- ふわふわ、ぬくぬく。 もこもこ、やわやわ。 身体を包むのは、そんな感触。そんな感触を、知っている。 下にあるのはお布団で、上にあるのもお布団で、頭の下のは枕っていうの。 包まれてると、すごく幸せ。 いつまでもこうしていたくって、でも起きなきゃなってちょっと動いて、やっぱりこのまま、ってまた力を抜く。そんな時間がとても好き。 それで、そんなこんなしてるうちに、お母さんが起こしに来るのが大好き。 「――おーい。起きたか?」 “おはよう。朝よ、起きなさい” ……あれ。なんだか違うひとの声がした。 お母さんの声は、そんなに低くないんだけど。もしかして、風邪ひいちゃった? ごろん。 寝返りひとつ。 「こら、逃げるな」 がっし、と、肩を抑えられる。 む。 力が強いな、この偽母め。 「誰が偽母だ。起きろってば」 言葉遣いも悪いぞ。偽母。 「だから、偽母じゃないって」 むむ。 ではどちらさま? 安眠を貪る乙女の寝室に入り込むとは、もしや変し―――― ごす。 「蹴るぞ」 「……蹴ってから云わないでよ……」 なんとも理不尽なことをしてくれた変し(略)に枕を投げつけて、わたしは不精不精起き上がる。 こすりつつ開けた目の前には、呆れた顔で自分を見下ろす――便宜上――兄弟がいた。 「おはよ、士郎」 「おはよう、」 にっこり笑いかけると、しょうがないなあ、と、士郎も笑ってそう云った。 それから、よいしょと身体を起こす。 士郎が入ってきたとき開け放したらしい襖から入る冷気に、ぶるりと身体が震えた。 「う、寒」 「冬なんだから当たり前だ。ほら、起きた起きた」 「うわーん。切嗣、士郎がいじめるー」 「誰がいじめてるか。布団あげてやってるだろ」 棒読みの訴えに、棒読みの返答。 よいしょ、と同じかけ声を発して、士郎はわたしの布団を押入れに突っ込んだ。 次に、先ほど顔面を直撃した枕を拾い、同じく放り入れる。 「早く着替えろよ。桜、もう来てるんだぞ」 「何ー!?」 振り返って告げられた一言に対するは、乙女にあるまじき悲鳴。 それに応えるように、縁側の方から、こちらはれっきとした乙女の声。 「おはようございます、先輩」 「わあ。おはよう桜。今日もエプロンかわいいね」 「なんですか、その棒読みの“わあ。”って」 ぷう、と頬を膨らませる桜。 が、ピンクのエプロンにお玉装備なんて格好でむくれてみても、可愛らしさが際立つばかりだ。 事実、彼女――間桐桜はかわいらしい。 丸っこい瞳、浮かべた穏やかな微笑。肩まであるつややかな髪を一房だけくくって、ちょん、と小首を傾げて佇む姿はまさに乙女。 わたしにはとうてい真似出来ない、遥か遠き理想なのだ。 ……真似しようとも思わないが。 「なんでもない。じゃ、すぐに行くから先に食べてて」 「はい、先輩。士郎先輩、行きましょう」 「うん。早くしろよ、」 兄弟と桜を追い出して、わたしはいそいそと寝間着を脱いだ。 寝間着と云っても、パジャマじゃない。かなりぶきっちょな繕いの後の残る、作務衣と呼ばれる時代がかったものである。 育ての親が好んで着ていたので、士郎もわたしも、すっかりそれに染まってしまった。 「……」 剥き出しになった身体を、わたしはしげしげと見下ろした。 ふと、さっきの桜の身体を思い浮かべ、それと線を重ねてみる。 ――――泣けてきた。 だいたい、桜が成長しすぎなんだ。ひとつ下のくせに。 愚痴は、主に胸囲に対して発される。 中学のころはそうでもなかったのになあ……って、その頃は、わたしももっとアレだったけど。 しなやか、というよりはむしろ、筋肉質、とも云えそうな自らの腕を見下ろして、ため息。 ああ、桜みたいなぷるるんボディになってみたい。 本人が聞いたら真っ赤になってお玉を振り下ろしてきそうなことも、思うだけなら罪はない。 もっとも、本気で思っているかといえばそうでもない。 この身体は、士郎と一緒につくってきたもの。大事なきょうだいと一緒に、生きてきた証。優しかった育ての親から受けた手ほどきの印。 「……いまだにスポーツブラで事足りる、ってのは、さすがにちょっと泣けるけどさ」 ふ、と遠い目でもって天井を見上げる。 そこに、 「ー! 味噌汁冷めるぞ、っていうかそろそろ猛獣が来るぞ、判ってるんだろうなー!?」 「!!」 一発で意識を引き戻す、ある意味最終通告的士郎の怒鳴り声が、廊下の向こうから響いてきた。 「ほ、保護しといてー!!」 慌てて叫んで、手にしてた作務衣を放り投げた。 電光石火の勢いで制服を着て、ばたばたばたっと部屋を飛び出る。 肌寒い空気の漂う廊下を疾走し、居間に到着―― 「ひわっ!?」 きゅいしゅぱあぁッ! 「せ、先輩!?」 よく磨かれた廊下は、靴下での急ブレーキを許してくれない。 皿を並べようとしていた桜の悲鳴を横に聞き、わたしの身体は盛大にスライディング。 もちろん、止まろうとして滑った結果である。 なんとも耳に愉快な摩擦音をあげ、わたしは廊下を滑る。向かう先は廊下の曲がり角。そこには当然壁がある。 ぶ、ぶつかる……! ――覚悟を決めた。いやこんなことに覚悟もなにもないんだろうけどとにかく覚悟は決めた。決めてやった。