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 さっきからの戦いでぐしゃぐしゃだったわたしの髪をさらにぐしゃぐしゃにした大きな手の持ち主は、にっこりと、それはそれは優しい笑みを浮かべていた。
「――?」
 ちくり。手の甲に痛みが走る。
 安心したせいか、校舎を出るときに士郎と話した痣が今ごろ痛み出したらしい。
「あ……!」
 それで。
 今のやりとりで頭の隅に押しやってた、ほったらかしてきたままのきょうだいのことを思い出した。
「――――いたっ」
 起き上がろうとして、また転ぶ。
「嘘つき……!」
 助かる、とさっきたしかに宣言していたランサーを、恨めしげに睨み上げる。
 が、ランサーは後ろめたいところなんぞ一ミリもありません、な顔して、いつの間に取り出したのやら……何ぞ小さな石のようなものを手に持っていた。
「いや、治すのは今からだ。――ほれ」
 その石が、ずい、と目の前に差し出される。
 ……って……
「く、食えと?」
「ああ」
 おのれ、半死人相手にどこまで冗談こく気だ……!?
 ふるふると怒りに震えるわたしに、だが、ランサーは容赦しない。
「大人しく食ってくれよ? 呑ませて内側から干渉かけたほうが早いんだぜ」
「喉に詰まらせて窒息死させる気だろ……!」
「アホか。そんな遠まわしなことやる必要がどこにある」
「……そ、それはそうだけど……」
 それにしたって、なんというか、石なんて飲めと云うからにはもうちょっと安心できる理由がほしいと思う。
 ――などと、逡巡していたのがまずかったらしい。
「いいから」、
「へ?」
「飲め」
 がっし、と、顎をつかまれた。
 無理矢理上向きにされた視界の先で、ランサーが、わたしに飲ませようとしてた石を自らの口に放り込む。が、喉は動かない。つまり、彼は石を口に含んだのである。
 んでもって。
 顎をつかんだままのランサーの手に、力が加わった。
 ランサーの上半身が傾ぐ。まるで水が上から下に流れるような……そんな、どこまでも自然な動作で、彼の顔がわたしのド真ん前にやってきた。
 距離は限りなく零に近い。何しろ、赤い双眸にわたしが映ってるのが見えるくらいだ。
 そして、その距離はさらに縮もうとしている――

 ――――って。ぷりーずうぇいとぎぶみー。

「ま、――――――――!?」

 彼我間の距離、零。
 反射的に目を閉じた。
 “ま”と、中途半端に開いてた唇に、あたたかい何かが触れた。いや何かなんて判ってるけど判りたくないっていうか自覚したくないっていうかいざそれを認識しちゃったらたぶんわたしの理性Gがこのままオーバーヒートしちゃうっていうか……!
「む、う――――ッ」
 逃れようにもさせてくれない。
 わたしの顎をがっちり固定した手は、ほんのわずか首を傾けるコトさえ許さない。
 結果として、そのあったかいモノはわたしの唇に触れたままということになって、生身じゃないくせにあったかいなとか触れた箇所がだんだん熱を帯びてきたとか――
 待て。
 待て待て待て。
 これはやばい。やばいったらやばい。
 なんでわたしの心臓ってば、さっきまでと別物みたいな動悸を刻んじゃってたりするわけですか――――!?
 パニックしてるうちに、引き結んでたはずの唇が押し開けられた。何か固いもの――さっきの石が、わたしの口内に押し込まれる。
「ん」
 それだけならまだしも、
「――ぅ、ん――――」
 つづいて、なんだかぬるりとしたものが侵入してきやがりましたよ、切嗣パパン――――!
 その侵入してきたモノは、早く飲めと云わんばかりに、まだ口のなかに留まってた石を突っついた。押されて、石がじわじわと奥のほうに動いてく。
 って、うわ、待て。
 滑ったのかなんなのか知らないけど、石以外の場所をつつくんじゃない――――!
「――――っ」
 刺激される。
 ほぐされる。
 唾液が口のなかに溜まって、こぷこぷ云ってる。なんかいつもより多い気がする、なんで? そして、面白がってるみたいに唾液腺のあたり――舌の裏側を重点的に突っついてるそこの奴、いったい何を考えてる?
 顎を固定してた手は、いつの間にかわたしのうなじに添えられて、ますます動けない状態に持ち込んでた。もう片方の手は背中を抱き上げて、ゆっくりと上下にさすってる。
「……っ、ん」
 う。うわわ。
 まずい、まずい。
 頭ぼんやりしてきた、酸素足りてない。
 呼吸。
 呼吸させろこのバカ。
 力の入らない腕を持ち上げて、ドン、とランサーの膝を叩いた。
 が、ランサーはぴくりと身じろぎしてそれだけ。それどころか、口内で蠢く奴の――ええいもう云うよ云いますよ――舌は、ますます急かすように動き出した。
「んっ――ぅ……っ、ん」
 判った。
 判ったから動かないで。
 これ以上やられるとなんかもうダメっぽいから。
 ちゃんと、石、飲むから――――!
「っく、ん」
 外部の刺激と口内の唾液で、ゆるゆると――だけどもうかなり舌の根っこのほうに行ってた石を、意を決して食道に送った。
「ぐ……っ」
 固くてごつごつした異物が、食道を押し開けて落下していく。空きっ腹に冷たい水をガブ飲みしたときみたいに、移動していく様が手にとるように判った。
 閉じてたまぶたに、さらに力が入る。
 石の落下を促すように、背中を撫でる手に力がこもった。
 ……そして、落下終了。
 唐突に胸のつっかえがとれる。胃に到達したらしい。
「――――ふ、……ぷぁ……」
 それで、やっと解放された。
 さんざんわたしの口内を蹂躙しくさったランサーの舌が引き抜かれ、唇と唇の間に距離が生まれる。
「……っ、けほ……っ」
 自由になったのはともかくとしても、酸欠状態からすぐに復帰できるわけがない。
 背中を丸めて突っ伏すわたしを、ランサーの腕が受け止めた。
 ぽん、と背中を叩かれる。
「よし。じっとしてな」
「……う……動けるか……ッ」
 はなはだ情けないと我ながら思うが、今、衛宮の足腰はがくがくです。動物ランドです。
 悪態をつくわたしの頭上から、ランサーの声。何やら聞いたことのない単語が幾つか連なって……って、これ。理解は出来ないけどこの韻の踏み方とか音の流れとか……まさか魔術の一種!?
 背中に添えられたままのランサーの手のひら。それに呼応するように、たった今飲み込んだ謎の石のあるあたりから、ほんのりと熱が生まれた。

 それは燃やし尽くす熱ではなくて、癒し治すぬくもり。
 あたたかなそれは、胃の腑あたりから、ゆっくりと全身に広がっていった。痛みがそれに押しのけられるようにして、薄れていく。

 そうして――ランサーの手が背中から離れるころには、完全ではないけれど、わたしの身体にあった激痛は退いていた。
「――――これ、は」
 呆然と、立ち上がる。まだちょっと軋むけど、動けないなんてことはない。
 それを見て、満足そうにランサーは笑い、
「これで当座は大丈夫だ――ってオイ!」
 わき目も振らずに校舎へダッシュしたわたしを、慌てて追いかけてきたのであった。

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