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 ――などと。
 騒がしい朝を過ごしたものの、その後はいたって落ち着いた一日だった。

 桜と藤ねえを送り出し、わたしと士郎も家を出て、大人しく授業を受け――そんなこんなで、今は放課後。
 西日のあたる教室で、わたしと士郎は一成のおいてった故障ストーブと格闘していた。
 一成は、何ぞ昨日に引き続き用事があるというので、作業途中で帰宅してもらった。それに何より、わたしらの行う“修理”は、魔術の領域。一般人である一成に見られたら、彼を抹殺しなきゃならない。
 冗談はよせと笑われそうだが、あにはからんや。
 魔術師は、一般社会から姿を隠すイキモノなのだ。
 そう、協会がさだめているんだそう。
 ちなみに協会とは、魔術師の元締めとも云える組織。ロンドンだかどこだかに本部を置いていて、規模は底知れぬでかさ。おおよそ世界中の魔術師を管理対象としてるのだから、推して知るべし。その組織が、一般社会に影響を起こすようなコトした魔術師を、その規模・傾向問わず粛清してしまうらしい。
 規模傾向問わず。つまり、悪事をやったらというわけではない。
 バレるようなことをやったら、なのである。
 逆を云うなら、バレなきゃどんな無茶だろうが非道だろうがお咎めなしだということ。その一点を侵せば――魔術の存在が一般にばれるようなコトをすれば――それが悪事だろうと善事だろうと監視に捕縛、厳罰や粛清、ひどくすれば抹殺の標的にされちまうのである。
 ま、切嗣がそうだったように、わたしも士郎も潜りの魔術師(くどいようだが見習とモドキ)であるため、今みたいに他人の目さえ注意していれば、協会に干渉されるようなことはないといえよう。
 ささやかな平和と日常を守るためなら、ちょっとくらいこそこそしたって後ろめたくなんかないのである。
 故に、

「あ、部品作り損ねた。、分解」
「士郎のへたっぴー」

「次はこのネジ?」
「そう。ドライバーはこのサイズ……同じのないな」
「つくっちゃえ」
「軽く云うなよ、学校で出来るのなんて設計図読むくらいだ」

 なんてのどかな会話とともに、衛宮のきょうだいはストーブいじりに熱中しつづけるのであった。




 そして、熱中しつづけた結果どうなったかというと――
「真っ暗だな」
「真っ暗だね」
 こうなった。

 作業の合間に会話していたはずが、いつの間にやら、会話の合間に作業という形にシフトしてしまっていたらしい。
 トンネルを抜けるとそこは雪国だった――
 ではなく、
 作業を終えて立ち上がると窓の外は夜だった――
 である。
 まあ、途方に暮れていてもしょうがない。
 作業に使わせてもらっていた生徒会準備室の一角に、修理したストーブを集めて寄せる。直せなかった何台かは、ちょっと離してまとめた。
 それぞれの群れにわたしが“使用可”“使用不可”の紙を貼り付けてる間、士郎が散らかしてた工具や部品を片付けていく。
「あいたたた」
 うーん、と伸びをすると、背骨がぐっきり悲鳴をあげた。
「年寄り」
 笑いながら立ち上がった士郎も、
「……いてて」
 座りっぱなしで尾骨が悲鳴をあげたらしいので、仕返しとばかりに笑ってやった。

 今から帰宅するとなると、もうかなり遅い時間になるだろう。幸いというかなんというか、今夜に限って桜と藤ねえの訪問予定はたってなかった。
 彼女たちを待ちぼうけさせるようなことだけはせずにすんだので、その点に関しては安堵。
 疲れた身体を引きずり――魔術というのは精神も体力も消耗が激しいのだ――、肩を並べて通用口から出る。昇降口なんて、とうの昔に閉まってる時間だ。
「あれ?」
 通用口に申し訳程度に灯された明かりの下で、わたしたちはお互いのそれに気がついた。
「士郎、手、ぶつけた?」
こそ」
 カバンを持った士郎の左手の甲と、それを示すわたしの右手の甲。
 そこに、なんだか変な形の痣が出来ていた。
 目の錯覚や、頭上の灯りの陰影のせいじゃない。ぼんやりと、皮膚の一部が変色してる。その割に、痛みはない。だから、いつ出来たものかなんて判るはずもない。
 さっきストーブの修理中だったかもしれないし、もしかしたら、もう何日も前からこうだったのかもしれない。……一瞬、逆日焼けで模様でも出来たんだろうかと思ったが、こんな季節にそれはないだろう。スキーにでもいきゃ別かもだけど。
 しばらく首を傾げたものの、特に痛みや痺れが生じてるということもないので、まあいいかとばかりに、わたしたちは歩き始めた。うーむ脳天気。
 そうして、校庭に出る。小高い丘の上に建ってる我が校の運動場から見上げる星空は、また一段と澄み渡ってきれい。
 急ぐ理由もないし、星座当てでもしながら帰ろうか――そう考えてた矢先のこと。

「――――」
「…………」

 その瞬間まで気づかなかったのは、まさに迂闊。
 何の心構えもなしに足を踏み出した校庭は、細胞のひとつひとつまで凍らせかねない殺気に満ちていた――――


 ずくん。と。

 心臓が跳ね上がる。
 おおよそ日常において感じたことのない、濃密な殺気。自分たちに向けられたものでないと判っていても、肉体は自然と恐怖に身構えた。
「何」
「判らない」
 問いはどちらからか、惑いはどちらからか。
 答えなど得られないと判っていて、わたしたちはつぶやいた。
 足は動かない。
 下手に動けば、周囲の殺気がとたんに実体を持ってこの身を貫いていくのだと感じてる。
 そうしようと思ったわけでもないのに、感覚が研ぎ澄まされる。
 学生である衛宮から、神秘に身を置く衛宮へ。
 横にある士郎の表情も険しい。こちらもすでにシフト済みのよう。

 そうして、その音に気づいたのは士郎が最初。

 ゆっくりと周囲を見渡していた動作をとめて、士郎は、運動場に向かう一点を凝視する。意識しているのかいないのか、手をカバンから離して耳の後ろへ。おわん型を模したそれは、小さな音を拾おうとするときによくやる仕草。
 断っておくが、士郎もわたしも聴力に不具合を持つわけじゃない。
 ならば答えはひとつ。
「何か聞こえるの?」
 聴力を“強化”するくらい、いくら半人前といえどさして難しいことではない。魔術師ではないわたしには無理だけど、士郎には出来る。
 ジャマをしないように小さな声で問うたらば、こくり、と頷きが返ってきた。
「金属がぶつかってるみたいな……」
「チャンバラ?」
「そんな生易しいもんか」
 茶化してみたものの、わたしだって判ってる。
 百歩譲ってヤクザが校庭で命の取り合いしてたとして、結果この殺気が生まれたとして、それじゃあこの、全身に訴える神秘側の警告はなんなのか。
 関るな。
 近寄るな。
 そこへ決して向かうな。
 今すぐに背を向けて、知らぬふりして立ち去ってしまえ。
 殺気に呼応するように、どこからとなく――否、自分の内側から本能が叫ぶ。
 ――けど。
 だからといって、
「誰か戦ってるのか……?」
 放っておけるわけがない。
 つぶやくなり動き出した士郎を追って、わたしも動く。カバンはふたつ、通用口の裏の目立たない場所へ突っ込んだ。
 だって、衛宮士郎と衛宮は、誰か傷ついたり、ましてや命が失われるということが、大嫌いで。それは生き物としての本能や、魔術師としての理性以上に、強く強く、身体に染み付いている根源なのだから。

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