Episode58.

「クロロさん」

 びゅうびゅうと吹いていく風が、ばたばたばたっ、と、クロロさんの長いコートをはためかせてる。風はわたしに向けて吹いているから、黒いコートもやっぱりわたしのほう向いてふくらんでる。
 でも、クロロさんがわたしに向けてるのは、その背中。
 そこから動いたりはしないで、立ったままで。ただ、背中だけ、わたしに向けてる。
「クロロさん」
 も一回、名前を呼んだ。
 でも、クロロさん、こっち見てくれない。
 吹き付ける黒い風は、とても冷たい。鋭い。強い。
「クロロさん」
 やっぱりクロロさんは動かない。
「クロロさん!」
 怒鳴っちゃった。
 でも、こうなったら根競べ。
 クロロさんがこっち見るまで、わたし、ずうっと呼んじゃうんだから!
「クロロさん!」
「煩い」
 あ。
 クロロさん、気が短い。
 五回目で、クロロさんはすごく不機嫌な声で返事をして、振り返る。首だけひねって、こっちを見て――真黒い目が、そうして、わたしを真っ直ぐに。
 そこへ、
「お魚じゃ引きかえになりませんか」
 云っちゃう。
「……」
「ここで生きてけるようになるのに、時間いっぱいかかります。クロロさんたちに、いっぱいめいわくかけます。でも、今帰ったら、それがないです。もう、わたしのことで時間使ったりしないでいいんです」
「……」
「お魚出すのを、最後の一回、お願いして、その時間で終わりになります。お魚、そのあとは、持っててくれていいです。わたしもう要らないから、向こうでちゃんと生きていきますから、その間はきっと使えるって思いますから――」
「……」
 クロロさんはだまってる。
「――」
「……」
 そして、
「ううん」
 すとん。と、わたしは肩の力を抜いた。
 これじゃだめだ。
 わたしの本音を、ちゃんと形にしなくっちゃ。
「――わたしは」、
 クロロさんたちに迷惑だとか、そういうのでなく。

「帰りたいんです」

「……」

「帰りたいんです。うちに。家に、帰らなくちゃいけないんです。クロロさんたちにめいわくかけててもかけてなくても、お魚と引きかえにしてもしなくても、そんなの、どうでもいいんです。帰りたいんです。わたしは、わたしのうちに帰りたいんです」

 そのちからを。
 作ったはずなのに、人に預けてしまった。
 それは、わたしがバカだったから。
 ちゃんとわたしを判っていなかったから。

「お魚返してほしいとは思わないです。わたし、あっちじゃ、きっと使わないし、それならクロロさんが役に立ててくれればいいと思います」
 繰り返す。
「だけど引きかえなんていうのと違うんです。お願いなんです。お返しなんて出来ません。お魚じゃ足りないわがままです。それでも」、
 繰り返す。
「……お願い、します……!」

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