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 わたしたちは、記憶を持っている。
 赤く染まった空。
 灼熱の空気。
 爛れた大地。
 満ち満ちる怨嗟、呪い、嘆き。

 ――――目の前で失われた、失われてゆく、たくさんの命。

 潰える命。
 壊れた命。
 息絶えたひと。
 人でなくなったひと。

 最後に手をとってくれたひとがいなければ、きっと、同じようになっていた。

 自分の後ろに出来た屍や。
 自分の前にあった絶え逝く人や。
 通り過ぎてきた、いくつもの助けを求めてた声の主たち――

 だから■■する。
 あのとき■■■てきた■■■の分までも。
 この手の届く限りの誰かを■■■られるモノになろう――

“僕はね、正義の味方になりたかったんだ”

 曖昧にして不透明だった目標に形をくれたのは、遠い空を見上げてつぶやいた、切嗣のことば――




 ――たどり着いて。目を疑った。
 場に満ちる殺気がなければ、思わず頬をつねっていたところだ。
 場所は校庭。通用口から、なるべく音をたてないように移動してきたわたしたちは、あちらからでは死角になるだろうと思われる場所に立ち止まり、……そのまま凍りついていた。
 場に満ちるは殺気。いや、もうそんな形容さえおっつかない。
 内側から心臓を掴まれたような感覚が、背中に嫌な汗を流させる。
 外側からは重圧。これより一歩でも踏み出せば、神経の数本は軽く焼き切られるかもしれない。もう切れてるのかもしれないけど。
 でも。
 正直に云ってしまえば、思考さえ放棄して硬直してしまったのは、恐怖のせいだけじゃない。

 ――夜の校庭で繰り広げられていたのは、戦い。
   それも、この時代においてはけして眼前にすることさえ出来ないだろう、超常の技量が激突しあう戦争だった――


 ぶつかり合うのは槍と剣。
 対峙するは蒼と赤。
 攻め手は、血のように紅い槍を奮う蒼の騎士。
 受け手は、左右対の夫婦剣を操る赤の騎士。

 槍の一撃はまさに神速。
 剣の閃きはまさに疾風。
 繰り出された刺突とそれを受ける剣閃の激突で火花が散る。数は十。それは、激突の回数を正確に表していた。
 一瞬に、十の火花が散る。
 わたしがもしも常人ならば、そのようにしか見えなかっただろう。
 だが幸い、この身は半端ながらも神秘の領域に半分を置くモノ。従って、彼らの軌跡をとらえるのは両の眼だけではない。目の前の戦いにあてられたかのように、わたしの感覚は全開放(フル・オープン)。
 外部に向かう感覚回路すべてを使い、その戦いを凝視する。そうでなければとらえられない。意図してやっているわけではない。明らかに、わたしは彼らに引きずられている。
 それほどに、蒼い騎士の槍も赤い騎士の剣も超常だった。
 研ぎ澄まされた感覚は、いまや士郎が唾を飲み込む音まで聞き取ってしまう。さっきの場所では士郎にだけ聞こえてたこの音も、今の状態であれば容易に聞き取ることが出来よう。
 だけど、今のわたしの状態は危険。一歩間違えば、濃密の殺気やその周囲に渦巻く魔力に、一気に意識を――この身の小源ごと持っていかれる。
 冗談ではない。
 この場にあるのは大源ではないのだ。殺気によって変容したか、あのふたりから溢れる魔力が霧散せずそこに留まっているのか知れないが、視認さえ出来そうなほど凝縮された魔力がここにはある。
 こんなのに一瞬でも溶け込んでみろ、それを生み出し消費しているあのふたりの糧にされてしまうのなんて目に見えている。
 魅了されかける魂を、引き止めろ。
 意識はここに。
 この場所に。
「――――」
 固定する何かを求めて彷徨った手が、士郎の制服の裾を掴んだ。
「……」
 士郎はちらりとこちらを見ただけで、何も云わずにまた視線を前に戻す。だけど、それはわたしにとって、何よりの安定剤。
 再び戦いを見る。
 何の偶然か、それを待っていたかのように、真紅の槍は双剣の片方を弾き飛ばしていた。
 瞬間。物であるはずの槍を、意思をもった魔獣に錯覚する。
 武器を失った赤い騎士の空いた懐に突き込まれる槍。それこそは必殺の一撃にして致死に至らせる魔槍。
 だけど、赤の騎士はそれを受け止めた。
 失われたと思われた双剣の片割れが、すでに彼の手に握られている。槍を弾いたのはそれだ。徒手になったのをたしかに見たはずなのに、いったいどんなからくりか。
「チッ」
 苛立ちも露に舌打ちしつつ、けれど真紅の槍の遣い手はその動きを止めない。弾かれた以上に強く深い一撃を打ち込むべく、臆しもせずになお踏み込む。
「――」
 双剣の遣い手の表情は変わらない。不変にして不動。打ち込まれる槍を見据え、そして見切るその双眸は鷹の如し。一歩も退かぬと槍を受けつづけるそれは鋼鉄にも等しい強き意志。
 眼前のそれを凝視しながら、同時に、士郎の唇がことばにならないことばをつくるのを見る。
 ――異常だ。
 ああ、まさにそのとおり。
 だって、槍の特長はその長さ。
 敵の武器の間合いを外し、そこから一方的な攻撃を行うことこそ常道にして正道。
 対して、あの双剣ならば速さ。
 反りのある刃を持つ大陸風のあれならば、何よりもスピードこそを生かすべき。槍を相手にしているのだから、脚を使って翻弄し、隙をついて間合いに飛び込めばそれが決め手。
 ――それを。それを、だ。

