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 いつものことといえばそれまでだけど、夕食を終えた桜と藤ねえが帰ってしばらくしてから、やっと士郎がご帰宅なされた。
「お疲れー」
「おお、サンキュ」
 自室より何より真っ直ぐ居間にやってきた士郎に、淹れたばかりのお茶を渡す。
 ふう、と、熱々の湯飲みを手に持って、士郎は卓袱台の向かいに胡座をかいて。まだほんのりと湯気の立ってる鍋を見て、「お」と表情を弛ませた。
「鍋だったのか、今日」
「うん。残り物だけど、ささどうぞ」
 うはー、本当に残骸しかねえ。
 なんて笑いながら、士郎は、わたしの勧めるままに鍋をつっつきはじめた。
 朝に引き続き、夜さえも欠食教師こと藤ねえの猛攻にさらされた我が食卓ではあるが、ギリギリ士郎の分だけは確保して終えることが出来たのである。

“藤ねえ、そろそろ食べ過ぎ。ご飯打ち止め令を出します”
“ええー!? ひどいひどい、今桜ちゃんにお代わりついであげてたじゃない!”
“ふ、藤村先生……私、お代わりこれが一度目です……”
“そういうこと。藤ねえはさっきので三杯目。家主として、あと士郎の晩ご飯確保のためにも強権発動します”
“うわーん桜ちゃーん、鬼っ子がいじめるー!!”
“……先輩……”
“気にしない気にしない。いい? ここで退いたらガブリとやられるからね”
“タイガーっていうなああぁぁ!!”
“云ってないわー!!”
“あ、あは、あははははは……”

 うむ。
 女三人揃えば姦しい、とはよく云ったものである。
 腕組みして頷くわたしから何を読み取ったか、士郎はちらりとこちらを見ただけで、あとはどんどん鍋の食材を平らげていく。
 半分ほど減ってきたところで、おひつ・オープン。
 ちょっと冷えちゃってるご飯を、無造作に鍋にぶち込んだ。
 手荒いなどと云うなかれ。鍋の煮汁をご飯が吸って、なかなかおつな味なのである。
 こればかりは鍋の途中じゃやれないから、最後に帰ってきた士郎だけの特権。
も食うか?」
「……う。じゃあ、ちょっとだけ」
 訂正。士郎とわたしの特権。
 笑顔で渡されたお玉。それを見て、一瞬体重計の目盛りが頭をよぎったものの、ちょっとだけならいいかとご飯をすくう。
 ほとんどお茶漬けのノリでかっこんでいく。
 冷えたご飯と熱々の煮汁が合わさって、実にちょうどいい温度。
「バイトどうだった?」
「いつもどおり。もたまには遊びにこいってさ」
「そのうちね」
「あ、風呂は?」
「うん、お湯はってる」
「そういえばさ、今日、遠坂って学校来てたか知ってるか?」
「――へ?」
 食事の合間の、他愛のない会話。
 そんななか、ちょっと無視できない人名が出てきたおかげで、お茶を注ごうとしてた手が意図せず停止した。
 遠坂さん。
 なんか、今日は彼女に縁のある日だなあ。
 散歩中に見かけたふたりの姿を思い出し、そんなことを考える。
 いや、でも。
「クラス違うし、さすがに出欠までは把握してないなあ」
「そりゃそうか……。いや、それがさ。バイト帰りにビルの屋上見たら、遠坂みたいな人影が見えたんだよな」
 頷いて、士郎が遠坂さんの名を出した説明をしてくれる。
 むむむ。
 「やっぱ見間違いかな」と士郎は云っているが、そんなことはないと思う。
 元弓道部である士郎の視力は、伊達ではありません。それに加えて、わたしの散歩中の遭遇もある。
 あれからずっと、遠坂さんがあの男の人といっしょに動いてたんなら――うん、ビルの屋上に行く理由は判らないけど、少なくとも夜の新都にいたってことに間違いはないわけで。
 ……だがしかし。
 本人が自覚してるのかどうか知らないが、男子としての例にもれず、士郎は少なからず遠坂さんに憧れを抱いている部分があるようだ。そこに、“今日遠坂さんが男と歩いてた”なんて云うのはちょっと酷かもしれない。
 なので、話題転換を試みることにした。
 ちょうどわたしの方にも、正解の、というか正体のつかめないネタがある。
「そうだ。わたしも今日、遠坂さんじゃないけど不思議な女の子見たよ」
「女の子? どんな?」
 思惑通り、士郎は早々と思考をきりあげて、わたしの振った話題に食いついてくれた。
「銀色の髪の女の子でね。なんか格好から外国、ロシアあたりの子かなー。よく判んないこと云ってた」
「なんて?」
「早く契約しないと始まるよー、とかなんとか」
「なんだ、それ」
 最後の一口を飲み込んだ士郎の頭上に、でっかいクエスチョンマーク。
「あと、士郎によろしくって。……士郎、ロシアに知り合いいる?」
「いるわけないだろ。のほうこそどうなんだよ」
「正面に同じ」
「……その子人違いしてたんじゃないのか? ――って、俺によろしくって云ったのか」
 仮説はすぐに撤回。
 箸で自分を指すということをやる士郎。頭上のクエスチョンマークはますます巨大になっていく。
 が、唐突にその表情は変化した。
「そうだ。もしかしたらってことがあるぞ」
「なによ?」
「“士郎”じゃなくて“シロ”だったのかもしれん」
 箸と器を台におき、ぽん、と手を打ち合わせ。
 云うに事欠いてそれか、きょうだい。
「んなアホな」
 やる気のない裏拳を繰り出すわたしを見て、士郎はにんまり笑ってる。
 ……この野郎。
 睨んだのと同時、ヤツは、わたしの予想どおりのことを口にした。
「だって前例があるし」
「……じゃあ、この場合、あの子はなんになるのかな、シロウくん?」
 わざとらしく、シロウ、とアクセントを変えて笑ってやる。
 ひたひたと迫る怒気に気づかぬわけでもなかろうに、士郎は「うん」と頷いて、
「シロの生き別れの姉が転生して前世の記憶を持ってやってきた」
 ――もっともらしく頷くその額に、わたしの投げた箸が刺さった。


