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剣士の語らい




 久しぶりの再会を果たしたその人は、憮然とした顔で彼女を見下ろした。
 ……いや、まあ、その人の場合、憮然としてない顔の方が珍しいんだけども。
 初対面からこうだった。
 既知の間柄になっても、それは変わらない。
 数年前の武具大会で知り合った、彼――ディアス=フラックは。

「やあディアスさん。お久しぶりです。お元気?」
「なんだそのザマは」

 淡い青色の髪を揺らすディアスの視線は、真っ直ぐに、三角巾でつるされたの腕に伸びている。それを追いかけるふりをして時間をちょっとだけ稼ぎ、彼女はまた、にへ、と笑ってみせた。
「それが、聞くも涙語るも涙の物語」
「俺は泣かんから話せ」
 感情のない声で告げるディアスに、は苦笑い。
 まったく、この人はいつ逢ってもこうなんだから。
 ちょっとくらいは心配するそぶりのひとつ、してくれたっていいものを。
「おまえが泣きたい話なら、やめておくが」
 ……前言撤回。
 心配はしてくれるらしい。
「泣きます」
 つ、と視線を落として答えると、頭上で「そうか」と、少しだけ、ほんの少しだけトーンを抑えた声がこぼれた。
 それを発したディアスを見上げないまま、は続ける。
「そう。笑い泣き確実」
「話せ」
「わァ、ひどい」
 そんなにわたしの泣き顔が見たいのね! と頬に手を当てて睨みつけたら、どこ吹く風で流される始末。
 鉄面皮め。
「エルリアの災害は聞いている。……手傷を負ったか」
「ああ、それは負ったんですけど」
「?」
 微妙に食い違いを感じさせるの言葉に、ディアスが小さく首をかしげた。そのまま目の前に山積みしている地鶏串焼きをひとつ、手にとって、無造作にぱくり。
 からしてみればちょっと胸焼けしそうな光景だが、まあ、自分が食べるわけじゃないからいいやと意識を逸らす。そしてこちらも、自身の前にあるサンドイッチをぱくり。
 二人が向かい合うここは、ラクール王国の酒場だ。
 がたいのいい男性が多いなか、少女のの姿はちょっと目立つ。けれど絡まれたりする気配がないのはディアスの存在もあるけれど、ひとえに、ラクールの住民なら彼女のことを知っているからというのもあったりする。
 ラクール研究室主任・マードックの縁者であるは、住居を構えるエルリアとラクールを頻繁に行き来しているため、半ばこの街の住民と云ってしまってもいいくらいには、こちらの国にも馴染んでいるのだ。
 蛇足だが、引きこもり気味な従弟を連れ出す彼女の姿が、一番目撃例が多い。
 ともあれは、首をかしげたディアスに事の経緯を説明すべく、サンドイッチを飲み込んでから口を開いた。
「なんていうか、モンスターがぐあーっと出てくるようになったと思ったら、あっという間にエルリアが落とされてですね。その騒ぎのなかを、脱出したらしいんですが」
「らしいとはなんだ」
 自分のことだろう、と、いぶかしげにディアスは云う。
 まったくだ、と、も思う。自分と彼の立場が逆なら、自分もきっと同じように云っていた。
「それがなんていうか、あんまりにも混乱がひどかったのか、傷のショックだったのか、謎なんですけど、そこいら前後の記憶が吹っ飛んでるんですよね」
「…………」
 無言の促しに応え、さらに続ける。
「で、話を戻すと、傷は負いました。負ってたみたいです」
 海に漂ってるところを救助されたときには、一応治りかけてはいたらしいんですが。
「治りかけ?」
 ならそれはなんだ。
「だから、負ったんですけど。それは、これじゃないんですよ」
 吊ったままの左腕を、右手で軽くはじく。そのまま手を動かして、自分では見えない背中を指した。
「そのときの怪我は背中です」
「剣士が背中とはな」
「云わないでやってください。自分でもちょっと情けないから」
 よろりと肩を落とすを見るディアスの眼は、だが、言葉ほどに揶揄を感じさせない。
「挟撃か……不意打ちでもくらったか?」
「うすらぼんやりなんだけども」、記憶を辿るために、視線を空にさまよわせて。「剣を、はじかれてた、ような。でも、素手じゃ勝てないから、隙をついて取りにいったら、そこをやられたみたい」
「強敵だったようだな」
「うん」
 頷けば、ディアスはため息ひとつ。
「で、それは治ったのか」
「うん」
 同じ言葉で、もう一度首肯。
「結構深かったから、痕残っちゃったんですけどね。ま、名誉の負傷ってやつで」
「剣士にとって背中の傷は、事情を知らんやつには不名誉でしかないぞ」
「知らない人にはどう思われてもいいですよ」
 にやり、口の端だけで笑ってみせる。
「わたしの名誉はここにある」
 とん、と右手で胸を突く。
 ついて――
「?」
 既視感。