 蒼の槍兵は前進する。
 瀑布の如き槍勢を、眼前の相手に喰らわせんと。

 赤の剣士は動かない。
 さながら巨岩のように一歩も退かず、槍を迎え撃っていた。

 ――ありえない。
 常においては決して展開されるはずのない、起こり得るはずのない剣戟。
 だが、目の前のそれは現実。
 夢想としか思えないそれを現実に繰り広げられるのは、あまりにも高い互いの技量故だろう。
 槍兵の怒涛。本来なら戻りの隙がどうしても生まれる槍の刺突であるはずなのに、その手も見せずに次撃が打ち込まれる。
 突き込まれる点をことごとく見切り、双剣を閃かせて弾く剣士は、例えるなら磐石。

 彼らの戦いは、もはや芸術としても過言ではないほど昇華されていた。
 叶うならいつまでも眺めていたい。
 この身を圧迫する過重と、窒息しそうなほど満ちた魔力と殺気のなか、そんなことさえ思わせるほどに。

 だが、唐突にそれは終わった。

 一際高い激突音が、耳を打つ。
 同時に、蒼と赤の間に空間が生まれた。
 一瞬にして間合いを開けたのは、真紅の槍の遣い手のほう。その速度、もはや視認さえままならず。
 それほどの神速を見せ付けておきながら、彼は、困惑と苛立ちを隠そうともせず、双剣の操り手を睨みつけた。

