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 ……そうして目を覚ます。
「ん」
「あ」
 窓から見える空は薄暗い。雲があるわけではないようだから、まだ早い時間だってことか。
「うー」
「おはようございます、先輩」
 二度寝に突入しようとした身体を起こして、頭を振る。夢のなかから引きずってきたような熱が、それで消えた。
 ほっとする。
 何しろ、昔のことを夢に見たあとの朝っていうのは、決まって身体がこんなふうに熱を持つ。今みたいにあっさり振り払えるのなんて、稀。ことによると、行水やらなきゃいけないほど滞熱してることがあるのだ。
 むしろ、こんなふうにあっさり払えたことのほうが不思議。
 不思議だけど、嬉しくないわけがない。むしろ嬉しい。
 ――さて、それじゃ、
「ふぅ」
「今日は早いんですね」
 そろそろ、何故か人の寝床の真横でにこにこ微笑んでいる後輩の存在に気づいてやるべきだろう。
「何やってんの、桜」
「え」
 にっこり笑って「おはよう桜」とゆーのを予想してたんだろう間桐桜ちゃんは、ため息混じりのわたしの問いに、本気で目を丸くした。
 別に、いつの間にか衛宮家に入ってることをつっこんでるわけじゃない。桜には合鍵を渡してあるから、出入りは自由。問うているのは、なんでいつもより早い時間に、しかもわたしの部屋にいるのかってこと。
 桜もそのへんはすぐに察したらしく、ちょっと気まずそうに視線を彷徨わせた。
「……起こしにきたんですけど……ダメでしたか?」
 たぶんそれは、わたしが、昨日盛大に寝坊したからか。
 その気持ちはありがたいんだけど、その分、桜は自分の睡眠時間を削ったはず。――それはさすがに、素直によろこべないぞ。
「あー」
 曖昧なうめきといっしょに、わたしは頬に手をやった。
「ダメとかじゃないけど……そのために桜がいつもより余計に早起きしたんだったら、申し訳ないなあ」
 そこまでしなくてもいいんだよ、と、つづけようとしたら、
「あっ、いえ、そんなことないです!」
 扇風機もかくやの勢いで、桜は左右にかぶりを振った。
「昨日は早めに寝たんです。だからその分早く目が覚めちゃって、えっと、だから、今日は先輩にも早起きしてもらって、三人でいっしょに朝ご飯作れたら――って」
 セリフ自体はほとんど息継ぎなしなのだけど、だんだん、その音量が落ちていく。比例するように、その頬には朱がさしはじめた。
 ……こんなん学校の男子に見せたら一発でオチそうだ。
 そしてトドメ。
 ちょっぴり涙目になって、手を胸元で組み合わせ、桜はわたしを上目遣いに見る。
「――――ダメですか?」
「――――ダメじゃありません」
 訂正。
 女でもオチるわ、これは。
 でも、桜ちゃん。
 出来ればそういう最終兵器は、うちのきょうだいに対してのみにしてやってください。わたしはまだ、百合の花咲くヴァージンロードに足を踏み入れる気はありません。


 とりあえず桜に士郎を起こさせて、彼女のお願いどおり三人で朝ご飯の準備。そう広くもない台所に高校生男女が三人もひしめきあっているというのは、傍から見たらかなり窮屈な光景に違いない。
 実際窮屈なのは云わずもがななのであるが、
「〜♪ 〜〜♪」
 こう、くるくると楽しそうに働いている桜を見ていると、とても「動くのが大変だし、士郎かか抜けよう」なんて云い出せない。
 結局のところ、わたしも士郎も、桜が喜んでるのなら多少の不具合くらいどうにかなるさー、的思考が稼動中なのである。プラス、やはり大人数で何かやるのが楽しいというのも、理由としてはけっして小さいものではない。
 一人きりより二人、二人より三人――
 わたしも士郎も、一度は独りぼっちを覚悟していたから、こういうのは楽しい。それを教えてくれたのは切嗣であり目の前の桜であり、

