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「――――ぁ」

 見上げる。
 校舎を背にして、ランサーがそこにいた。
 なんて不公平。
 いっしょに落ちたはずなのに、なんだってこいつは、わたしより遥かに容易に立ち上がってるんだ。
 それが生身とそうでないものとの差、戦闘に長けた者と長けてない者の差、そんなことは判ってるけど、理不尽な怒りが沸々沸いた。
 そうして納得した。
 動けないわたし、動けるランサー。勝負はここでついたということを。
 いや、初めから勝負でさえなかったのかもしれない。あんなに必死にやったのに、結果出来たことといえば、死の瞬間を引き延ばしただけだった。窮鼠は猫を噛みはしても、最後には食いちぎられるってことらしい。
「――ぅ」
 ああうん――納得はする。わたしは、こいつに敵わない。
「く――」
 だけど――そんな無慈悲な事実が突きつけられたからって、そのことを理解したからって、はいそうですかって諦められるくらいなら、わたしは、ここに辿り着くより先に息絶えていたはずだ。
 懸命に顔をあげる。
 ランサーを見上げ――睨みつける。
「……え?」
 そして気づいた。
 わたしを見下ろす赤い双眸にもはや殺意はなく、浮かぶのはただ戸惑いという感情一色であることに。
 石突を地面に付き、柄を肩にかけて、ランサーはその場に――わたしの前にしゃがみこむ。気だるげに、だけど、どこか安堵したように。
 ……って、なんでこいつがわたしの無事に安心しなきゃいけないんだ。落胆の間違いじゃないのか。
 そう思って改めて見上げても、そんな感情は見当たらない。
 わたし、もしかして痛みとか死の間際のパニックとかで、感覚が逆転しちゃったとかじゃないだろうか――?
 だってほら。そうでなきゃ、なんで、こっちに向けて伸ばされるランサーの手を、そのまま受け入れたりしてるんだ――
「……ひでえ状態だな」
 地面に張り付いてたわたしの手をとって、ランサーはつぶやく。血で汚れるからやめといたほうがいいと思うんだけど、生憎、そういう注意をしてやる気はない。
 そもそも、なんだってこいつはいきなり殺気を消したりするのか。吹きつけるそれに対抗するために張り詰めてたこっちの気が、おかげで大きくたわんでしまった。
 一度弛んだ糸は、なかなか張りなおせない。彼の武器を分解しようと精神体力ともに酷使したおかげで、なおさら。
 ……ていうか。
 あれだけがんばったのに、なんで、そこの真っ赤な槍は無傷で奴の肩にかつがれてやがりますか……!?
「なあ、嬢ちゃん」
 その槍と同じくらい、それ以上に鮮やかな赤がふたつ、わたしを見る。そこに漂う感情の波に、苦労を無駄にした怒りが、さわさわと凪いだ。
 ――ランサーの眼差しは、それほどに真摯で、それほどに澄んでいた。
「このままじゃ、間違いなくおまえさんは死ぬ」
「……っ」
 “でしょうね”――つぶやくことも出来ず、わたしの喉は、呼気をこぼしてじくじく疼く。
 士郎。
 士郎、士郎――
 ランサーの向こう、そびえる校舎のどこかで倒れ伏してるきょうだいを思った。
 病院に。連れてかなくちゃいけないのに。
 衛宮は、衛宮士郎を、また平穏な毎日に送り返さなくちゃいけないのに。
 そうして。
 敵意のなくなったランサーを見る。
 ……頼めないだろうか。彼に。
 さっきまでの戦いが嘘みたいな、今のこのひとになら。
 死にかけのわたしにかかずらってないで、士郎を病院――の中は無理だろうから、急患用の入り口とか――に運んでくれ、って。
 うん。
「――――ぁ」
 ダメ元で、頼んでみようと、喉に力を入れた。
 ――瞬間。
「まあ、このままじゃ俺もお陀仏だけどな。――たく、令呪をサーヴァントとのラインごしに引きちぎる奴なんざ初めて見た。ヤツだって出来るかどうかって芸当だぞ」
 なにやら、ちんぷんかんぷん意味不明なことを、この槍兵は仰いました。
「……死、ぬ?」
 なんで。
 目の前のこいつは、別に怪我とかしてるふうじゃないのに。
 浮かべた疑問符が届いたか、ランサーは、どうにも形容しがたい微妙な表情で、
「いやな、説明すると長いんだが――早い話、このままだとここで心中ってこった」
「え。」
 うわ。声が出た。
「そんな嫌そうな顔すんなって」
 うわ。顔面の筋肉動いてたのか。
 むむう。げに恐ろしきは土壇場の無意識とか本音。
 慄くわたしを、ランサーは苦笑して眺めている。だけど、その表情はすぐに、さきほどの静かなものに切り替わった。
「なあ。……この状態からでも助かれるなら、助かりたいか?」
 ……何を訊いとるのか、この男は。
 わたしが何のために、ここまでずったずたになったと思ってるんだ。
 こちらがむっとしたのが判ったんだろう、ランサーの口の端が少しだけ持ち上がる。
「ああ、悪ぃ。愚問だったな。――よしよし、それじゃあ、かなりの賭けだが手段がひとつある。……乗ってみる気は、当然あるよな?」
「……」
 あんたが、こっちを騙してるんじゃなけりゃあね。
 とか云ってやろうと思ったが、そんなことはないだろう、とすぐに考え直した。
 なんだかなあ。
 敵に何を思ってる、とか云われそうだけど、――なんだかなあ、このランサーってひと、敵意がない状態だと、なんてゆーかすごく懐っこい猛獣みたいな感じがするのだ。
 だからつまり何かと云うと――まあ、信じてもいいかな、って思ってしまったのだ。
「――――」
 またたきを、ゆっくりと、ひとつ。それで肯定の意は伝わったはずだ。
「よし。じゃあ、今から云う台詞を繰り返せ」
 満足そうに笑って、ランサーがそんな指示を出す。
 うう、正直声を出すのさえしんどいんだけど……しょうがない。さっきまでの小源引きちぎりとか、飛び下り自殺もどきに比べればまだ耐えられる余裕はあるだろう。

「――――告げる」

 まぶたを伏せて、ランサーがつぶやいた。
 ともすれば、声の代わりにからまった血糊を吐き出しそうな喉を懸命に絞って、彼に倣う。

「……告げる」

 なんだろう。
 じんわりと、大源がわたしたちの周囲に凝りだした。

「汝の身は我の下に、我が命運は汝の法に」
「汝の身は、我の下に……我が命運は、汝の法に」

 熱い。
 ランサーに未だとられたままの手に、熱を感じる。
 ただ、不快には思わなかった。

「聖杯のよるべに従い、この意、この理に従うのなら」
「……聖杯のよるべに従い、この意……この理に従うのなら」

 手が熱い。
 身体が熱い。
 周囲の空気が熱い。

 何かが起こる。
 それは、云われるままに復唱しているわたしのことばがスイッチだ。
 まったく予想のつかないそれに、知らず、支えを求めたらしい。指先に力が入り、ランサーの手を握り返す形になる。蒼い槍兵は薄目を開けてそれを見、小さく笑っただけだった。

「我に従え。ならばこの命運、汝が魂に預けよう」
「我に従え、――ならばこの運命、汝が魂に預けよう……?」

 ――そう、わたしが復唱し終わったと同時。
 くしゃり、と、頭をなでられた。


「ランサーの名に賭けて、誓いをここに。――あんたを俺のマスターとして認めよう」

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