Episode63.
「…………」びっくり、したのかもしれない。
泣き叫び、は、しなかった。
ただ、変てこりんな感じだった。
あるはずのものがない。指先があると頭は思ってて、動かそうとしてるのに、動くべきものが、命令が伝わるべきものが、ない。
変てこりんな感じだった。
そして、おかしな感じだった。
腕。
片方なくたって、わたしは、わたしでここにいるんだ。
――全部でわたしだと思っていた。
頭のてっぺんからつま先まで、何かなくなったらわたしはわたしじゃないんだと思ってた。
お父さんとお母さんがくれた、わたしっていうものは。
その一部を落っことしても、わたしだった。
変てこりんな――感じだ。
じゃあ、今やってきたマチさんが持ってる腕も――わたし?
「……」
血は出てない。
ちょっと前までわたしにくっついてた腕は、もげたお人形のものみたいに(だけれどもきれいな肌色で、怖い映画とかで出るゾンビみたいに紫なんかになってなくて今肩に寄せてもらえばすぐにくっついてまた動かしたりできそうな)だらんと、指を地面に向けてマチさんに抱かれてる。
うず。
脳みそが命令を送ろうとしてる。
でも届かない。
届くわけがない。
もう、あれと、わたしは、途切れてしまった。
「帰してやってもいい」
「えっ?」
「あの腕をな」
「……」
ちょっと考えた。
すぐに答えは出た。
「それじゃ意味ない!」
わたしが帰らなければ意味がない。
お父さんとお母さんのところから、また子どもがいなくなる。それじゃあ何も変わらない!
叫んで、がばっと飛び起きる。
うず。
支えにしようと、ないはずの腕に力をかける命令を脳が出して、当然そこに腕はなくて、だからわたしはそのまんま、なくなった腕の方にすってんころりん。
ごつん。
壁に頭をぶつけた。痛い。
「詳しい理屈はオレも知らない」
そこに降ってくるクロロさんの声。
「本人の肉体の一部を媒介に――素材が大きければ大きいほど、より精密に詳細に完璧に近く――『その者の複製をつくりだす』能力者がいる」
「…………」
こぴーにんぎょう。
もとの世界で見たテレビアニメが、ぽっと出た。再放送とかなんとかで、お父さんとお母さんが懐かしいねって云って見てたやつ。空飛ぶヒーローの。
ヒーローは普通の小学生で、ヒーローしてるのばれると大変だから、おしごとのときにはその人形で自分にかわってもらってるんだ。
それを。
人形じゃなくって。
まるまるの、わたしを、もうひとり?
「髪の毛一本からでも、とある双子の片割れをして十六年それと気づかせなかった。『当人』であるのだから当然ということらしい。もっとも、素材になった本体が死ねばコピーは即座に土くれになる」
何のために、その双子の片割れのコピーが必要だったんだろう。
それは、今のわたしには判らない、そして、知ってもきっと仕方のない疑問だった。
「……そこまでして」
今きっと大事なのは、
「あのお魚は、役に立つ、と」
そんな面倒をしてまでも確実に手許においておきたいくらい、あのお魚はクロロさんにだいじな能力になっちゃったのかということ。
でも、
「いや」
質問の途中で、クロロさんは首を横に振った。
「あんたが欲しくなった」
………………
「腕置いて帰ります」
「密度の問題だ」
速攻云うわたし、速攻云いかえすクロロさん。
「手にするなら本物がいい」
「本物、って」
そうして見上げた先にあったのは、黒い静かな夜の色。
――そこに映ってるわたしを、わたしは、初めて見たような気がした。
「強情な女は結構好きだ」
「何お子様くどいてるのさアンタは」
じいっとわたしを見て云うクロロさんの頭を、マチさんが殴った。
「これが妥協だ」
頭を軽くさすって、クロロさんはわたしに云う。
マチさんもわたしを見下ろして、ぴこん、と、わたしについてた腕の指を持ち上げてみせた。
「追加。あの魚を使い飽きるか、団長がアンタに飽きるか、アンタが団長を倒せるくらい強くなれたら、叩きのめして帰っていいよ。アタシが許す」
「……」
「出来るならな」
痛かった。
熱かった。
寒かった。
あっさり一撃で、わたし、死ぬとこだった。
それでも、そう云ってくれるということは、
「出来るかもしれないって、云ってくれてるんですよね」
「……」
どうだかな、と、クロロさんは肩をすくめることでそう答えたみたいだった。
「出来ないことは、目の前には来ないもの」
クロロさんやマチさんに聞かせようと思ったんじゃないけれど、わたし、そうつぶやいた。
「出来るかもしれないかのうせい、低くても。出来るかもしれないことしか、やろうとする人の前にはこないもの」
それがどんなに遠くても。
それがどんなに果てしなくても。
妥協。
クロロさんがそう云った、それが。
我侭起こしたわたしが、一生懸命がんばって、清算にしなくちゃいけないことなんだと思った。
帰してもらうんじゃなく、帰ろう。
わたしはわたしのちからでがんばって、帰ろう。
そのために開く門は、ゾルディックのおうちのあの門より、ずっと大きくて重くて頑丈でどれだけ頑張ればいいか、判らないけど――
世界から世界をわたるとき
何の運賃も払わずに
人の命を奪ったあのとき
その痛みも知らないで
当たり前のようにそうしてたわたしは、きっと、何も知らなさすぎた。
何かをもらうなら何かを払わなくちゃいけない。
だのに、それをしてない。
不公平が積もり積もって、そうして、それが今目の前にきたんだと。
するべき、払うべき、何かが。
それなんだと――思った。