Episode53.
お魚を、ちゃんと真正面から見たのは初めてだった。あの小屋じゃすごく怖かったし、ウボォーギンさんのときだってすぐ頭から布かぶせられたから、ちらっとだけ。
――お魚は、骨。白い骨。
それなのに、おなかが減るんだね。
「あわわわっ」
「……」
ちょっと手を差し出しただけなのに、ばっくりと頭から噛もうとばかりに広げてくる口。それはさすがに、ダメだと思う。死んじゃう。
あわてて避けるわたし。
追いかけてくるお魚。
「……」
それを眺めるクロロさん。
「がんばりなー」
なんて云いながら、もう一匹のお魚をひょいひょい相手にするマチさん。
お魚は、二匹出てきた。
一匹はわたしを狙って、もう一匹はマチさんを狙ってる。
もし一匹だけだったら、わたしかマチさんを狙うことになって余計やりづらいことになるだろうから、ってクロロさんは云ってた。
そして、それは正解みたい。
わたしに来るのは一匹だけで、その一匹はわたししか見てないことが判るから、うん、わたしもやりやすい。
でも、それと、お魚自体が相手にしにくいっていうのは別問題っ!
口。
普段は小さな、というか、普通にお魚の口なのに、食べるときに限って、がばーって開けてくるってどういうこと!? これじゃ、腕だけでいいのにおなかから上をまるって飲み込まれちゃいそうなんだけどっ!
……け、計画だおれ?
思わず足がゆるんだところに、お魚が「ごはん!」とばかりに突っ込んできた。
「だめ!」
はっと気がついて避ける。
ばっくん。
やっぱり大きく広げられた口は、わたしがそれまでいたところを空振りして閉じた。
……だめ、の、意味はふたつ。
食べられるのはだめ、っていうのと、
計画だおれにしちゃだめ、っていうの。
だって、クロロさんたちに意味のないことさせたってことになっちゃうもの。
それだけは、だめ。
一生懸命お願いして、時間をもらって、それで何も出来ませんでしたってなっちゃったら、もうきっと、わたし、今度こそ放り投げられちゃう。
それは、やだ。
――だって、やっと、わたし、クロロさんたちのこと、そうなんだなって思う気持ちを見つけたのに。
「……」
もっとお魚から距離をとろうとした足を、むりやり止めた。
きゅっ、と、靴の底と床がこすれる音。
たいくつそうにわたしたちを見てたクロロさんが、ちょっと首を傾げるのが目のはしっこに見える。
――うん。
この人たちに好かれたいっていうんじゃない。
嫌われたくないっていうのとも、違う。
……がんばれない子なんだなって、そう、諦められるのが、きっと、ヤだ。
だって、わたし、
人殺しでも泥棒でも、たとえばもっともっとひどくて悪いことをいっぱいいっぱいしてる人たちでも、
――――クロロさんたちのこと、好きなんだって思うもの。思っちゃったんだ、もの。
好きになってなんてくれなくていい。この人たちにとって、わたしは、手のかかる迷惑者でいい。でもお別れの日まで、最後まで、面白い子だって思っててくれたらそれでいい。
そしたら、その日まで、手に触れさせてくれるだろうし、あったかい顔もすごくたまにしてくれる。
わたし、この世界でのおうちがもしもらえるなら、クロロさんたちのところがいい。
だから。がんばる。
だいじょうぶ。
わたしは、わたしのためにやることを、きっと、きっとがんばれる……!
もう、いっそ、おなかからばっくり食べられれば、ちょうどまっぷたつ。頭かじられるとかより縫うの楽かもしれない。
そんなこと考えたからか、せまってくるお魚の開ける口を、わたし、自分がおどろくくらい落ち着いて見ていることができた。
暗い。黒い。
真白い骨なのに、口の奥は、墨汁こぼしたみたいに真っ黒い。
頭。
つっこんだら、その奥が見えるのかな。
ただ、暗い、ままなのかな?
「……おい、で」
小さくつぶやく。
足止めたわたしに、真っ直ぐやってくるお魚へ、わたしは真っ直ぐ向かい合う。
そうして、黒い、暗い、その向こうに。
「――」
輝き。
きらり。
「あ」
見えて。
「……あ……っ」
広がる。
そうして。
――わたしは、やっと気がついた。
――わたしは、やっと思い出した。
お魚をつくりだしたあのときのわたしが、何を、思って。何を、願って。何を、ずっとずっと、叶えたいって思っていたのかっていうことを。