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 がらがらがらー。のどかな音をたてて、玄関の戸を開ける。
 がらがらがらー。再びのどかな音とともに、開けた戸を閉める。
 士郎がポケットから鍵を取り出して、鍵穴に突っ込んだ。くるりと回して引っこ抜く。戸締り完了。
 肩を並べて門をくぐる。木造の門は、高校生になったわたしたちの身長を遥かに凌駕してでかい。
「……切ない」
 爽やかな朝陽を浴びて、わたしは、空腹を訴える胃袋を押さえた。
「云うな」
 そう云う士郎の胃からも、きゅるるー、と、寂しい泣き声が発されている。
 無念です切嗣。猛虎の襲撃の前に、士郎とは散りました。
 などと、青空を見上げて亡き養父に報告してみたり。きっと泣いてるな。
 でもいいのだ。一人分くらいはギリギリ残ってたから、桜にだけはこんな思いさせずにすんだ。
 何しろ彼女は弓道部。本日朝練。これで朝ご飯を抜くほど、間抜けな行為はない。
 よって、わたしと士郎は藤ねえをたたき出すと、渋る桜――トリップからは帰還しておられた――に朝食を食べさせ、遅れるからと朝練に送り出したのである。
 自分たちの分はどーしたかというと、桜の持ってた皿のを食べた。ちなみに乗ってたのは目玉焼きとベーコン。一人分。当然、分量は半人前ずつ。
 ……涙の味がしてしょっぱ美味しかったヨ、切嗣……
「んじゃ行くか」
「了解ー」
 いつまでも悲哀にひたっていてもしょうがない。士郎の声に応えて、歩き出す。
 冬真っ盛りの朝の空気が、剥き出しの顔にあたる。寒いけれど、気持ちいい。
 これから坂をおりて歩くことしばらくで、わたしと士郎の通う高校に辿り着くというわけだ。

 ――さて。登校の合間、ちょいと我が家の家族構成を説明いたしませう。
 お暇とお義理で聞いておくんなせい――


 衛宮士郎と衛宮
 わたしたちはきょうだいだ。
 年は同じだが双子じゃない。ぶっちゃけて云うなら、血のつながりはない。世間で云うところの“拾われっ子”なのである。
 衛宮切嗣。
 これが、わたしたちを育ててくれたひとの名前。
 ざんばら髪に不精髭じょりじょり。料理は下手で掃除は苦手で言動はお茶目――わたしと士郎が、誰より尊敬してて大好きなひとだ。
 拾われたこと以上に、わたしたちは切嗣を好いている。それは、彼が逝ってしまって数年経った今でも変わらない。いや、年月を経てよけいに強まっている感もなくもない。
 それから、愉快なトリップが得意技の――いや、失礼。ほんわか微笑む笑顔がかわいい――間桐桜。
 苗字で判るように、彼女は別の家の子だ。中学のころに彼女の兄と士郎が友人で、その縁で知り合ったのだ。
 以来、家族のような付き合いを続けていたりする。――兄である慎二とは、最近疎遠なのだが。
 かわいくて守ってあげたいタイプであるせいか、彼女に対してはわたしも士郎も過保護気味だ。治さなきゃいけないんだろうけど、うーん、まだいいかって思ってしまう。
 儚い外見とは裏腹に、あれでなかなかこうと決めたことは曲げない芯の強さを持つ。
 加えて料理も上手。常に一歩ひいて他を立て、大和撫子かくあるべし、を地で行く女の子なのだ。――まあ、たまに妙ちきりんな妄想にトリップするという癖も併せ持つのだが。ま、完璧な人間なんていないしね。
 最後に猛虎こと藤ねえ。……本名は藤村大河。
 タイガーっていうと怒る。だったら虎模様の服を着ることからやめろと申し上げたい。
 底なしの食欲を誇り、我が家のエンゲル係数を限りなく上昇させている犯人だ。今朝はなかったが、常にほんわかヴァイオレンスな行動で、わたしたちをきりきり舞いさせる天才でもある。
 冬木の虎と云われ親しまれている彼女は、なんと剣道の段持ち。その癖に英語の教師で弓道部の顧問という、わけのわからん職についている。ちなみに士郎のクラスの担任。あのクラスから聞こえる阿鼻叫喚は、うちの学年にとって毎朝の恒例行事だ。
 わたしたちが切嗣に引き取られた当初から衛宮邸に入り浸っていて、今ではすっかり家族の一員。
 蛇足。藤村の家は、わたしと士郎の後見人でもある。
 今の説明で判るように、衛宮の家の住人といえるのはわたしと士郎だけ。――いくら世の中アバウトっつっても、未成年の二人暮しなんて世間体的にどーよ、つぅことで。切嗣の遺した家やちょっとした財産なんかも管理してもらってたりするのだ。
 藤村のおやっさんこと雷画さんは、あまたの男衆を束ねる傑物。普段の藤ねえを見てから雷画さんを見ると、そのギャップにびっくりである。

 以上。
 彼らが、衛宮士郎と衛宮の、愛すべき家族たちだ。
 この他にも付き合いのあるひとはいるけれど、それは追々。
 日々の生活を主に共にしているのは、今挙げたひとたち。
 ……何気に女性比率が高いのは、気にしないように。
 男手ひとつである士郎が、何かといいように使われることが多いのも事実だが……これも気にしないように。