 救いはどこに。
 救いはここに。

 いつかどこかの、そんな問いかけ。そんな答え。

「どうした」
「あ……なんでもない」
 不意に覚えた感覚は、だけども、ディアスの言葉で霧散する。
 そうして、彼の視線が左腕に注がれているのをまた追って、は笑った。
「だから、これは別のが原因で。それというのも、従弟がですね」
「ふむ」
 従弟、こと、レオンは、ディアスに直接の面識はない。ディアスも当然。でも彼が何の疑問もなくその呼称を聞くのは、が何かと、彼らのことを相手に話すからだった。
「武具大会に、出るな、って云うんですよ」
 いくら治ったからって云っても、大事をとっておくべきだって。
「それは残念だな」
「でしょう?」
 だから、絶対出る! って、受付が始まると同時に向かおうとしたんですよね。
「……それで?」
「ところが敵もさるもの」
 いつの間にか従弟が敵になっていた。
「受付開始当日の朝――いったいどんな仕掛けをやらかしたのか、わたしの部屋の扉が開かなくなってたんですよ」
 こんなところで頭の良さを発揮するなと云いたいところだ。
 一人でしみじみ頷いて、の言葉はさらにつづく。
「だもので、これはもう負けてたまるかと思って、窓は開いたからそこから脱出しようと思って――」
「落ちたか」
「落ちました」
 うっかりと。
「折ったのか」
「いや、ちょぴっとひねった程度」
「それを従弟に見つかったか」
「見つかって、半日説教くらって、あの子の持ってる鍵でしか外せないギプスつけられました」
「………………」
「………………」
 深いため息がひとつ、ディアスからこぼれた。
「莫迦だな」
「ですよねー」
 あっはっは。
 最初の宣言どおり、目じりにちょっぴり涙を溜めて、は笑ってみせたのだった。

「あ、でも、応援には行きますよ。わたしの分も優勝してください」
「優勝は一人分しかないぞ」
「名誉はあなたに。賞品はわたしに」
「……」

 うんざりした顔になったディアスは、最後の串焼きを胃におさめると、傍らの酒を飲み干して立ち上がる。
 それを見たもまた、サンドイッチの皿とジュースを空にして席を立った。会計を済ませるディアスの横へ、小走りに移動。自分の勘定を出すべく財布を取り出せば、ディアスの視線がそれを制した。
「見舞いだ」
「おお。太っ腹」
 ありがとー、と微笑むをディアスが促し、ふたりは連れ立って店の外へ。
「でも、ディアスさんにはごめんなさい」
「ん?」
 星のまたたく夜空を見上げて、ぽつりとはつぶやいた。
「再戦を約束してたのに、破っちゃった」
「気にするな。機会はまたある」
「そりゃ作りますけど。武具大会終わるころには、レオンも許してくれるだろーし」
 ああ、でも大会出たかったー!
「それはたしかに、残念だな」
 軽く地団駄を踏むを見やり、ディアスが応じる。
「おまえも楽しめそうな相手が、今回は出るかもしれなかったんだが」
「……へー?」
 視線を動かせば、いつもどおりのディアスの表情があった。
 けれども、声音はどこか、楽しそうだった。
「ディアスさんがそう云うってことは、強い人ですか」
「……どうだかな」
「強くなれる人、ですか?」
「先は判らんさ」
 問いを変えれば、否定とも肯定ともつかぬ言葉が返って来る。
「ふーん。なんて人です?」
 ディアスがわざわざ覚えているほどの相手となれば、興味がわかない方が変だ。
「たしか……クロード、とかいったな」
「クロードさんですか」
 武具大会には出るのかな。
「さあな」
 そんな予定までは知らんが、と、前置きして。
「出たら、の話だ」
「出てくれたらいいですね」
 ついでに大会終了後もラクールに滞在してくれないかなあ。勝負してみたいなあ。
「血気盛んだな」
「もう、大人しくしすぎて血の気が余ってるんですよ」
 だからディアスさんも、大会終わったら、ちょっと相手してくださいね!
 見上げて請えば、
「考えておこう」
「ありがとう!」
 一見曖昧、だけど、彼のこの言葉は是の意。
 喜色満面で礼を云うの――吊ってない側の――肩を、ディアスは静かに押し出した。
「そろそろ戻れ。夜も更ける」
「はーい。じゃあディアスさん、またそのうちに」
 そうが云う途中で、ディアスはとうに身を翻していた。
 遠目にも目立つ長身が夜の闇に溶けていくのをしばし見送り、もその場から歩き出す。
 腰に下げた剣が、しゃりん、と涼やかな音をたてた。

 ときはラクール武具大会、数日前のことだった。


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『始まりは、炎に染まれ』の、あとの話です。
つ、つづいたわけじゃないんだからね! 単に時系列が連続してるだけなんだからね!