- /..17 -


-

 眼前に迫るは真紅の槍。
 濡れた切っ先が貫かんとするのは、衛宮士郎の心の臓。その先にある、衛宮の心臓。
 
「――ぁ」

 それまでの速さが嘘みたいに、それはスローモーション。
 感覚全開。
 同調全開。
 ――ゆっくりと、迫りくる死。
 そんな状況だっていうのに、この心は恐怖を覚えない。どうしてだろう。
 いや、恐怖はある。
 それは、この腕のなかのぬくもりが消え去るかもしれないことに対しての恐怖。
 それは、迫る切っ先が今度こそ、士郎の命を奪っていくことに対しての恐怖。
 ――切っ先が迫る。
 ――士郎の血に濡れた槍の穂先が。
 ――すでにずたずたの士郎の肉体に、再度突き立たんと迫りくる――!

 ――だめ。

 それはだめ。
 それは衛宮が許していいことじゃない。
 士郎のためでもある。
 藤ねえや桜、一成や間桐、彼の周囲のひとたちのためもある。
「……ない」
 だけど。
 それを衛宮が許せない理由は。

 何より、衛宮自身のためなのだから、

「――そんなことはさせない――!!」

 わたしは、ランサーの行動をなんとしてでも阻止しなければいけないのだ……!



 意識を切り替えろ。
 肉体を切り替えろ。
 大気の大源を切り裂いて迫る、真紅の兇器。
 それが、士郎を貫くまでに一秒もない。
「――同調――!」
 ランサーに飲み込まれることを怖がってる場合じゃない。いつもの手順をすっ飛ばし、わたしは大源に手を伸ばす。力任せに大源を引き込み、自身である小源を引き出し、凝縮させて眼前に展開。わたしの意志であるそれは士郎の心臓の前に凝り、

 ずぶり、と。

 半ばまでを貫かれながらも、槍の前進をそこで止めた。
「……なっ!」
「――――あ、あぁぁぁぁぁぁッ!」
 中途半端に肉体につなげたままの小源が――生命力が削れられたのだ、身体を貫かれたに等しい激痛が、全身に走る。
 だけどここで終わりにはしない。
「ッ、――解析開始――!」
 小源……“わたし”に突き立ったままの槍に意識を向けた。
 思ったとおりと云うべきか。
 この武器は、士郎の投影より――比べること自体おこがましいのだろうけど――遥かに高密度の魔力で生成されたもの。どこの魔術師の仕業かは知らないが、エーテルによって受肉するべき器を得た、膨大な魔力のカタマリ。それは、槍の遣い手であるランサー自身も同じらしい。
 だったら。
「何を――!?」
 ランサーが槍を引き戻そうとするが、それはさせない。
 彼にとっては、魔力が凝って盾になったようにでも見えたのだろう。
 だけどそれは間違っている。
 盾は攻撃を弾くけれど、“わたし”は、それに貫かれたのだ。
「――」
 激痛を振り切るように、意志力をすべて流し込む。
 退かせない。
 抜き取らせたりなんかしない。
 ここで距離をとられたら、結局はまた襲われる。結局は殺される。

 ならば、この兇器をこそ、ここで破壊しなければならない……!

 剥き出しの神経が、ブチブチと断ち切られていく感覚。表皮を剥がれて、鉄線で縛り上げられたような激痛。
 だけどそれがどうした。士郎はもっと痛いんだ。もっとずっと痛いんだ。
 今動けるわたしが動かなかったら、士郎はこんな痛みのなかでいなくなってしまうんだ――
「結点解明……!」
 結び目を、見つけた。
 茨で織り込んだぎちぎちの固結び。それが数百、数千と重なった――見渡す限り結び目しかなさそうな――ようなソレを、だけど見つけた。
「離解……」
「――なんか知らんが……させるかよ!」
「うあ……ッ!?」
 そこに手を伸ばそうとした瞬間、力負けした。
 けど、一瞬の小競り合いに負けた程度で諦められるわけがない。
「――それは」、
 ずぷり、引き抜けかれる槍に絡みついた小源を頼りに伸ばす。生身の腕を伸ばす。
「こっちのセリフ……ッ!!」
 大きく振られた槍にしがみつく。
 落っことした士郎の頭が、ごつん、と床にぶつかっていい音を立てた。
 「う」と聞こえたうめき声に、こんなときだけど安堵した。こんなときだからこそ力がもらえた。
 士郎が生きてる。まだ生きてる。
 治癒の魔術なんて使えないわたしのやるべきことは、ならば決まってる。
 目の前の障害を全力で排除して、早く、適切な治療を受けられる場所まで士郎を連れて行くこと。
 そのためには、槍を、そしてその遣い手を排除しなければならない。
 槍を抱え込む。
 その柄にがっしりと――かわいく云うならコアラ状態。緊迫感台無し。だけど、この状態ならランサーの攻撃はこないはず。
「……ッ、チ、いつまで粘る――!」
 腹立たしげに、ランサーが槍を振る。
 しがみついたままのわたしも、当然、その軌道に乗って移動する。
 視界の端に、わたしが映った。――映してたモノは窓。ガラス。
 叩きつけられる。
 それは未来視でもなんでもなく、確定とされた事項。
 そして、わたしがそれを認識した瞬間、わたしの身体は窓に叩きつけられ、
「――な――オイ!?」
「させるかって、云った――!」
 それでも、わたしは槍を握りしめつづけ。砕けたガラスの向こうに投げ出される身体といっしょに――その先で槍を掴んだままの槍兵ごと――運動場に落下した。