「――二十七。それだけ弾き飛ばしてもまだ有るとはな」

 ただ巌のようだった赤い騎士が、そこでやっと表情を見せた。口の端を軽く持ち上げて、ひどく皮肉的な笑み。
「どうした、ランサー。様子見とは君らしくない」
「はっ。ぬかせタヌキ。減らず口を叩くか」
 応酬される軽口。
 ランサーと呼ばれた男もまた、にやりと笑みをたたえて答えていた。
 だけど、わたしと士郎はそんなわけにいかない。
 ドキドキと脈打つ心臓の鼓動は、今この間もリズムを早めていく。
 よっぽどの鈍感さんならばいざしらず、魔術をかじった身であるわたしたちにしてみれば、怖気以外の何をも感じる余裕がない。
 ――逃げろ。
 一時は忘れていた警鐘が、また鳴り響く。
 だけど。
 今少しでも動けば、満ちた魔力を刺激する。それは波紋になって、あそこに立つふたりの騎士へも届くだろう。その後何が待っているか、嫌になるほど予想は容易い。
 冷たい汗が背筋を伝う。
 何も、予想する未来に怯えてのことだけじゃない。
 静止した状態――戦いに熱を放出していない今でさえ、あのふたりの放つ魔力は桁外れ。ああもう、判ってた。判ってたけど認めたくなかった。
 あれは、人間じゃない。
 人間の辿り着ける場所にいていいものじゃない。
 あれはすでに、この世における法則をぶっちぎった、得体の知れない何かなのだ。
 見守るわたしたちの目の前で、得体の知れないふたりは得体の知れない会話を交わす。
「いいぜ、聞いてやる。貴様、何処の英霊だ? それだけの剣を操る弓兵なんぞ、聞いたこともない」
 ――英霊。
 なんだっけ、それ。なんか、ひどく大事な情報っぽい気がするんだけど。
 あーもう、ちゃんと動けわたしの頭。切嗣が教えてくれただろう、魔術の先生は出来ないから、神秘に関る知識を出来る限り――って。こんなときに出てこなくて何のための知識か。
 だけど、それでも意味のつかめる部分はある。
 ランサーと呼ばれた彼は、双剣を操っていた赤の剣士を“弓兵”って云った。ならば、あの剣士は弓を本分として戦うものなのか。
 ……あー。
 なんか、ランサーの苛立ちが少しだけ読めた。
 ランサー。名のとおり槍の遣い手たる彼がその本分たる槍でもって立ち向かったというのに、迎え撃った弓兵の獲物が剣というのでは、そりゃ、舐められてるとか思ってもしょうがない。
 事実、弓兵と云われた赤い剣士の浮かべる笑みは、どこまでも皮肉混じり。
「そういう君は判りやすいな、ランサー。それだけの速さを誇る者など、座中でも三人ほどしか居まい。加えて、その身のこなしとなれば――」
 プラス、どこまでも婉曲的。かつ意味ありげ。かつ皮肉エッセンスみっちり。
 相手があんなじゃなければ、わたしこそが襟首掴んで素直に吐けとか迫ったかもしれない。
 などと思った次の瞬間。
 襟首引っつかみに飛び出さなかったことを、わたしはわたしに感謝した。

「――云ったな」

 ランサーの表情が一変する。
 呼応して、大気が凍結する。
 連動して、大気が沸騰する。
 噴出したランサーの殺気はまたたく間に、校庭を中心とした小さな世界を塗り変えていた。

「ならば喰らうか、我が必殺の一撃を――!」

 蒼く猛る灼熱の焔。

「止めはしない。いずれは越えねばならぬ敵だ」

 紅く凍てつく永久の凍土。

 相反する殺気。
 ぶつかれば、間違いなくどちらかが砕ける。

 ――ランサーの手に、再び、あの真紅の槍が握られる。
 石突を高く掲げ、切っ先は低く地面スレスレに。
 奇妙な型に構えられた槍は次の瞬間、ランサーの殺気に次いで再び大気を一変させる。

「――っ!!」

 喰らう。喰らう。喰らう。
 ――喰らわれる……!
 服を握りしめる手に力をこめた。
 士郎。
 祈るようにその名をつぶやく。そのきょうだいにしても最早、目の前の光景に中てられて、傍らの誰かのことさえ忘れているのだろう。
 大源に溶けていないわたしの意識さえひきずって、大気に満ちていた魔力という魔力を、槍は、欠片たりとて残してなるかとばかりに喰らっていた。
 ――魔槍。
 さきほどただの形容として浮かべたそれは、まさにあれにこそ相応しい。
 ランサーのことばに嘘はない。
 あれこそは必殺。
 必殺の一撃とは、二撃目の不要を顕すのだ。

 ――ならば。

 アレの標的と定められた赤い騎士は。

 ――死ぬ。

「…………ッ」
「――ぁ」

 死ぬ。絶対に死ぬ。
 次にあの槍が閃いた瞬間、あの赤い騎士は死ぬ。
 それは必然。必殺とはそういうことだ。

 死ぬ。

 誰かが死ぬ。

 目の前で命が潰える。

 それがたとえ、この世に在らざるモノだとしても。
 意思を持ち、自らを持ち、動いて話す、誰かが潰える、それは。

 ――――それは。




“ジイさんの夢は、俺が――”
“お父さんの夢は、わたしが――”

 衛宮切嗣の夢。
 正義の味方になりたかったんだと、彼が遠い眼差しでつぶやいたあの日、

“――――うん。君たちは君たちの”

 衛宮切嗣と衛宮士郎と衛宮
 三人きりの縁側で、近づくその時を知りながら、穏やかに交わした言葉があった。

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