- 命のやり取りをした相手と一緒に、命のやり取りをした場所に戻るというのは、制服のボタンをかけちがえたような、そこはかとない違和感があった。 だけど、ランサーにもはや敵意がないのははっきりしているし、それなら彼に来てもらったほうが、士郎をより早く病院に運んでやれる。客観的に考えなくても、救急車を呼ぶのはかなりマズイ。夜の校舎に残ってたいいわけは一成にも口添えしてもらえばオッケーだけど、傷の原因はさすがに云えない。 そもそも、正直に説明しようと思ったらランサーを出さなきゃいけないわけで。魔術の領域の存在である彼を一般の皆様の目に触れさせるなんて――まあバレなきゃいいんだろうけどムリだし――冗談ではない。 なので、階段を駆け上がる間に、病院に連れてったときのいいわけを色々考えて。 結果、深夜に急ぎの買い物があって出かけたら、暴走ダンプに跳ねられた――と、まあ、実に怪しげかつありえないことこのうえないいいわけを頭のなかで用意しておいた。 にも関らず。 「お、。よかった、やっぱり無事だったんだな」 階段を駆け上り、扉が外れたままの入り口をくぐった先にいたのは、血まみれずたぼろの衛宮士郎――ではなく。 「何やってんのあんたは――――!」 なんと自らの血で汚れた床を、バカ丁寧にモップでごしごし掃除している衛宮士郎だったのである―― ……これで、頭にこないほうがどうかしてるってもんだ。 「いて、いてててて、、痛いイタイイタイ、ロープロープ!」 「やっかましい! わたしの心配を返せこのトウヘンボク――っ!」 呆然とした数秒が過ぎたあと、わたしは、ランサーかくやの勢いで士郎に迫り、腕ひしぎ十字固めをキメてやった。 うむ。全力で痛がってるってことは夢じゃない。 この夜自体夢のようなものだけど、ああ、士郎が無事なのは間違いなく現実。うん、それはとても嬉しい。 嬉しいんだけど、そうなると、あの傷や戦い、それに入り口に突っ立って呆れた顔でこっちを見てるランサーもやっぱり夢じゃないってことになるわけで。 「……ってえぇ……加減しろよ、俺死にかけたんだぞ」 そうして、やっと技を抜けた士郎のことばが、盛大にそれを裏付けてくれた。 こきこきと首や肩を鳴らす士郎を、わたしはおずおずと見上げた。 「やっぱ……あれ、夢じゃなかったわけ?」 「ん――ああ。夢なら嬉しいけど、これじゃあな」 苦笑して、士郎は自らの制服を示す。ざっくりと胸元に空いた穴、その向こうの生身。それから視線を転じた先には、血が、まだべったり床にこびりついたま。 だけど――ああ、それなら。 こうして苦笑いしてる士郎も、夢じゃないってことだ。 「……よかった」 「おい、血――、……」 耳を寄せた士郎の胸からは、とくんとくんと規則正しい心臓の鼓動。ほっとするあたたかさも、がっしりした胸板も、うん。間違いない。 士郎はちゃんとここにいる。衛宮の前にいる。 血がつくのを心配してだろう、肩に置かれた士郎の手は、だけどわたしを押しのけなかった。しばらく彷徨わせた後、ぽん、とわたしの頭を叩く。 「ん。とにかく俺は無事だから。心配かけてごめん」 俺にの無事はわかるけど、からはわかんないしな。 「うん」 「ところでさ」 「うん?」 「――なんであいつがここにいるんだ」 がっしり。 置かれてただけだった士郎の手が、わたしの頭をわしづかみ。ぎきーい、と、機械仕掛けの人形みたいな動きで、背後を向かされる。 その先こと戸口には、なんとも退屈そうに身体を傾けている蒼い槍兵の姿で。 「あ。忘れてた」 「「忘れるな」」 士郎とランサーから、異口同音のツッコミを貰ってしまった。 守衛に見られたらまずいことになる。ということで、事情説明は後回し。わたしたちは血の跡を始末して壊れた机と椅子を近くの使われない教室から補充したあと、さっさと学校を後にした。 ランサーと士郎でひと悶着起きるかと思ったが、それは杞憂。「こいつ改心して仲間になったから」とかいう某有名RPGのモンスターゲッチュなわたしの台詞に、「そっか。そりゃよかった」と兄弟は頷きやがったのである。 余計な騒動起こらなくて安心したけど、ちょっぴり寂しい。 そんなこんなで、わたしたちは随分と遅い帰途についていた。 士郎は何故か傷が癒えてるものの血が不足気味、わたしは生命力をずたずたにされたおかげでやっぱり貧血に似た症状。 ……それにしても、おんぶされるなんて何年ぶりだろ。 