- 家がすぐそこに見えてるのに立ち話もあほらしい、ということで、わたしたちはとりあえず家に戻ることにした。 相変わらずおぶわれたままのわたし、おぶったままのランサーの前で、士郎がポケットを探る。鍵を開けて、引き戸を開けて、はい帰宅。 玄関に足を踏み入れると、馴染んだにおいがして、ほう、とわたしは息をついた。 「ランサー、ありがと。もうだいじょうぶだから下ろして」 「そうか?」 「あ、こら。靴脱げランサー。……って、それ全身タイツ? 足元まで?」 じゃあ一旦脱がないとダメなのか? 「タイツ云うな!」 わたしを下ろしたあと土足で上がろうとしたランサーを見咎めて、士郎が云う。 全身タイツとは云うに事欠いて――的を射ています。うん。実に。 頷くわたしの姿は、生憎見えてないらしい。見えてたら、きっとデコピンくらい来たかも。 ともあれ、ランサーは士郎を軽くどついたあと、 「武装解除すりゃいいんだろ?」 と、またしても意味不明なことを仰って――あ、魔力が奔った。 要した時間はまばたき1、2度くらいか。呆気にとられるわたしたちの目の前で、ランサーのまとう衣服が切り替わる。 うん、まさに切り替わるって云い方がぴったり。テレビのチャンネル替えたとき、って云えば判り易いと思う。 で、切り替わったランサーの姿はというと。――いうと―― 「きゃあああぁぁぁぁッ!!」 「こらー! 解除しすぎだ――――ッ!!」 「あ、間違えた」 なんと。 上半身真っ裸。 かつ。 下半身真っ――じゃなくて、申し訳程度の濃紺ビキニパンツ。 清純な乙女の衛宮は、両手で顔を覆ってしゃがみこんでしまいました。……え? 指の間からちらちら見たりなんかしてませんよ? うん。 大騒ぎしてるわたしたちを見て、ランサーは悪びれた様子もなく笑ってる。 「悪ィ悪ィ。間違えた。こりゃ、前に知り合いに素潜りさせられたときのだ」 「何やってんだあんた」 ていうかどんな知り合いだよソレ。 魂の抜けたようなツッコミを入れた士郎が、つん、と、しゃがみこんだままのわたしの肩を突っついた。 「、先に居間行ってていいぞ。ランサーに俺の服貸してくるから」 「坊主の? ……ちっと丈足りないんじゃねえか?」 「む。じゃあ親父の浴衣あるから、それでいいだろ。あれならちょっとくらいズレたって、帯がまわれば着れる」 「お、この国の伝統衣装ってやつか? そりゃ楽しみだ」 なんてやりとりと、ふたり分の足音が、廊下の向こうに遠ざかって行ったあと。……やっと、わたしは手を放して息をついた。 ううう、なんか顔が熱い。 でも、無理もないと思う。士郎以外の男の人の身体なんて、見るの初めてだもん。 なんていうんだろう、士郎とはまた別の鍛え上げ方っていうか……がっちりしてるんだけどしなやかで、均整とれてて…… 「――――ぅぁ」 ダメだ、思い出すと熱が上がる。 しかもあの背中におぶさってたって事実が、今さらながらに自己主張。熱上昇の手助けしてる。 「うーっ」 こら、衛宮。今は悠長に照れてる場合じゃないでしょう。 目をぎゅーっとつぶって、唸る。それから心のなかで一喝入れて、立ち上がった。 切嗣の浴衣を出すって云ってたから、そんなに時間はかからないはずだ。だったら、云われたとおり居間に行って、お茶の準備くらいしとかないと。 廊下の灯りをつけるのもめんどくさい。勝手知ったる我が家の廊下を、ぼんやりした暗がりのまま歩いて居間に辿り着く。 壁のスイッチを入れて、部屋の灯りはちゃんと点ける。暗闇に慣れた目が、ちょっと驚いて真っ白になった。 何度かまばたきして、調子を取り戻す。 卓袱台の横を抜けて、台所へ。ヤカンに水を入れて沸騰させる間、茶葉と急須と湯飲みを棚から取り出して。 「……ん」 きゅるる。 日常に戻ってきたおかげで、気が弛んじゃったらしい。来る、と思って押さえた胃から、予想どおりに虫が鳴いた。 「でも、寝る前に食べちゃうとなぁ……」 空腹は辛いのだけど、衛宮だって一応女の子。藤ねえはともかくとして、桜共々体重計イズ仇敵なのです。 ――けど。 今日ばかりは、しょうがないかも。 体力も気力も消耗しきっちゃったし、士郎に至っては死にかけたし。せめて何か食べないと、明日の朝起き上がることさえ出来なくなっちゃうかもしれないし。