 落下は一瞬。
 重力に支配されるこの身は所詮、鳥のように舞うことなど出来ない。
 だが、それは相手も同じ。
「離解――」
 空中戦はありえない。
 槍兵である彼は、槍の穂先にしがみつくわたしに攻撃を加える手段を持たないはずだ。
 ならば。
 この一瞬こそが、衛宮にとって最大の好機。
「――開始――!」
 結び目をひとつひとつ解くなんて、悠長なことはしない。
 力任せ。
 力任せ。
 力任せ。
 結び目の強度が勝つか、それを引きちぎるわたしが勝つか。理屈は単純にして明瞭。
 荊の藪に手を突っ込んで、ぎちぎちに密集した蔦をかきまわす。
 細い蔦は難なく千切れた。
 中くらいの蔦はわたしの皮膚を切り裂いて、千切れた。
 太い蔦は、わたしの肉に無数の刺を突き立てて抵抗した。それでも、がむしゃらに手を振り回して千切った。
 ブチブチと千切れていくのは、蔦。そしてわたしの肉――この意志、小源がずたずたに分断される。そこを埋めるように、千切れた茨の刺が入り込んできた。大源に戻して還元する暇なんてない、それはわたしの身体を傷つけながらわたしに食い込んでいく。
 槍兵の赤い双眸が、驚愕に彩られてるのが見えた。
 ふんだ、ざまみろ。このまま残りも――
 そう思ったけど、一瞬は所詮一瞬。茨を全部引きちぎるより先に、わたしは背中から地面に叩きつけられる。
 上からは圧迫感。下には強固な大地。挟まれて、心臓が一瞬動きを止めた。

「っ、が……ッ」

 背中。背中から落ちた。
 頭は打ってない。落ち方としてはたぶん無難。だけど骨が軋む。背骨が潰れたか、肋骨が衝撃に耐えられなかったか。
「ご……っ」
 内臓のどれかが破裂した。生暖かいモノが喉にせりあがる。吐き出したらべったりとした感触が口の周りにへばりついた。気持ち悪い。気持ち悪いから手の甲でぬぐう。――手は動く。じゃあ足は。――折れてない。打撲の痛みがある程度。じんじんと響く熱と痛みはたしかにあるけど、堪えられないほどじゃない。甚大なダメージを受けたのは胴体だけか。僥倖というべきかよりにもよってというべきか。
「――っ、づ……」
 骨はどんなふうに折れたのか。起き上がろうと腹に力を入れたら、みしり、と不自然な圧迫感とともに軋む。
 視界は白く霞む。血が足りなくなったんだろうか? 吐いた量はそうないはずなのに。
「――、く」
 手足は無事。動くのはたしか。
 ならば起きろ、起き上がれ。
 ――べちゃり。
 固い地面についたはずの手のひらは、まるで、濡れた泥沼にでも突っ込んだかのように、ぬめって滑った。
「あれ」
 えっと。今日は晴れてたはず。星座当てしよう、って、士郎と話したもの。水溜りなんてあるはずないのに。
 ――――あ、そうか。
 これ、今吐き出しちゃったわたしの血か。
 でも少ない。
 士郎が出しちゃった分より、ずっとずっと少ない。なら、これくらいで動けないなんて嘘だ。
「……士、郎」
 頭がくらくら。見上げた校舎はぼんやり霞んで、どこの窓から落ちてきたのかもう判らない。
「士郎――」
 動かなきゃ。
 わたしが動かなきゃ、士郎を病院に運んでやれない。
 わたしが動かなきゃ、衛宮士郎は死んでしまう。
 衛宮士郎が死んでしまったら、衛宮は――――――――

「……それ以上動くな」

 じゃっ、と、砂を散らして。
 蒼い槍兵が、もがくわたしの前に影をつくった。

 : menu :