最初自力で歩いて帰ろうとしたら、ランサーに止められたのだ。 そのランサーは、わたしを背負って何の負担も感じてないらしく、まだ血が戻ってない士郎がふらっとするたびに支えてやっている。 ランサーは士郎も担ごうとしたんだけど、士郎はそれを断って、自分の足で歩いてる。ならばわたしもといきたいところなのだが、何故か結託しやがったふたりは、さくさくとわたしを背に乗せやがりましたのである。 ……士郎のそれはなんとなく知ってたけど、ランサーも結構フェミニストなのかもしれない。 「おい、マスター。起きてるか?」 「起きてる」 「まだ寝るなよ、背中に涎垂らされちゃたまらんからな」 「……誰がやるか!」 億劫ながら腕を持ち上げ、ランサーの後頭部にぽかりと一撃。 ククッ、と、蒼い髪揺らして槍兵は笑う。それから隣を歩く士郎を見下ろし、 「坊主はどうだ? 辛いなら――」 「いや、平気だ。家ももう少しだし、俺のことは気にしないでくれ」 「つってもな……顔面蒼白だぞ、おまえ」 自分がそれをやっときながら、ランサーの声音は心底士郎を気遣ってる。 いったいどんな心境の変化、なんて一言で片付けられるほど単純なものではないのかもしれないが、そのおかげでわたしたちは助かった、それはれっきとした事実。 ――ああそうだ、そういえば、ひとつ訊いておかなきゃいけないことがあった。 「ランサー」 「ん?」 「なんで“マスター”って呼ぶの?」 「なんでって」 あはは。 首をひねってこちらを見たランサーの目。ものの見事に呆れてる。 だけど、横から援軍。 「あ。俺もそれ気になってた」 はい、と片手を上げて士郎がそう云った。 そんなわたしたちを均等に眺め、ランサー、ますます疲れたように肩を落とす。 「……早まったか」 「どういう意味さ」 手近にある、ひょろりと伸びたランサーの後ろ髪を引っ張って抗議。「うを」と一瞬のけぞって、彼は、わたしをおぶってた腕を器用に片方自由にし、自分の頬に持っていった。 人差し指で口元をかく様は、なんだか悪戯した子供を見守るお兄さんみたい。 「そうだよな。サーヴァントが戦ってる場に、のこのこやってくるような奴等だもんな、おまえさんたち」 「あ、あれは、その――校庭であんな殺気と剣戟の音がしてたら、やっぱり気になるだろ?」 むっ、と士郎がランサーを見上げて云った。背中でわたしもこくこく頷く。 「気になっても逃げるだろう、普通なら」 ますます呆れの色が濃くなっていくランサーの声に、だけど、士郎は首を縦に振りはしなかった。 「だけど、誰かが傷ついてるなら助けなきゃいけないだろ」 「――自分の命さえも脅かしかねないと判っていてか」 ランサーの眼差しに、呆れ以外の色が混じる。剣呑な視線は背中のわたしを見ていないけど、身にまとう雰囲気が、触れている分強く伝わる。 ……怒られてる、んだろうか。これは。 殺そうとした当人が、本気でその対象の無鉄砲ぶりを怒ってる。シュールというかなんというか。――って、 「こら、ランサー。話がずれてる」 く、と、首筋にしがみつく腕に力を入れて、話の軌道修正を試みる。余計機嫌が悪くなるんじゃないかとやった後思ったけど、幸い、それはなかったようだ。 「あ――ああ、そうか。まあ済んだことはしょうがねえな、……で、マスターの件だったか?」 きょとん、と目を丸くして、それからランサーの雰囲気が元に戻る。 うん、結構さばさばした奴である。さっきもちょっと考えたけど、いい兄貴分って感じかも。 「そう。そのマスターとかサーヴァントて何?」 「あ、魔術関係だろうなってのは判るぞ。ついでにおまえが実体じゃないのも」 「――その前に、一応訊くけどな」 あ、またなんか疲れた顔になってる。 「おまえさんたち、この土地に暮らす魔術師だよな? なら、聖杯戦争は知ってるだろ?」 そうだよな、そうであってくれ――と願わんばかりのランサーの問いに、だけど、わたしと士郎は顔を見合わせて。 「いや」 「何それ」 と、きっぱり首を横に振り、それがトドメになったらしい。ランサーはそれを聞いた瞬間、わたしをおぶったまま、ずるずるとその場にしゃがみこんでしまったのだから。 蛇足だが、それでも彼はわたしを落っことさなかった。 やっぱりフェミニストなのかもしんない。あと十数メートル先に迫った衛宮家の門を見つつ、わたしはしみじみと、そんなことを考えていたのであった。 ……ランサーってなんとなく苦労性っぽいなあ、とも。 |