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 夜道をてくてくと歩く。
 ひとりふたりならまだしも、いつつの人影が、てくてくと深夜の住宅街を歩く。
 高校生と思しき男女が四人。
 保護者というにはちょっと若すぎる青年がひとり。
 すれ違う人がいたら何事かと思ったろうが、生憎か幸いか、そういったことはなかった。
 深山町を抜け、新都に繋がる橋を渡り、歩くことしばらく。
 この坂を登れば教会に辿り着くと行った場所まで、わたしたちは辿り着いていた。
 ――その過程でも、ちらほらと、そんな気はしてたけど。
「……むぅ」
 そこで、露骨にそれが出た。
 わたしも士郎も遠坂さんも、何故かランサーもセイバーも。
 一様に、足を進める速度が落ちてしまったのだ。

 わたしと士郎の理由は一緒。
 あの火事のあと――衛宮の家に行くことが決まったときを境に――、わたしたちは特に示し合わせたわけでもないのに、この教会の方向に近づくことを避けてきた節がある。
 それに、ここに対して抱く印象は、中央公園の広場に対して持つそれとほぼ酷似している。
 なんて云うんだろ。その……直截的に、近寄りたくないのだ。
 教会のくせに人様にそんな印象を与えるなど何事だ、って具合なのである。
 ――ここの風は好きじゃない。冷たくて湿ってて、出口のない穴のなかでぐるぐる巡ってる。
 魔術師風に云うなら、大源が淀んでる。
 長くここにいると、じっとりとした冷たい何かが、ひたひたと迫ってくるような気がするのだ。

 ……でも。
 せっかく案内してくれるんだし、そんな我侭も云えないな、って思ってここまでやってきたんだけど……

「セイバー?」
「ランサー?」

 足を止めた彼らは、わたしや士郎以上の拒絶を示してた。
 目の前の坂――その先の教会を睨みつけるふたりの目は、まるで魔窟に挑むときみたい。
「……本当にここに立ち入るのですか」
 固い声音でセイバーが云う。
「仕方ないでしょ。アイツ、ここの神父やってんだから」
 固いというより不機嫌な声で、遠坂さんが答えた。
 アイツって誰だろ。話からして、監督役ってひとだろうか。……それにしちゃ、遠坂さんの口ぶりはそれだけじゃないように思える。
 彼女は苦い顔で進路を睨みつけ、うん、と大きく頷いた。
「じゃあ行くわよ。――はっきり云ってかなりヤな奴だから、覚悟してよね」
 いや。どんな覚悟をせいと?
 霊体になってるアーチャーが、小さく笑う気配。それは遠坂さんにもちゃんと伝わったのか、ムッとした顔してた。
 ――霊体になったサーヴァントとやりとり出来るのは、基本的にそのマスターだけらしい。けど、わたしの場合、感覚の一部が大源へ直に接してる。だから“散歩”してなくてもこれくらいなら感じ取れる。第一、隠れてるならまだしも――隠れてる状態でさえ、サーヴァントってほんとに存在感がスゴイのだ。
 それで。
 そのスゴイ存在感の誰かさんが大源を揺らして、いざ行かんと足を踏み出したわたしをその場に縫い止めた。

「――――

「ランサー?」
 いきなりどうしたんだろ。
 見上げるわたしと合わせたランサーの目は、真剣で不安な色。
 彼もサーヴァント。ここに漂う嫌な風は感じ取っててもおかしくないけど、それ以上の何かを案じてるよう。
 そうして彼は赤い双眸を忌々しげに歪めると、遠坂さんの方を見た。
「嬢ちゃん……まさかまさかって思ってたが、出来れば外れててくれって思ってたが……やっぱ、監督役ってのはここの神父のことか」
「あ。云わなかったっけ」
「云ってねぇ。……わざとじゃねえだろうな?」
「そんなわけないじゃない。どうせ案内するんだし、って思ってたのは事実だけど」
 ちょっと気まずい表情になった遠坂さんに、ランサーが詰め寄ってた。
 ……めずらしい。
 今まで、一歩離れたトコから楽しんでますー、ってのが多かっただけになおさら。
「――……監督て。マジだったのかよ、あの外道……」
 そして、小さな声が頭上から。
 たしかめるまでもない、ランサーのもの。
 おそらく、口にするつもりはなかったんだろう。だけど彼のなかの何かが、それを形にしてしまった。……たぶんそれは、それほどに強い気持ち。
 ランサーは腕になおも力を込めて、わたしをずるずる後ずさらせる。

