Episode56.

 呼吸が一瞬止まりかける。
 心臓がぎゅうっとつかまれたみたい。一生懸命普段のリズムとろうとしてるのに、どくん、ばくん、変なリズムでしか動けてない。

 黙ったままのクロロさんの代わりみたいに、マチさんが云う。
「死ぬ気だったのかい」
 クロロさんの風ほどじゃないけど、それでも、怖い声だった。
 振り返る。
 マチさんもやっぱり、じいっとわたしをにらんでた。

「あ」

 ――そうか。
 そうだ。
 横から見てたら、わたし、頭からお魚に食べられに行った子だ。クロロさんもマチさんも、お魚の口の向こうなんて見えてなかっただろうから、つまり、そうなんだ。マチさんの云ったとおり、死にに行ってるように見えてたんだ。
 うわ。それは、――怒っちゃって、あたりまえだ。
「ち」、声が掠れる。ふたりの風におされる。でも、「ちがいます!」
 こんないちばん大事なことを、勘違いしてほしくなかった。
「どう違う」
「死ぬんじゃないです。帰るんです」
 せいいっぱい、風を防ぐ風を、わたしはわたしの周りに巡らせる。纏だっけ、練だっけ、もうどっちでもいいけど。
 それでほんの少しだけ、ふたりから感じる怖いのが薄くなって、わたしは、クロロさんたちのことをちゃんと見つめて言葉を続けた。
「帰る、みち。道なんです、お魚。わたしが、おうちに帰るための、そのために、わたし、あのときお魚たちをつくってたんです」
「――」
 クロロさんとマチさんが、そこで目を丸くする。
「道?」
 あの魚に飲まれたら?
 って、マチさんがつぶやいた。
 わたしは、大きくうなずく。
「はい」
 間違えようがない。
 だって、わたしのことだもの。
 怖くて怖くて、ずっと目を向けなかったけど、わたしがつくったわたしのお魚のことだもの。
 そう強く思ってるのを見てくれたのか、マチさんは、そんなはずない、なんていうことは云ったりしないで、目を細めて黙ったまま。きっとそれは、クロロさんも同じ。
「だから」
 クロロさんを振り返る。
「これが終わったら、お魚要らないです。クロロさんがずっと使ってくれてていいです」
 だから。
「お願いします! お魚、もう一度出してください!」
 しりもちついたままだった体を飛び起こして、わたし、ぺこりと頭を下げた。

 ――だのに。

「嫌だな」

「え」

 ぱたん。
 まだほんの少しだけ開いてた本が閉じられる。
 頭を下げたまま、今、耳に届いた言葉が信じられなくってかたまってしまったわたしをそっちのけで、黒い洋服のすそがひるがえる。
 ぱたん。
 今度の音は、ドアが閉まる音。

「――え……っ?」
「……」

 ――なんで。
 どうして。

 そしてやっと、あわてて顔を持ち上げたら、マチさんが苦いもの食べたような顔で、おでこに手を当てていた。
「タイミング悪すぎ……」
「どうして、ですかっ!?」
 ぽつりこぼれるつぶやきに、がばっとくってかかる。
 駆け寄っていくわたしの肩を、マチさんは両手でそっと押さえて、
「説明もしないで、いきなりあれじゃあ……驚いた分、意趣返しもしたくなるもんだよ」
「そ、そんなの……!?」
 でも、それじゃあ。
「あ、じゃあ、今からあやまれば……!」

 ふるふる、と、左右に振られるマチさんの頭。
「――今のあんたは団長の所有物だから」、
 拾われたものは、拾った者が、
「そして団長は、手にしたものは自分が飽きるまで手放さないから」、
 権利を持つ。
 そう云って、マチさんはつづけた。

「もっと、先のことだと思ってたのに――早すぎた」

 帰るみち。
 帰るちから。
 念をちゃんと使えるようになるまで、そんなの見つからないって思ってた。
 でも、わたし、それをしなくても、とうのむかしに。きっと、きっと。そう、最初から、そのための使い方を知っていた。

 ――だって。そうじゃなきゃ――

「っ」
?」
「わたし」、

 そう。
 さいしょからぜんぶ、今のわたしは、わたしのせい。
 さいしょのさいしょも、わたしがはじめた。

 ――それでも。

「わたしは、帰りたいんです……!」

 それでも、
 この願いだけはぜったいに、取り消すことなんてできないんだもの――
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