Episode48.

 ……どれくらい移動したんだろ。
 歩いて、電車に乗って、また乗って、乗りかえて、バスにも乗って。朝出かけて着いたのはもうお昼過ぎ。そして着いたのは、ちっちゃいお店だった。えっと、子供服とかそういうのが、いっぱい飾ってある。赤ちゃんが着そうなのから、わたしくらいの歳の子でも着れそうなのまで。
 そのお店の中に入ってすぐ、パクノダさんは、わたしの手を離した。
「じゃあ、好きなのを見ていてちょうだいね。すぐに戻るわ」
 にっこり笑ってそう云って歩いてく後姿を見てると、奥から出てきた店員さんをつかまえて話しかけて――あ、裏のほうに行っちゃった。
 えと。
 つまり、こういうお店に来る理由、だったのかな。
 パクノダさんみたいな人が一人でこういう、子供服のお店に来ると不自然だから――とかかな?
 うーんでも、それなら普通に店員さん用の裏口から入れば別に、表のお客さんのこと気にしなくてもいいと思うんだけどなあ。……裏口から入ってもだめな理由とか、あったのかな?
 ずらーっと並んでるお洋服を、ふらふらーって眺めながら、わたしはそんなことを考える。
 だって、お金とか持ってないから本当に見るだけ。かわいいのとか、きれいなのとか、特に目につくのを適当に引っ張って、手触りなんかたしかめてみる。ふわふわのセーターとか、ひらひらのレースとか。
 違う世界でも、こういうのってけっこう、いっしょなんだなーって思う。
 あんまり女の子らしくてかわいいのは、特別な行事のときしか着ないってこともあるから、そういうののたびに、お店に行ってたっけ。どんどん大きくなるから、お洋服もどんどん入らなくなるわね、って、お母さんが云ってた。
 普段着は、お母さんが作り直してくれたりしてまた着れるけど、特別なお洋服だけは一年に一回使うかどうかだから――そう、最後に一緒にお店に行ったのはいつだったかなあ。

 ……また、お母さんと一緒に、お買い物に行けるかな。

「――」

 ううん。行くんだ。
 行けるようになりたいから、わたし、がんばってるんだもの。

 殺す、人たちのところで。
 力を。強くしようって。
 殺す、ちからを。

「――」

 決めたじゃない、帰るんだって。
 なのにどうして、わたし、いつまでもこわがってるの。

 ――念のお魚。白い骨。

 食べた。殺した。

 わたしが。生んだ。お魚が。

 わたしが、つくった、力の形は。
 殺す形。

 殺す気持ちを出したくせにどうして今ごろこわがって――

「お、お嬢さん。品物をあまり強く握らないでくださいね?」
「……え、あっ!? す、すみません!!」

 気がついたら、横から店員さんが困った顔してわたしを、ううん、わたしが握り締めてたお洋服を見てた。
 あわてて手を放したけど、遅かった。握ってたところがすっごいしわくちゃになっちゃって、これじゃ売り物にならないってことすぐに判る。
 ど、どうしよう。
 だめにしちゃったんだから、弁償しなくっちゃ。で、でも、お金、持ってない。
 こ、こういうときって、こういうときって、いくらなんでもお姉さんのノートには、って、――荷物になるから置いていきなさいって云われて、そういえば……っ!!
「ほっほっほ」
 じんわり涙がにじんできたとき、のんきな、笑い声がした。
「よっぽどその服が欲しかったんじゃろうて。どれ、ワシが買ってやるからの?」
「え、えっ?」
 近づいてきた笑い声の人が云ってる言葉は、た、たぶん、わたしと店員さんとお洋服のことでだと思う。
 で、でも、わたし、その声の人知らないっ。
 イルミさんちで逢ったおじいさんより年上のおじいさんの声。だからあのおじいさんじゃないし、旅団の人にも全員逢ったから、そっちでもない。そしたらわたし、これ以外、ここじゃそんな年上の知り合いっていないし、も、もしかして誰かとかん違いしてたりする?
 あわわ。あわてて振り返るわたしのほうに、声の人――おじいさんは、真っ直ぐ歩いてやってきた。
 着物みたいな服着てて、ちょっと高い下駄。にこにこしてる笑顔は、見ててほっとしちゃう。
「まあ。お孫さんですか?」
「ほっほっほ」
 同じように、しわになっちゃったお洋服のことでほっとしたらしい店員さんがそう訊いて、おじいさんは声をたてて笑う。
「おいくらかの?」
「2000ジェニーです」
「うむ」
「お包みいたしますか?」
「そうじゃのう。かわいらしく頼むぞい」
「かしこまりました。ではお先にレジの方へお持ちしておりますね」
 にっこり、にっこり、店員さんとおじいさんは話をして、わたしがしわくちゃにしたお洋服は店員さんの手にとられて、レジのほうに――
 って!
「え、えええっ!?」
 ぼ、ぼーっと見送ってる場合じゃない!
「ちちちち違――」
「ほっほっほ」
 急いで店員さんのごかいをとこうとして、走り出したわたしを、おじいさんがむんずってつかまえた。
「まあまあまあ。別にとって食いやせんよ」
「そ、それはおいといて、です! わた、わたし、たち、初めて逢いますよね!?」
「そうじゃのう」片手でわたしの襟をつかんだままのおじいさん、空いたほうの手でおひげをしごいてそらっとぼける。「こんなかわいいお嬢さんなら一度逢ったら忘れんし。初対面なのは正解じゃな」
「な、なのにどうしてお洋服……っ!?」
「ワシゃ、子どもの泣き顔は好きくなくての」
「……え」
 考えもしなかった答えに、わたし、身体の力が抜けた。
 きょとん、と、おじいさんを見上げたら、おじいさんは「ほっほっほ」ってまた笑う。
「そこから外が見えるじゃろう。散歩しとったら、えらい悲痛な顔のおまえさんが見えての。どうしたんじゃろうかと思っておったら、さっきのあれが見えたんじゃよ」
「……ひ、ひつー?」
「ものすっごい泣きそうな顔だった、ってことじゃの」
「……あ、あうう」
 自分がどんな顔してたかなんて、わかんない。
 わかんないけど、そう見えたってことはそういう顔、してたんだと思う。
 だって、ぐるぐる、ぐるぐる、考えてばかりで。出口、見つけきれないまま、同じところまわってばっかりで。
 帰りたくて。
 強くなりたくて。
 そのためには、がんばらなくちゃいけなくて。
 でもがんばることは誰かを殺す力を育てることで。
 殺す人たちのところで殺す力を育てるわたしは、殺すことなんて嫌いなくせにもう誰かを殺すってことをしてしまってて――
「――あ」
 わたしの手をつかまえてるおじいさんの手は、あったかい。
「ん?」
「わたし」
 そういえば、って、思った。
 わたし、ここ来てから、クロロさんたちとイルミさんたちの、他に、人と逢ったのこれが初めて。すれ違ったり、とか、したかもだけど。こんなふうにお話したの、初めてだ。
「わたし」
「うんうん?」
「わたし……っ、ちゃんと、あったかい、ですか?」
 だから、思わず、訊いちゃった。
 そうしたら、おじいさんは、ちょっと不思議な顔をした。それから、何か考えるみたくして天井を見たあと、
「うむ」
 ってうなずいた。
「――」 
「おや」
 泣き顔が好きじゃない、って云ったおじいさんは、
「よしよし」
 急に泣き出しちゃったわたしの頭を、ぽんぽんって撫でてくれて。だから。
「わたしっ」
「ん?」
 店員さんが、包んでくれたお洋服を持ってレジから出てきたのが目の端っこに映る。こんなの聞かれたら何思われるかわかんない。
 そう考えたけど、わたしの口は、止まらなかった。
「わたし、悪いことしたんですっ」
「ふむ?」
「わたし死ぬの嫌だったけど、でも、悪いことは悪いことで、だから前のわたしと違うわたしで、それ、もしかしたら、お父さんとお母さんに嫌われるかもしれないくらい悪いことで、わる――悪い、わたしはっ」