さあ来い壁よ、わたしはおまえと熱病のような抱擁を交わそうじゃないか! ――この間、一秒もあっただろうか。 「バカ」 が。 壁との抱擁も接吻も、もとい衝突も、わたしには訪れなかった。 衝突寸前、十数センチ。そこで救いの手が差し伸べられたのだ。 細いクセに筋肉のしっかりついた腕が、わたしの腰を横からかっさらって抱えてた。なんていうんだっけ、向かってくる相手の首に腕水平に突き出してぶつけるの。ラリアット? とにかくそんなプロレス技めいたで捕獲されたのである。当然のよーに、腹にくる衝撃は生半可なものじゃない。 「つ、つわりが」 「……バカ」 二度目の“バカ”は、呆れ度倍増。 ざーとらしく口元を押さえたわたしを、声の主は、さっきの布団よろしく肩に担ぎ上げた。 いや、しかし、それにしても。 「士郎。今のはすごかった」 「そっか? なんか身体が勝手に動いた感じなんだけどな」 「うん。廊下を滑る人間においついて腹を抉るなんて、常人には出来ないと思う。ねー?」 最後の“ねー”は、とたとたと廊下を駆けてきた桜に向けて。 彼女は何故か両手に皿を持ったまま、士郎に担がれたわたしを心配そうに見上げてきた。 「先輩。身体はいいんですか?」 そして、至極悲痛な面持ちでそんなことを仰る。 「え? だいじょうぶだよー、ちょっと士郎の腕が食い込んだだけだから」 担がれたまま、へらへらと手を振ってみせた。 どうにも、桜ってば心配性な気質がある。優しすぎるのだ。 それは彼女のいいところでもあり、困ったところでもある。 それにしても――桜の心配顔は、まだ治らない。 いくらなんでも、心配しすぎじゃなかろうか。わたしと士郎は顔を見合わせ、 「だって、先輩、今つわりって……」 「「違ッ!!」」 さっきのかけあいをすっかり信じちゃってたらしい桜に、空振り裏拳を同時に繰り出した。 そしたらよりにもよってこの後輩、 「え? 違うんですか?」 なんて、きょとんと目を丸くするし。 オノレ、わたしをいったいどういう目で見てるのだ。 などとわたしが怒りに震えてる間にも、桜は目を丸くしたまま、 「なあんだ、そうなんですか」 と、安心したような残念なような笑みを浮かべた。 「あのねー桜……」 「――私」、 「ん?」 こめかみ押さえてお説教しようとしたものの、桜のつぶやきがそれを打ち消す。 今度は何だと耳を傾けると、この後輩、うつむいて何やらブツブツ云い始めた。 「他の誰かはいやだけど、士郎先輩と先輩がそうだったら受け容れられるから祝福しようって思ってたのに。ふたりの子だったらきっとかわいいから、赤ちゃんのうちから私も育児に参加していろいろ教えてあげようって――あ、逆紫式部計画なんていいなあ、とか……名前は男の子だったら切嗣で女の子だったら切子で――」 「こらこら待て待て」 「はっ!? 私、今何か云ってました!?」 「云ってた云ってた」 「とりあえず、切子はセンスないからやめて」 士郎が力なく桜の頭をつっつくと、実に白々しい返答。 そこにネーミングセンスについて少々のツッコミをいれてみたところ、桜の顔が真っ赤になる。 ボフッ! と効果音が噴出しそうな勢いだった。 「そんな……」 あ、ちょっとキツかったかな? 「いっそ桜子でもいいなんて――うれしいです」 「「云ってない云ってない」」 ぱたぱた揃って手を振るも、桜ちゃんってば、お手手をほっぺたに当てて何やらハートフルな夢想中らしい。ちーとも戻ってきやしない。 しょうがないので、わたしも対抗してみることにする。 士郎の肩の上というなんとも情けない姿勢であることは置いといて、手を組み、目を(おそらく)輝かせ、 「フ。士郎となんて誰がくっつくか。わたしには理想の王子様がいるなりよ」 ――と、つぶやいてみたところ、さっそく親愛なる兄弟殿からデコピンがきた。 「コロッケ好きなからくり人形になるな。ていうか帰って来い、おまえまでトリップしたら、誰があれを止めるんだ」 “あれ”と指さされたのは、桜ではなかった。 お皿持ったままトリップしている後輩の向こう――さっき、わたしが止まりそこねた居間を、士郎の指は示していたのである。 いや、正確に云うなら部屋そのものではなく、廊下からあがれるようにと置いてる縁石。 そこにはいつの間にか――どう記憶を探ってもさっきまではなかった且つ見慣れた――靴が一足、横向きとうつ伏せで転がっていた。 ――――――――マズイ。 その靴の持ち主を思い出した瞬間、首筋に冷や汗が流れた。 そう、その者こそ士郎曰くの猛獣。 この衛宮家の食においての天敵、なちゅらるえねみぃ。 ……ああ。なんか、とんでもなく嫌な予感。 同じ予感をとっくに感じていたのか、わたしがトリップから戻ると同時、士郎が走り出す。左肩にわたしを担ぎ、右手でまだトリップ中の桜を引っ張って、数秒。 だが、その数秒でさえ致命的。 「「藤ねえ――――――――!!」」 ダン! と―― 最後の一歩も音高く、わたしたちが居間に踏み入ったときには。 「むにゅ?」 朝陽に燦々と輝いていたであろう朝食は、見るも無残に食い荒らされていたのであった。 ……実に意味不明な、満腹感に満ちていることだけは判る虎の一声を残して。 ――嗚呼無情。 |