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 赤い外套が翻る。
 マスターたる遠坂凛のことばに従って、彼は、夜の闇に包まれた校舎を駆け抜けていた。
 何のために。
 勿論、標的を先ほどの目撃者に切り替えたランサーを追うために。
「――チ」
 目撃者は殺す。それが魔術師のルール。
 そのとおりに振舞うならば、今の彼の行動は無意味極まりない。
 ランサーが追わねば、そして彼のマスターが遠坂凛でなければ、彼こそがかの槍兵と同じことをしていたかもしれないのだ。
 ましてや、あの場から逃げ出した人間は、おそらく■■■■。
 磨耗した己の記憶にいささか不具合が生じているようだが、間違いはないだろう。なればこそ、見捨てておくが上策。彼にしてもそのマスターにしてもだ。
 だが、遠坂凛が選んだのは彼女云うところの“心の贅肉”そのもの。
 かの少女は魔術師であろうとしながら、魔術師になりきれていない。それこそが彼女の魅力であると彼も理解しているが――
「……ああ」
 思考を止めた。
 破壊された教室の扉が視界に入る。
 その向こうから風に乗って漂ってくる、濃厚な血の匂いが鼻腔を刺激する。
 常人ならば足をすくめるところ、だが、彼は恐れ気もなく教室に足を踏み入れる。散乱した机や椅子、扉の残骸を蹴飛ばして、片隅にわだかまる闇に近づいた。
 側の窓ガラスが割れていて、そこから入り込む夜風が血の匂いを運んでいたらしい。それがなければ、胸焼けしそうな匂いがそこに溜まっていたろう。
「やはり、か」
 胸より溢れ出す鮮血は、ところどころどす黒い。
 力なく投げ出された四肢、青白い顔。そこに生命の息吹は皆無。
 後頭部が、心なし腫れているようだ。
 ただひゅうひゅうと、隙間風のような呼気が、だらしなく開かれた口からこぼれるばかり。
 けれど、それもあとしばらくで絶えるだろう。
「――――」
 彼は無言で、その哀れな死に損ないを見下ろしていた。
「アーチャー!」
「……ム」
 そこに、響く足音。
 遅れること少々で、彼のマスターがこの場に到着したのである。
「あ……」
 黒々とわだかまる闇。そして、それよりももっと黒いモノを見て、遠坂凛の足が止まった。
 だがそれは一瞬。
 意を決したように、彼女は頭をひとつ振ると、つかつかと彼の――横たわるソレの前に立つ。
「アーチャー、ランサーを追って」
「凛」
「ここまでやられたんだもの。せめてあいつのマスターくらい突き止めさせてもらわないと、割が合わない」
「――」
 あえて淡々と紡がれることばに、彼は一瞬だけためらい。
 眼前のマスターのまなざしが、目の前の死にかけから逸らされることなくただ真っ直ぐに注がれているのを見、
「承知した」
 頷きに替えることばでもって、応えとした。
 再び、闇に赤い外套が翻る。
「アーチャー」
 無事なほうの扉から出て行こうとした彼に、遠坂凛が告げた。
「あとひとり……いたはずだわ。確認出来たらでいい、その時点で無事なら保護して」
「うむ」
 応じる彼のことばに、ためらいはなかった。

 ――磨耗した記憶と紡がれる歩みの矛盾、それにまだ気づくことはなく。

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