 ……どうしよう。

 こんなに密着してると、まずい。
 このままだと、慟哭とか哀しみとか、そんなのが彼からとめどなく、かつ問答無用でわたしに伝わってしまう。霊的存在である彼らの感情って、人間のそれより遥かにわたしに伝わりやすくなってるみたい。
 ……くう。
 風とか大源に馴染みやすい体質を、今はちょっと恨んじゃうぞ……!
 わたしは、ランサーが、この教会にどんな因縁を持つのか知らない。知らないのに、感情だけ伝わっちゃうのは苦しい――それに申し訳ない。なんだか覗き見してるみたいで。
 ――――士郎、ぼーっと見てないで助けてよう――
 必死に士郎の方を見てたら、ちゃんとそれは通じた。ん、と顔をしかめて伸ばされた手が、わたしからランサーをひっぺがす。
「おい、坊主」
 咎めるようなランサーの声。
 ……飄々とした彼の印象からは、ちょっと想像出来ないくらい強い調子。それくらい、ここには何かがあるってことなのか。
 今はもうあまり伝わってこない、感情の残滓。胸に手を当てて、呼気といっしょに吐き出した。
 ゆっくりと背中を撫でる士郎の手は、ひどく優しい。
 ――小さな頃から、この手のあたたかさは変わらない。
「ランサー、あんた教会に行きたくないのか?」
 士郎くん、直球勝負。
「…………」
 そうしてランサーは口ごもった。

 なんだか。
 やっぱり、最初に抱いた彼のイメージからは程遠い。

 ……なんかヤだな。

 勝手な印象かもしれないけど、ランサーってもっと飄々としてて戦うことが好きで楽しんで、誰かをちょっとからかってみたりしてなくちゃ、彼って感じがしない。
 こんなふうに、辛そうなのは……なんか、嫌だな。
「……ランサー……?」
 また覗き見しちゃったらどうしよう、そう思いながら彼の腕を突っついた。
「ん?」
 赤い双眸は、いつもと同じを演出してる。
 ……でもごめん、やっぱり伝わっちゃう。辛い苦しい哀しい痛い、そして許せない、深く渦巻く彼の感情。
 そしてこれは、たぶん今とかさっきとかのものじゃないんだろう。もっと深く。もっと強く。――だけどここに来なきゃきっと隠しおおせてた、深い深い、慙愧の念。
 でも知らない振りをする。
 だってランサーは隠そうとしてる。なら、これ以上傷を広げるようなことは出来ない。
「えっと、遠坂さん」
「なに?」
 ランサーの腕を掴んだまま、遠坂さんを振り返った。気が進まないって自分で云ったのを証明するみたいに、ここでこもごもやりだしてから彼女の足も動いてない。
 ……うーん。どんなひとなんだろ、聖杯戦争の監督役って。
 まあ、今から逢えるんだろうけども。
「挨拶。マスターだからってサーヴァント同伴で行かなきゃいけないとか、そういうことはない?」
「ないわよ。わたしも、アーチャーには霊体のままでいてもらうつもりだし」
 ま、何されるか判んないからついてきてはもらうけどね。
「……」
 いや、だからどういう人ですか監督役さん。
 ともあれ、気を取り直して頷いた。
「じゃあ、ランサーはここで待ってて。わたしたちだけで行ってくるから」
「――――な」
「ならセイバーも置いていきなさいよ、衛宮くん。セイバー、あなたもあんまり行きたくないんでしょ?」
「……ええ。そうですね、ここはあまり我等にとって好ましい場所ではない」
 こくり、セイバーも頷いた。
「マスターの傍を離れるのは責務に反するが、何かあったら叫んでください。この距離ならば一秒とかからずに到着出来ますから」
 ただ挨拶に行くってだけなのに、なんて警戒ぶりなんだ、この連中。
「ああ、判った」
「それじゃふたりとも、行ってくむぎゅ」

 大源が揺れた。
 防虫剤くさい浴衣に包まれた腕が、またしてもわたしを捕獲する。

「ランサ〜……」
 恨めしげに見上げたら、ぬっ、と視界を遮る影。ランサーの手のひらが、ぺし、とわたしの額を叩いてた。

「何を訊かれても、詳しいことは話すな。マスターになった理由を問われても、単なる偶然だったと云ったほうがいい。……いざとなったら、令呪使ってでも喚んでくれ」
「へ?」

 令呪? ってなんだっけ?

「――いいな?」
「え、あ、……うん?」
「よし。約束だからな、。――ちゃんと守ってくれよ」
「うん……?」

 その念の押しように、また戸惑う。
 いったい、この教会と監督役の人と、ランサー、何があったんだろう。――そう思っても、やはり問うのは躊躇われた。

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