 悪い子

 だから。
 わたし。は。
 お父さんとお母さんに、それから、お姉さんに、――また、さわっても。いいのかって。

 さっきまでつないでたパクノダさんの手はあったかかった。きれいだって思った。マチさんのも、それに、ちゃんとつないだことはないけどクロロさんや他の人たちのだってきっとおなじ。
 誰かを殺したことあるんだろうっていうのもおなじ。
 だから、あったかいんじゃないかって。
 おなじだから、さわって平気なんじゃないかって。
 お父さんとお母さんに逢ってさわって、そのとき、嫌な顔されたりしたら、わたし、どうしたらいいのかわからなくなる。

 でも、おじいさん、あったかいって云ってくれた。
 ぜんぜん知らない他の人なおじいさんが、そう、云ってくれた。
 だから――

 店員さんの姿が、どんどん大きくなる。近づいてる。
 それに気がついて、わたしは、きゅうっと口を閉じた。泣いてるの見られたら、おじいさんが泣かしたって思われる。折角助けてくれたのに、うたがわれたりしたら、おじいさんにもうしわけない。だから、ちょっとうつむく。髪がぱさって落っこちて、顔、よく見えなくなるはず。
 でもそれ以上、何もできない。
 もう少しで引っ込んでくれるはずの涙は、急に止められないし、店員さんが来るのを遅くしたりもできない。
 それどころから自分のことばかり、わけわかんない感じでしゃべっちゃって、もう、これだけで申し訳ないことどっさりだ、って、今ごろ考える。
 だから、おじいさんは、わたしに怒っていいはずだった。

 だのに、
「おまえさんは、自分の名前を云えるかね?」
「え?」
 うつむいたわたしの頭に、そっと手を乗せて――たぶん、撫でてくれるふりをしながら――おじいさんは、云った。
「胸を張って、その名を、誰かに名乗ってやれるかね?」
 わたしの名前。
 
 お父さんとお母さんからもらった、わたしの、たいせつな名前。

 わたしの名前。
 
 わたし。

 ――こくり。頷く。

 おじいさんは、別に名乗ってほしいってわけじゃないみたいだったから、わたし、頭を小さく上下に動かす。
 店員さんの足音が、大きくなる。
「お客様――「ならば大丈夫」――お待たせいたしました。――「名前は生命の次におぬしの親御がおぬしに渡すものじゃ」――あちらに品物がご用意できましたので――「その生命と名を大切に出来る子なら、ワシならそれだけでとても嬉しいよ」――どうぞ、おいでくださいませ」
「――」
「さ、行こうかの?」
 くしゃくしゃ。
 頭に置かれたままだった手が、動かされて、わたしの髪をひっかきまわす。
 しわくちゃの、大きな手。
「――」
 その手に、わたしは、手を重ねた。
「――」
 ちょっと引っ張って、自分の腕の中にぎゅーっと引っ張り込む。
 それから、
「うん!」
 やっぱり熱くなっちゃってる目を店員さんから隠すために、も合わせて、おじいさんの腕におでこを押しつけてしがみついた。
「あらあら」
「ほっほっほ」
 現金ね、って、おかしくなったみたいな店員さんの笑い声と、それでいいって云ってくれてるみたいなおじいさんの笑い声にうながされて、わたしは、ずうっと床に張り付いてた足を剥がして歩き出した。

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