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 わたしという足手まといを抱えたままのランサーを討とうとしたのだろう、大きく踏み込んできたアーチャーの双剣を受け止めたのは、けれど、すでに見慣れてしまった真紅の槍ではなかった。

 ――りん。

 鈴が鳴る。
 本当は、鋼と鋼が激突する無骨な音だったのだろうけど、その姿を目にしてしまったせいで、そんな錯覚を覚えたらしい。

 ――ごう。

 風が吹く。
 涼やかな、けれど抗い難い威力の風が一閃し、アーチャーの双剣を弾き飛ばした。

「――ッ、チ」
 忌々しげに、弓兵は舌打ちする。
 弾き飛ばされ、中空で砕ける双剣。それを惜しむ素振りも見せず、大きく後退。だが、その両手に再び剣が生まれることはない。彼は空手のまま、こちらを見据えるだけ。
 鷹のような双眸に睨めつけられて、だが、その風の主はちらとした動揺も見せず佇んでいた。
「……七人目のサーヴァントだと……?」
 揮い損ねた槍を片手にランサーが零したつぶやきが、静まり返った夜気を大きく揺らす。
 つ、と。
 深緑を思わせる、だけど果てのない蒼穹にも似た碧の双眸がこちらを見た。
 その澄んだまなざしに、呼吸が止まる。
 月光を受けてあえかに輝く金の髪も、碧の瞳も――清楚な少女という印象を強くするのに、だけど、そのひとのまとう装束はそんな場所から遠くかけ離れていた。青を基調にした衣服の上に、白銀の胸当て、小手、脛当て。
 戦士……ううん違う、彼女は騎士だ。