そもそも疲れすぎて、眠れなくて体力回復できないかもしれないし。疲れたときには甘いものって云うし。 「……お茶菓子くらいはいいよね」 藤ねえに食べられてないことを祈りつつ、背伸び。戸棚の奥に手を突っ込む。 かき回すことしばらく、目当ての菓子缶に指が触れた。 しめしめ。この位置にあるってことは、こないだ士郎がしまったときのままってことだ。藤ねえがしまうと、指先どころか手のひら全部くっつく場所になるはず。 ちなみにこれまで、虎が“元の位置に戻す”という隠蔽工作を行った実績はない。 よーし、それじゃ早速踏み台を―― 「? 探しものか?」 ――取りに行く必要がなくなったらしい。 「あ、いいところに。士郎、お茶菓子とって」 開け放したままの入り口から聞こえた声に、わたしは振り返りもせず答える。「ん」と士郎が頷いて、わたしの後ろに立った。 とん。 肩に士郎の手が置かれる。わたしの肩越しに伸ばされた士郎の腕は戸棚をしばらくさまよったあと、見事、目当ての菓子缶を掴んで引き抜かれた。 ――なんだか、まじまじとその手を見てしまう。 前に買った煎餅の缶。それなりに大きくて、わたしじゃ絶対に片手じゃ持てないそれを、士郎は軽々と掲げてるのだ。 それで、士郎はその体勢のまま背後、つまり居間の入り口のほうを振り返った。 「ランサー、和菓子平気か?」 「あ?」 「だから、和菓子。知らない?」 士郎の腕越しに振り返って、問いかける。 おお。 てっきり浴衣着てくるかと思ったら、いつぞや士郎が誰かに騙されて買ってきた、アロハ系の服じゃないか。似合ってるのがすごい。 わたしが目を丸くしたのが判ったんだろう、頭上から士郎が説明してくれる。 「親父の浴衣結構奥にしまっちゃってたんでさ、出しやすいとこにあったあれ着せてみた」 「うーん。……いや、いい選択かも」 改めて、アロハな兄ちゃんを眺めてみる。あれプラスサングラスで、夏のビーチに絶対生息してそうな感じだ。今は冬だけど。藤ねえ実家、藤村組の若衆って感じでいいかもしれない。 その若衆は、鳩が豆鉄砲くらったみたいな、きょとんとした顔。次いで、ようやっとわたしたちのことばの意図が飲み込めたらしく自分を指さして、 「俺が食うのか?」 と、実に意外なことを聞かされました、ってな感じでそう云った。 「そうだけど。ランサーだって腹減ってるだろ、あれだけ動いてたんだし」 まあ、夜も遅いからちゃんとした飯は出せないけどさ。 手にした缶を軽く振って、士郎がそう付け加えて。 ――そのあとが、うん、なんだか見物だった。 にっこり、ランサーは笑ったのだ。 どこかとらえどころのない野の獣めいた目を細めて、顔の筋肉目いっぱい使って、これぞ笑顔だ! って感じで。 なんだかそうやって笑うと、元々受けてた印象よりかなり子供っぽく見える。うん、やっぱりランサーは根っこがすっごくいいひとに違いない。 「おう。じゃ、遠慮なくいただくか」 そう云って、ランサーはざっと部屋を見渡し――きっと、和風の間取りも初めて見るんだろう――、卓袱台の一角に腰を下ろした。 そこに、タイミングよくヤカンの笛が鳴る。 「あ、お湯沸いた」 「ふう、なんかやっと落ち着けるな」 わたしは台所に走り、士郎はそんなことをつぶやきながら菓子缶を卓袱台に持っていく。ランサーは、卓袱台に片肘ついてそんなわたしたちを眺めてる。 殺そうとした相手と殺されかけた相手。 人間と、人間の範疇にないモノ。 それらが、こんなふうに和やかな雰囲気で一箇所にいるというのは、ちょっと不思議でだけど楽しい。 これからいろいろと真面目な――魔術寄りの話をしなくちゃいけないことに変わりはないんだけど、こう、気の持ちようってものが随分違う。やっぱり我が家はいいものだ。 なんて思いながら、わたしはヤカンをコンロから持ち上げるべく布巾をとろうとし、 「あ」 手が滑って落っことし、 「あらら」 あわてて拾おうとして身をかがめたおかげで――――逃れることが出来た。 何からって? そりゃあお客さん決まってます、 「何やってんのよあんたらは――――――――!!」 ――そんな微妙に既視感な絶叫と共に庭の方から打ち込まれた、幾十もの魔力の弾丸からでございます―― |