 シロというのは、猫の名前だ。
 衛宮が衛宮になる前に飼っていた、小さな白い猫。
 名前の由来はもちろん、白いからシロ。なんて安直。
 だが実は、この名前こそが、を衛宮に結びつけてくれたといっても過言ではない――どころか厳然たる事実なのだ。
 と、ここまで云えば賢明な誰かさんあたりなら理解してくれるだろう。
 そう。
 それは、あの大火事のあとの病院での話。
 一人の子供に、引き取り手が見つかった。
 引き取った男は、同じく火事で焼け出された子供のひとりが、うわごとで、自分の引き取った子供の名をつぶやいているのを聞いた。
 ……ああもう。ベタベタすぎて我ながら笑える。
 子供の名前は士郎。
 引き取った男は衛宮切嗣。
 うわごとをつぶやいてた子供は

 ――わたしは朦朧とした意識のなかで、大好きだった小さな白い猫のことを、ずっと呼んでいたのだ。

 シロと士郎。
 ……そういう、ことなのだ。
 ちなみに真実が明らかになったとき、切嗣は、後にも先にも見たことのない大爆笑をかましていた。士郎も腹を抱えて笑っていた。
 その後当然のようにひきつけを起こしたふたりに、わたしは、当然のように天誅を加えておいた。それから拗ねた。
“いいじゃん、別に。そんなのが理由でも”
 いち早く復活した士郎のことばがなかったら、菌糸類が生えてたかもしれない。
“俺は、と家族になれて嬉しいぞ”
 はじまりが、何であっても。今この手には、ふたつとない宝石があるのだと――
 そう。そのことばで教えられた。
 で、その後、今度は切嗣が拗ねた。士郎のことばに自分の名前が出なかったのが、いたく不満だったそうな。
 子供ふたりで大の大人を宥めて――最後には三人揃って笑い出し、大の字に転がったのを覚えてる。

 だから、衛宮は衛宮であることを嬉しいと思うし誇りにも思うのだ。
 それが本当は、綱渡りよりも危うい礎の上にあるのだとしても。

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