 慎、と。でも、凛、と。
 楚々と、でも、堂々と。
 彼女は立つ。

 ――ああうん、そう。
 たった今。
 アーチャーの一撃を弾き飛ばしたのは、わたしとおんなじくらいの身長の――とても綺麗な女の子だったのだ。

「――アーチャーと、ランサーか」
 赤の弓兵、蒼の槍兵をそれぞれ一瞥し、鈴の鳴るような声で彼女は云った。
「……セイバー」
 彼女……セイバーを見るアーチャーの表情は、何故か苦々しい。
「いかにも。我が名はセイバー」
 だが、セイバーのほうは何ら思うところはないらしい。ゆっくりと瞼を伏せ、アーチャーのことばを肯定する。
「……最優のサーヴァント、満を持してご登場、か」
 軽口を叩くランサー。だけど、その口調にはどことなく緊張がはらまれているように思う。
 彼らの口ぶりからして、ランサー、アーチャー、セイバーは同じサーヴァントっていうものに属するんだろう。サーヴァント同士、相手の力量が読み取れるからこそ、彼は気を張り詰めてるんだろうか。
 ――なんて思いつつも、わたしだってそれはあんまり変わらない。
 ランサーとは和解してるからいいけど、アーチャーにしたってセイバーにしたって、抱く魔力は桁外れ。そんなもんが一堂に介した衛宮家の庭は、いまや学校でのアレなんて目じゃないほどの、人外魔境と称されてもおかしくない、高密度の魔力に覆われている。
 だけど、どうやら。
 魔力に中てられちゃってたのは、わたしだけだったらしい。
「――セイバーか。いきなり出てくるなんて、随分と劇的なご登場ね」
 ふう、とひとつ息をつき、遠坂さんがセイバーに話しかける。腰に添えた手のなかに、幾つかの宝石が見え隠れしてる。
 ……うわ。すごい。あれってば、かなりの魔力を溜め込んであるんだ。あれたった一つでさえぶつけられたら、わたしなんてきっと生きてない。
 っていうか、とんでもなくあからさまな警戒っぷりなんです、遠坂さん。もしかして牽制のつもりなんだろうか。……セイバー、ちっとも動じてないみたいだけど。
 いやこの場合、“何かしたら抵抗する”って意思を見せることにこそ意義があるのかもしれない。
「仕方ない。唐突な召喚に加えて、状況も逼迫していたのだから」
 ――ちらり、とアーチャーを見てセイバーは告げる。
「え――……あ!!」
 それで。
 未だ夜空に向けて火の粉を散らしてる、燃えさかる土蔵を振り返った。
 赤く盛る炎から、少し外れた場所にある茂み。
 かろうじて炎の届かない所に――人影ひとつ。
「士郎!」
「――よ、。無事かー?」
 ちょっと髪の先とか焦げてるけど、人影こと衛宮士郎は、わたしの呼びかけに応えてのんきに手をあげた。
「そっちこそ……!」
 とにかく無事をたしかめたくて、地面を蹴った。
 とたん。
「待て」
「ひゃあ!?」
 目の前を、風が薙いだ。あわててバックステップ。逃げ遅れた髪が数本、断ち切られてひらひらと舞い落ちる。
 ――って。
「ああああああああ危ないじゃない何するの!?」
 どきどきどき。
 一時的に祭太鼓な鼓動を刻む心臓を押さえ、わたしは、風の主――セイバーに抗議する。
 だけど、彼女は真っ直ぐにこちらを睨みつけ、
「貴女はランサーのマスターだろう。我がマスターに近づかせるわけにはいかない」
「な」
 なんだその理不尽な云い分は。
 かあっ、と頭に血が上る。
 生まれて、もとい士郎と家族になってこのかた、いまだかつてそんな一方的な云い分で士郎に近寄るななんて云われたことなんかない。
 うわ。なんかムカムカする。
 そんな気分のまま、負けじとわたしはセイバーを睨みつけた。
「それは違う」
「何が違うというのだ? 貴女はランサーのマスターだ、それは事実ではないのか」
 ちらり、と。
 アーチャーからわたしを守るように立つランサーを見て、セイバーは云う。
 うん、それは事実。間違いない。
 未だにマスターってのが何なのか判らないけど、ランサーはわたしをマスターって呼んだんだから。
 だけど。
 だけどさ。
 衛宮はランサーのマスターである前に、衛宮士郎のきょうだいなんだ。
「わたし、士郎のきょうだいだもん。マスターとかなんとか関係なしに、士郎のことが心配。それはおかしい?」
「……」
 碧の瞳が、このとき初めて惑うように揺れた。
 そこに畳みかける。
「安心して。わたしが士郎を傷つけるなんてことはない。わたしが衛宮でいるかぎり、絶対にそんな日は来ないんだから」
 ――衛宮が、衛宮であるために。
「……エミヤ、?」
 沈黙でもってこちらのやりとりを眺めていたアーチャーが、首をかしげてわたしの名前を繰り返した。
 いや、なんでそこで反応されるのかが、よく判らないんですけど……? そう、わたしのほうこそが首を傾げようとして。
「ん?」
 今初めて。
 落ち着いて聞いた、アーチャーの声。
 それに、記憶が刺激された。
 あんまりにも色々ありすぎて、もはや、士郎に話そうかどうか迷ったことさえ忘れかけてた記憶。


 ――この間の散歩。
 意識だけでとらえた光景。
 人工の光のなかでなお、わたしの目を惹きつけたふたつの赤。
 夜の街を歩いてた遠坂さん。
 彼女の傍に控えていた、褐色の肌の青年――――


「……っ、あああぁぁぁッ!?」

 思わず。
 アーチャーを指さして、わたしは叫んでた。
 その剣幕に驚いたのか、はたまた唐突さに呆気にとられたのか。アーチャーの目が、まん丸になる。あ、意外と愛嬌が。
 って、そうじゃない――!

