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 午後の授業も無事終了して、放課後。
 教室を出ると、先にホームルーム終わってたらしい士郎が、手持ち無沙汰に待っていた。
 窓から差し込む西日で、鉄錆色の髪が血のように赤い。
 実は、わたしは士郎の髪の色がちょっと羨ましかったりする。――自分の髪が、結構色の薄い茶色だからだろうか。
 すっごい薄い金茶といえば聞こえがいいけど、その実、日本人なら脱色してしまえば辿り着ける境地であったりする。自然発生と人為発生による発色の差は出るんだろうが。
 だから、士郎みたいな自己主張強い色の髪――しかもちょいとそのへんでは見ない赤系――は、ちっちゃな頃から憧れであった。
 “士郎とおんなじがいいのー!”と、ケチャップで染めようとした過去もある。……寸前で切嗣に止められなければ、目も当てられぬ惨状が出来ていたに違いない。
 んで、その憧れの髪持ちである士郎はというと、教室から出てきた生徒のなかにわたしを見つけて、「や」とにっこり手をあげた。
 はにかんだよーな笑顔が、反則的にかわいらしい。
 本人は童顔だと気にしてるんだけど、わたしと藤ねえは今のままでもいいじゃんよー、と合唱し、そんな士郎を撃沈させてたりする。
 それに、顔つきや身長はともかく、士郎はちゃんと身体を鍛えてるから、同年代の男の子のなかじゃ逞しい部類に入ると思うんだけどな。
「早かったねー」
「ん。藤ねえが、めんどくさいーつっていろいろはしょったから」
「……そうかいそうかい」
 などと云いつつ、士郎の横に並んで歩き出す。
 部活だとか帰宅だとか、廊下を行く生徒のなかに混じって、衛宮さんちのきょうだいも下駄箱へ。
 クラス違うから一旦別々の靴箱へ行き、履き替えてから入り口の前で合流。帰途につく。
 たいていは真っ直ぐ帰宅するのだが、今日は途中でお別れだ。
 衛宮士郎は本日バイト、衛宮は本日帰宅。
 新都に向かう道との交差点で、衛宮さんちのきょうだいは、お互いに向けて手を振った。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
 士郎のバイト先は、新都にある。今日じゃないけど、わたしのバイト先もそうだ。
 あっちのほうが店とかいろいろあって賑やかだから、働き先には事欠かない。
 十年前に起こった大火事後。活性化政策だかなんだかで、一挙、冬木市を近代都市に押し上げた原因でもある。
 対して、今わたしが帰ってる――衛宮の家があるのは、深山町と呼ばれる、昔ながらの住宅街だ。
 こちらはちょっとした商店街がある以外は、本当に家ばっか。古い歴史を誇る洋館とかも何軒かあるし、衛宮の屋敷だってかなりの年代もの。
 んで、その洋館のうちの一軒が、我らがかわいい後輩殿こと桜ちゃんのおうちだったりする。
 それと並んで――オバケ屋敷とか子供に云われてるらしい――有名どころ洋館が別にひとつ。そこの主も、実はうちの学園に通ってる。
 クラスは違うけど同い年。かつ、男子のみならず女子の憧れも集めてやまないそのひとの名は遠坂凛。
 化け猫クラスのおしとやかさを持ち、勉強も運動も人並み以上にそつなくこなすパーフェクトガール。桜とは別の意味でカンペキだ。……どっかに欠点でもなかろうか、と、思うのは劣等感故なんかじゃないぞ。うん。
 第一、遠坂さんにはわたしだって憧れてるのだ。
 名前のとおり、凛、と風を切って廊下を歩いてく彼女を見るたび、あんなふうに自分に自信を持てたらな、と思ったことは少なくない。
 でも一度、桜にそのことを話したら、
“先輩だってかっこいいですよ? ――だって、私にとっては遠坂先輩も先輩も憧れなんです”
 と、頬を染めて否定された。いや嬉しいけどね?
 ……嬉しいけど。
 わたしには、桜にそんなこと云ってもらえる資格なんてないよなー、と。嬉しいのと同時にそう思ってしまうのも、また事実。
 照れとかそういうわけではなく、本当にそう思うのだからしょうがない。
 なんて云っちゃうと、たぶん桜は“そんなことないです!”って怒りそうだから、云わないんだけど。