 交差点を通り過ぎ、上り坂を歩いて、学校にたどり着く。
 藤ねえのせいでばたばたしたものの、遅刻寸前ではない余裕登校。
 うむ、早起きは三文の徳。
「何が徳だ」
 ひとりでうなずいてたら、士郎がにんまり笑って云った。
「俺が起こさなきゃ、遅起きで三両の損になってたぞ」
「うがー! それは云うなあ!!」
 っていうか人の心を読むでないー!
 タイガーばりの雄叫びをあげて、士郎に飛びかかるわたし。わたしを避けて逃げる士郎。
 校門前で始まった鬼ごっこの横を、登校中の生徒が奇異の目で、または微笑ましそうに眺めながら通り過ぎていく。
 ま、こんなの、わが穂群原学園生徒諸君にしてみれば、たいした奇行でさえありゃしないだろう。
 ――ああ、今日もぴーかん、いい天気。
 目下の悩み事といえば、このまま士郎に一発打ち込むまで追いかけるか、今鳴った予鈴にしたがって教室に駆け込むべきかといったところでしょうか――



 結局、朝の雪辱は昼休みに持ち越すことになった。
 生徒会室ですでに空になった弁当を包もうとしてた士郎めがけて、ポケットに入れてたスティックリップを一閃。
 すこーん、と良い音がして不意打ち成功。
〜」
 ちょっと紅くなった額をおさえて、士郎が恨めしげにこちらを見やる。
 はん、さっさと逃亡して教室に逃げ込むから、こんな目に遭うのである。
 勝ち誇った笑みを浮かべて、わたしは士郎の隣に座った。
 それから、目の前であきれたように茶をすすっている人物に、軽く目礼。そんで挨拶。
「やっほう、一成」
「うむ」
 しゅぴ、と片手をあげると、応えるようにうなずいてくれたそんな彼は柳洞一成。
 わたしの幼馴染みであり、士郎の友人でもある。クラスは士郎といっしょ。これを云うと驚かれるかもしれないが、実は一成との付き合いは士郎とのそれより長い。何故かというと、わたしの育ての親のツテで一時期放り込まれてた所の一人息子なのである。
 ここから歩いて二時間ほど行ったところにある柳洞寺が、そうだ。毎朝この距離を歩いてくるのだから、たいしたものだ。
 生徒会長を務めており、わたしたちの生徒会室私物化に快く貢献してくれている。……金色の菓子じゃない献上物を、たまーに貢いでるけどね。
「もうお弁当食べたの?」
「ああ、授業が早めに終わったのでな。おまえが来るのに悪いとは思ったが、片付けねばならぬ仕事もたまっておったし」
 云って、ずずー、と茶をすする。
 わたしたちと同い年のはずなのに、なんだろう、この好々爺じみた仕草は。
「ふーん……大変だねえ、生徒会も」
「まあ、な。特に今年は部活予算についての折衷が激しく――おっと、とりあえず昼食にしたらどうだ」
「そだな。そうしろよ、
 愚痴めいた発言をとっとと引っ込め、一成は、包みを解きかけたまま止まってるわたしの手を指して、そう云った。
 横の士郎もこくこく頷いたので、ひとまずその提案を飲むことにした。
 朝ごはんがいつもの半分以下だったことに加えて三時間目が体育だったので、わたしとしても、空腹感はいつもの比じゃないのだ。
 士郎と桜が朝食より前につくっといてくれた弁当は、今朝の藤ねえの餌食にならずにすんだ。
 やっとまともな食事がとれる。そう心の中で手を合わせ、いそいそと包みを解いた。
 ハンカチのなかより現われたるは鳩ではなく、金属製のおべんとばこ。関係ないが中学時代からの愛用品だ。
「そいえばさ」
 箸でおかずをつっつきつつ、書類をめくってる一成に話しかける。
「壊れたストーブって、まだあるんだったよね?」
「うむ。あと数個を残すのみだ。――一応見てもらえると助かる」
 学校内の予算使途に関して、一成は常々頭を痛めている。
 寺の息子だからってわけでもないだろうけど、とにかく出来るところから出来るだけ倹約しようという徹底ぶり。
 士郎とわたしもそれをお手伝いすることがあるのだが、今回のはいい事例。
 淹れたての緑茶で喉を湿らせた士郎も、横から会話に加わってきた。
「あといくつかなら、今日中に全部やっちまおうか」
「いや、悪いが明日にしてくれぬか」
「え? なんでさ」
「なんでさ」
「真似するなよ」
「するなよ」
「実は寺のほうで外せぬ用事が出来てな。それに衛宮は、たしか今日バイトの予定だったろう」
「「……」」
 眼前のきょうだい漫才をきれいにシカトして、一成はあっさり仰ってくださった。
 なんとも行き場のない感情を胸に、わたしと士郎は、しばし一成を凝視。
 だがヤツは、「ん?」と首を傾げるだけ。
 ――く、こいつは天然だ。
 半ば八つ当たり気味に睨みつけ、わたしは食事を再開する。
 漫才相手を失った士郎は、必然的に一成との会話に戻った。
「じゃあ、明日の放課後か――、だいじょうぶか?」
 と思ったら、またしてもこちらに会話が振られる。
「んー」
 こくこくと首を上下させて、卵焼きを含んだ口で返事にならぬ返事。
「ん、判った。この話はまた明日な」
「うむ。ところで衛宮――いや、士郎のほうだ。衛宮は食べててくれ」
 士郎に話しかけようとしてたらしい一成は、箸を止めたわたしを見て、あわてて訂正する。
「名前で呼べば区別出来るのに」
 第一、昔は「一成」「」って呼び合った仲じゃないか。
「だよなあ」
 俺の名前呼ぶのは、別にかまわないんだろ?
 そんな衛宮ふたりのことばに、
「――む。だが、年頃の女人を下の名で呼ぶというのはやはりだな――」
 と、ちょっぴり頬を染めて、一成はよくわかんない自説を展開するのであった。
 結果として、衛宮士郎と衛宮は相も変わらず“衛宮”でくくられることになったのは――ま、云うまでもないか。

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