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 正直、気乗りはしなかった。
 もっと積極的に、やる気が起こらなかった。
 けれども、目撃者はすべて殺さねばならない。それは魔術師のルールであり、彼のマスターの命令でもある。
 先刻の戦いの熱はすでに冷めている。
 戦士たる彼――ランサーにとって、戦う力を持たぬ弱者を狩るということは、本来矜持にかけて出来ぬこと。
 見ればまだ、年端もいかぬ少年と少女。
 それが、追跡の足を鈍らせた。
「――まあ、仕方ねえな」
 立ち止まった気配を感じ、ランサーはつぶやいた。
 学校という建物の中に逃げ込んだことは、槍を使う敵に対しては一応の上策だ。室内では、槍の射程が半ば以上殺される。判断の機転は褒めてもいい。
 だがそれは、相手が常人であった場合のこと。
 そうして、ランサーは人ではない。
 いや、かつて人の世にあった自身は、すでにない。
 この身は英霊として存在し、その一片が此度の戦争において召喚されたのだ。
 ――故に。
 彼に姿を捉えられた、それは、決定された死を示す。
「別れのことば交わすくらいは、待ってやるか……?」
 共に行動していたということは、家族か恋人か。
 いずれにせよ、なんらかのつながりを持つふたりなのであろう。
 感傷めいたことを思って、いや、と首を振った。
 いずれにせよ殺すのだ、ならば恐怖で魂が塗り潰される前にふたつとも摘み取ってしまうほうが、まだあちらも救われるだろう。
 一瞬だけ止めていた足を、それで再び踏み出す。
 所詮、この身は正式の意味で受肉したわけではない。
 霊体になって存在を知らせず近寄ることも出来ないわけではないが、何の力も持たない相手にそれをするのはためらわれた。
 ――そうして、

「バカ! さっさと逃げろ!!」

 息切れして、結果、足を止めているはずの獲物の怒号が聞こえてきて、ランサーは目を丸くした。
 次いで、その口元に笑みが浮かぶ。――浮かべるは、濃い自嘲。
「かっこいいじゃないか、お嬢ちゃん」
 召喚されてからこっち、自身に起こったいくつかのそれを思い出し、黒くよどんだ天井を仰いだ。
「あーあ、ったく。本当にいい女にゃ縁がねえ」
 ならば。
 少女のその気概に敬意。一撃で終わらせることこそを、その証明にしよう――

「逃げは終わりか?」

 最後の一段を登りきり、無造作に突き出した槍は、だが少女の身体を貫かなかった。


「――――」

 その瞬発力。判断。
 振り向かずに横っ飛びして、少女は直線である槍の軌道から身をかわした。
 ごずっ、とかなり痛そうな音がしたが、彼女にとってはそちらの痛みのほうがまだマシだったのだろう。
 目じりに涙を浮かべながらも、少女は壁に背を押し付け、じろりとこちらを睨み――
!!」
 長く伸びる廊下の向こう、わだかまった闇のあたりで足を止めている少年の声に、こめかみを殴られたような表情で振り返った。
「逃げろっつってんでしょうが!!」
 そして叫ぶ。
 その瞬間、おそらく、彼女の脳裏にランサーのことはない。
 それがいかなる隙を生むか、本人とて判っているはずだ。判っていてもなお、少女にとっては少年を逃がすことのほうが大事なのだ。
 ランサーがいかに神速を誇ろうと、何か動作をしようと思えば時間を消費する。狙うはたかだか、その数秒だと?
 逃がすために。
 そこに自身の延命など含まれていない。
 犠牲となるつもりなら、もっと悲壮な色があるはずだというのに、それさえもない。
 眼前の少女が案じるはただ、共に在った少年の無事のみだと――
「……」
 何に対してか。
 刹那の間もおかず次の槍を繰り出すはずだった腕は、動かなかった。
「きょうだい残して逃げられるか――――!!」
 そこに、少年の声が響く。
 ひくりっ、と、少女の頬が引きつった。
 ふたりまとめて殺される恐怖ゆえにではない。
 こうなるだろうと予想して、こうなってほしくないと願って、それでもやってきた結果を受け入れて。

 ……それは、覚悟を決めた目だった。

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