Episode55.

 足が動く。前に。
 手を伸ばす。前に。
 やってくるお魚に食べてもらうために。
 お魚は、ぴんっ、と、尾っぽを振ってくれた。
 やっと思い出したんだね、って、云ってくれてるみたいだった。
 がばあ、って、開く口。
 とがった牙がいっぱいの、黒い墨汁の向こうに、ずうっと帰りたい道が、さっきよりもっとずっと見える。
 お魚のあごに、手をかける。
 いっぱい、こっちでも訓練したおかげか、宙に浮かんでるお魚の口に身体を運ぶのは、そんなに大変じゃなかった。
 そして、乗りあがったら、足をもう一度動かして。
 そしたらやっと、わたし、おうちに――

 ガシャン! と、

「え」

 すごい大きな音が、響いた。
「あ」
 ふわり、と、動く空気。
 ぱあっ、と、消えるお魚。
「え!?」
 口に半分つっこんでたはずの目のはしっこに、もう、口の奥しか見えなかったはずなのに、クロロさんが見えた。
 真っ黒い。お魚の口の奥と同じくらい黒いお洋服の腕を、窓に――ううん、窓のあったところに。
 きらきら、光る何か。あれはガラスのかけら。
 割れたガラスが、がしゃがしゃがしゃっと落ちながら、小さくきらきら、光ってる。
「っ」
 床にしりもちついて、落っこちるわたし。
 そうだ。
 お魚は、閉じた部屋のなかでしかいられない。開けたら、消えてしまう。
 だからクロロさんが窓を破って、外の風を入れちゃったから、お魚は消えたんだ。
 でも。
 でもどうして。
 わたしまだ、お魚に食べられてない。
 お魚に食べられる、って、お話したこと、出来てないのに。食べられないと帰れないのに。クロロさんどうして。
 どうし――て。
 訊こうと振り返ったまま、わたし、動きを止めてしまう。
 真っ黒い。
 お魚の口なんて目じゃないくらい、ずうっとずうっと黒くて深い、クロロさんの目が、わたしが振り返るより前からきっと、じいっとわたしのこと見てた。
 ぞわっ、と、体をなでてく風は、じりじり熱くて、冷たい。
 ……怒ってる?
 でもどうして。
 どうして。
 お魚に、食べられてみる、って。わたしちゃんとお話して。
 それにクロロさん云ってた。
 死んだらそれまでだって。
 それだけのことなんだって。
 云ってたのになんで。
 それだけのこと、で、終わらないこと、したんだろう。
 ――へん。
 クロロさん、変。
「ぁ」、
 変。で。

 ――こわい。と。思った。
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