「あなた、あのときの夜の、赤い人!」

 ――――坊やだからさ。

 そんな意味不明なセリフが、一瞬脳裏をよぎった。
 そして。
 指さされたアーチャーは、ますます瞠目。記憶を辿るように視線を彷徨わせ、はた、とそこに思い至ったみたいだった。、
「――まさか、あのとき近寄って来たのは君なのか!?」
「え。アーチャー、知り合い?」
 きょとん、と、遠坂さんが目を丸くした。
「いいや、そういうわけではないが……」
 どう説明したものか判らないんだろう、わたしと遠坂さんを均等に見比べて、アーチャーは口ごもる。
 で、実はわたしの方も、同じような状況におかれてたりして。
、何かしたのかおまえ」
「あぁマスター、訊いていいか? なんでサーヴァントもマスターも知らんくせにアーチャーの野郎とお知り合いなんだ?」
 と、妙に息のぴったり合った士郎とランサーに、じりじりと詰め寄られていたのだから。
 さっきわたしを妨害したセイバーは、なんとなく呆れた顔してこちらを眺めてる。……今は、彼女の反応がいちばんまっとうなのではなかろーか。
 それで。
「あーもう、埒が明かないわね!」
 ブン、と大きく頭を振って、遠坂さんが一喝した。
 その声に、わたしたちは一人の例外もなく彼女の方を振り返る。
 計5人の視線を一身に浴びながら、だけど、遠坂さんはちらとさえ動じた様子も見せず、
「――――さて。衛宮くん、衛宮さん?」
 にこにこ、にっこり――極大の猫を被って、わたしと士郎に狙いを定めたのであった。

「見てのとおり私たちは聖杯戦争の参加者な訳ですが、今晩は休戦しましょう。……なんだかいろいろ、混戦してるみたいですから?」

 いや、あの、遠坂さん。
 いまさらそんなしとやかに仰っていただいても、先ほど撃ちこまれた魔弾の恐怖は消えません……
「だな。俺のマスターやそこの坊主に至っちゃ、聖杯戦争がなんたるかも理解してねえし」
 慄くわたしと士郎の横で、意外にも、ランサーが真っ先に遠坂さんに同意した。槍はどこぞにしまいこみ、肩をすくめて笑ってる。
「……凛がそう云うのなら、従うまでだが」
 続いて、ちょっと渋々という感じでアーチャー。
 とかなんとか云って、また不意打ちしたりしないだろーなこのひと。
 じとぉっ、と睨みつけるわたしを、だけどアーチャーは口の端を軽く持ち上げていなす。
「心配するな――と云っても無理か。まあ、もしもそんなことになっても、彼女なら私程度、易々と凌ぐだろうよ」
 可能性を否定しないあたり、なかなかいい性格した相手である。
 彼女、と示されたセイバーは、何やらしかめっ面でわたしたちを見てる。
 考えてみたら、彼女がいちばんこの場の事情をつかめてない気がする。わたしと士郎がきょうだいなこととか、遠坂さんと同級生なこととか……
 そんなセイバーは、結局、マスターと呼んだ士郎の意見を問うことにしたようだ。つい、とこちらを見て曰く、
「どうするのです、マスター。彼女の提案に乗るのですか?」
「ん? うん、そりゃもちろん」
 応えて士郎、あっさり頷く。
 セイバーの逡巡を、一撃で粉々にした感じ。……あ、セイバーの肩、少し震えてる。
 が、彼女が何か士郎に向かって云うより早く、遠坂さんが動いた。
「――じゃあ、お邪魔させていただくわね」
 そして、彼女は優雅に身を翻し。
「あ、アーチャー」
「なんだね?」
 にこやかに、云い放った。
「あんたが破壊したあの土蔵、直しときなさい」
 手に輝く、なんだかわたしのそれと似た紋様をひらめかせてのことばに、アーチャーは朗らかな快諾でもって応えとする。
 すたすたと、卓袱台やお茶菓子が散乱する居間を目指して歩く、華奢な背中に向かって一言。
「了解した。無間地獄に落ちるがいい、親愛なる我がマスターめ」
 そして遠坂さんが振り返る。
「そのときは、先にあんたらを蹴落としてから行くわ」
 ……この場の全員一蓮托生ですか?

 あかいあくま、降臨――

 誰かが零したつぶやきが、夜風にふわりと溶けていた。

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