「おっはよーう! お、今日はみんな揃ってるね!」

 偉い偉い、お姉ちゃんは嬉しいぞぅ。
 などとぬかして庭からあがってきやがった、昨日の朝食泥棒でもあるのである。


 空腹を訴える虎こと藤ねえのお守りには、わたしこと衛宮が抜擢された。今日の朝ご飯は昨日に引き続いて和食なので、その道のプロである士郎は外せない。
 そうなるとわたしか桜が食事の準備から抜けることになるのだが、ふっふっふ、鈍ちんの誰かさんと違って、衛宮は桜の淡い気持ちにちゃーんと気づいているのである。となれば、これは必然の人選であるといえるだろう。
 ……まあ、橋渡しなんてお節介をする気はないが、台所に立つふたりの背中をにやにや眺めるくらいは、切嗣だって許してくれるさ。
「そいでさ、葛木先生におべんと持ってきた女の人がすごい美人でねぇ」
 テレビの流すニュースとはちっとも関係のないことを、藤ねえはみかんむきつつ話してる。
 葛木先生というのは、藤ねえと同じくうちの学校の教師。担当教科は現代社会並びに倫理。生徒会の顧問もやっているので、生徒会長である柳洞一成と繋がりのあるわたしたちは、何かと顔をあわせることが多くなっている。
 性格は寡黙にして誠実。とっつきづらい雰囲気と、ちょっと強面な顔つきのおかげで下級生には恐れられているが、それ以上に上級生から慕われている、ちょっと変わった先生である。
 これまで浮いた噂ひとつもなかった葛木先生に女性の影が見えた、と、藤ねえは云っているのだ。見たのは影じゃなくて本人だろうけど。
「美人?」
「そうだよー。どっかの外国の人かなあ、可憐かつ清楚かつ高貴で葛木先生ベタ惚れー! って感じ」
「いや、最後のは美人の定義に関係なかろ?」
 一応つっこんで、ふむ、と考える。
 今の喩えに一番近いのは――やっぱり桜か。あの子が華族の出だったりとかしたら、それっぽく育ったりするのかもしれない。
 ふむふむ。
 成長した桜か……
「藤ねえ。今度その人が来たら、わたしにも見せて」
「いいよー。なんだったら写真撮っとこうか」
「……同意はとれよ、藤ねえ。
 朝食を卓袱台に並べて空になった盆で、士郎がわたしと藤ねえの頭を軽くたたく。
 ここんっ、と、ほとんど連続した音が響いた。自分の頭ながらいい音である。中身が詰まっている証拠。……ってスイカかよMy頭。
 そこに、一足遅れて桜がやってきた。
 努めて平静に振舞おうとしてるけど、む、と引き結ばれた口元は隠せない。何がそんなにご不満なのやらと思いきや、桜のほうからわたしに寄ってきた。
「……先輩」
「ん?」
 わたしの腕をひっつかみ、自分の方に引き寄せて、レッツ内緒話。
「士郎先輩、やっぱりその……大人の女性が好みなんでしょうか」
「唐突に何を云うのかあんたは」
「だって、写真のこと反対してない……」
 ああなるほど。
 桜ちゃんとしては、大好きな士郎先輩にはそういういかがわしい企みに、断固反対の姿勢を見せてほしかったわけなのね。
 だけど、これって男の性だよね。
 ましてや、あんまり人の造作を気にすることのない藤ねえをして“きれい”と云わしめるお姉さん。わたしだって見てみたい。故にさっきの発言になったのだから。
 ――と。
「ごほん」
 わざとらしい咳払いをして、士郎が身を翻した。すたすたと台所に戻る際にちらりと見えた、奴の頬は微妙に赤い。
 なんだなんだ。何があった。
 美人の話もどこへやら、わたしと桜は顔を見合わせる。
「…………」
「どわ!?」
「きゃあっ!」
 その間に、ぬうっ、と、藤ねえの顔が生えた。
「気配を絶って動くな! 何よいったい!?」
 まだ耐久力が足りず、あわあわとしがみつく桜の頭をなでてやり、わたしは藤ねえと対峙する。
 が、藤ねえの視線はわたしたちを見ていない。いや、方向は確かにこちら側なのだが、その向けられた先は――
「……その肉をよこせ、桜ちゃん」
 わたしの腕にしがみついてるせいで、ぎゅ、と両側と前面から押されて強調されてる桜の胸。
「このセクハラ教師ー!」
 それに気がついた途端、間髪入れずに繰り出したわたしの手刀は見事、虎の頭頂部に突き刺さった。
 士郎のやつ、さっきの紅潮はさりげなく堪能してたからか、あの健全男子高校生めが……ッ!!

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