 殊更ゆっくりした歩調で、道を歩く。
 士郎はバイトに行っちゃったし、藤ねえと桜は今ごろ部活に精を出してるんだろう。
 夕陽の照りつける坂道に人の姿はなく、世界にゃわたしひとりだけー、なんて考えてみたりする。
 ――しん、と。
 静まり返った冬の夕暮れ。
 コートを着ていても、ひたひたと、夜の気配が冷気を伴ってやってくる。寒い。
「今日は鍋物にでもしようかな」
 冷蔵庫の中身を思い浮かべて、夕食を思案。
 何せ、今日、この時間に帰宅するのはわたしだけ。
 朝食当番は士郎と桜に任せちゃったこともあるし、今日の夕食当番は必然的にわたしにまわる。
 虎の食べ残しから見た朝食のメニューがああで、弁当のおかずがこうだったから……
 うん、今日は鍋に決定だー。
 ちょうど冷蔵庫の食材も減ってきた頃合いだし、明日の朝食と弁当の分だけ残しといて、ぱーっと整理してしまいましょう。
「よし、そうと決まれば膳は急げ」
 変換間違いじゃないぞ。
 と意味不明な云い訳を胸に、わたしは歩くペースをあげた。
 カツカツカツ、と、靴底がスタッカートめいたテンポでアスファルトを叩く。
 数メートル先の角を曲がれば、あとは一直線である。
 まずは、朝の惨状そのままにせざるを得なかった食器を洗って片付けて――と、実に所帯めいた今後の予定をたてていたところ、
「おねえちゃん」
「ん?」
 気づけば、視界の端に雪が在った。
 ――訂正。雪のような髪の女の子がいた。
 わたしと同じく西日に身体を染められているのに、何故か、そう思った。
「ふふ」
 わたしが立ち止まったのが嬉しいんだろうか。
 女の子は、スキップを踏むように軽やかに、こちらにやってきた。
 紺色のコートと、同色の帽子。安直にロシアを連想させる。
 極寒の地。雪に覆われた広大な大地。
 ああ、この子の髪の色は、そんな場所にこそふさわしいのかもしれない。
 雪のように白い髪を、降りしきるそのものに溶かして舞えば――彼女のなかで唯一強い色を持つ赤い双眸も、また、そこに鮮やかに映えることだろう。
「こんにちは」
「あ……こんにちは」
 目の前にやってきたその子は上品にスカートの裾をつまんで、かわいらしいお辞儀を見せてくれた。
 洗練された動作に、ちょっと見とれる。どこのお貴族様ですか? 日本語が通じるのはありがたいけど。
 まだ十歳やそこらだろうか。女子のなかでも小柄を自認してるわたしより、まだちっちゃい。
 造作のかわいらしさとあいまって、こんな妹がいたら、きっと桜と同じくらいかわいがっちゃうなー、なんて埒もないこと考える。
 と、その子がわたしの制服を引っ張った。
「――ね。まだ契約しないの?」
「は?」
 何とさ。
「早くしないと、始まっちゃうわよ?」
「は?」
 何がさ。
 唐突なことばに、一文字以外の返答が奪われる。
 正確に云うと、思考が答えを得ようとしてフル回転、言語中枢まで力が向かない。
 ……で、何と何がさ?
「うふふ」
 その子は笑う。いたずらっぽく――さながら小悪魔的に。
「忠告はしたわよ。じゃあね、――――――」
「――は!?」
 云うだけ云って、その子は身を翻した。
 紺色と白色が、夕陽に染まってくるりと舞う。
 追いかけなきゃと思うのに、脳みそが思考に没頭してたおかげで、四肢に命令を下すのが遅れた。
「ま、待って――」
 あわてて追いかける。
 彼女の消えた角を曲がるも、時すでに遅し。
 一直線に伸びた道のどこにも、あの、雪の妖精のような少女の姿は見当たらなかった。

 ――シロウにもよろしくね?

 小さな小さな、風にまぎれて消えかけた囁きを、たしかにわたしの耳に残して。

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