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 それはどちらだっただろう。
 そして、何故だっただろう。
 緊張か、恐怖か。
 それとも、もっと別の何かか。
 身体が、知らないうちに動いていた。
 足元の砂が、かすかに軋んだ。
 針が落ちた程度の小さな音は、けれど、静寂に覆われた校庭に、信じられないほど鮮明に響いていた。
「――――!!」
 硬直していた殺気が弾ける。
「誰だ!!」
 はるか視線の先で、蒼い槍兵が振り返る。
 相当な距離。数百メートルはあるだろう彼我のそれをものともせず、ランサーの殺気はわたしたちに向けて突き刺さっていた。

「「っ!」」

 同時に地を蹴った。
 凍りついてた神経なんて、あの灼熱の双眸がこっちを向いた瞬時に溶かされた。
 敵に背を向ける愚かさを、かつて、どこぞの戦術書が解いていた。だが、全力で逃げるのならば背を向ける覚悟がなければ叶わない。あの男相手に、そんな常識さえ通用するかも不安だが。

 逃げろ。

 逃げろ逃げろ逃げろ。

 警鐘が鳴り響く。今さら判りきったことを繰り返す。
「――――っ」
 脚は云うに及ばず。
 肺も心臓も、これ以上ないってほど酷使してる。
 だのに、


――!?」

 振り返る士郎の姿は遠い。
 同じように鍛えてきたはずなのに、男女の基礎体力とかリーチの差とかが、こんな場面で如実に出る。
 ……正直、悔しい。
 だけど、それ以上の怒りが、今は胸に噴き上がってた。
「バカ! さっさと逃げろ!!」
 叫ぶ。
 もうこれ以上無理、ってはずだった肺と心臓を絞り上げて、怒号を発する。
 そうなのだ。
 何に対して怒ってるかって、この絶体絶命の危機に、せっかく稼いだ距離を無駄にするかのように振り返って速度を落としてる、バカなきょうだいにわたしは怒っているのだ――!

 だが、士郎は動かない。
 わたしの怒号に臆したわけじゃない。相手が本気で怒ったところも見たことがないような、馴れ合いの付き合いをしてきたわけじゃない。
 彼が動けないでいるのは、もっと別の理由。

「逃げは終わりか?」

 カツン、と。
 硬質な足音を立てて廊下を叩きながら、真紅の槍を携えた蒼い騎士が、わたしの背後に立っていた。


 振り返る暇なんて許されない。
「――ッ!!」
 ランサーが最後までしゃべり終わる前に、横に飛んだ。壁にぶつかるとか、そんなの気にしてられない。
 接点になった肩の骨に、ちょっと嫌になるくらいの衝撃。だけど、槍に貫かれるよりは全然マシ――!
 そして判断は正解。
 さっきの戦いほどの勢いではないものの、正面から繰り出されてさえ避けることは難しい一撃が、わたしの立っていた場所に突き立てられる。
!!」
「逃げろっつってんでしょうが!!」
 士郎が立ってるのは、二階に向かう階段の手前。当然角地であり、あそこに身を隠せば――または階段を駆け上れば――直線の軌道である槍を使う以上、ランサーは、またも追いかけっこをしなければならない。
 それは彼にとってさしたる手間ではないだろう。
 よく判らないけれど、あの赤い騎士をしてどこぞに三人しか居ないとかなんとか素早さを賛美(?)されてたくらいだ、追いかけるのも殺すのも、やろうと思えば瞬時に可能なはず。
 でも、わたしがいる。
 士郎より遥かに間近、容易に手の届く場所に、より抵抗なく摘み取れそうな獲物がいる。――これを逃すようならば、戦士失格であろう。

 ……ならば。
 わたしがここで粘れるだけ粘れば、その分、ランサーが士郎を射程におさめるまでの時間は長くなる。それは確実。だっていうのに――

 ――だっていうのに。
「きょうだい残して逃げられるか――――!」
 うちのバカきょうだいは、稼いだ距離を無にするどころかマイナスにして、わたしたちの方に駆け寄ってきてた。
 その一瞬に、痛感した。
 次いで、納得した。

 最後に、……覚悟が決まった。

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