合いはけっして短くない。だが、この団長が何を考えているのか――旅団の誰もが、それを不可思議で見えにくいと感じることもまた多い。

 ――それは今、このときも。
「本物だから、かな」
 くつ、と口元を弛めて答えるクロロは、マチとフェイタンの、キツネにつままれたような表情もそっちのけの態で、続けて一言だけ告げた。

「偽者を追いかけて壊れかけてる本物だ」

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