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 教会の中は、なんというか、ありふれたものだった。
 入ってすぐが礼拝堂。白や淡色を基調にした内装に、木で出来た椅子が並んでる。正面には台があって、少し離れた場所にはピアノ。
 広さ、そして無人と相俟って、ずいぶんと空虚な印象を受ける。
 でも、当たり前といえば当たり前。今は真夜中もいいところなんだから。
 蝶番の軋む音といっしょに開いた扉の向こうにあったのは、そんな光景。
「綺礼、来たわよ! いるんでしょ!」
 無人の礼拝堂を見渡して、遠坂さんが怒鳴る。
 わたしたちはむしろ、彼女の声にびっくり。いや、だって夜中だよ? もしかしたら寝てるかもしれないのに。
 けど、その心配は杞憂。
 まるで待ち受けてでもいたみたいに、礼拝堂の隅にある扉が開いて、ひとりの男性がわたしたちの前にやってきた。
「……でか」
 士郎がちょっと悔しそうにつぶやく。
 濃紺の神父服を着て、わたしたちの前にやってきたひとは、うん、たしかにそれほど大きかった。わたしや遠坂さんはいわずもがな、士郎までも首を曲げて見上げなきゃいけない。
 がっしりした肩幅とか、何気に濃い目の顔の造作とか……うーん、云っちゃ失礼かもだけど、なんだか悪人顔っぽい。街を歩いただけで職務質問されたことないかな。
 なんて失礼なこと考えてる間、そのひとは、遠坂さんとまず話してた。
「よく来たな、凛。ふむ、もはや来ないものと思っていたぞ」
「そのつもりだったけどね、超絶初心者マスターが発掘されちゃったから。一応基本情報は共有しないとフェアじゃないでしょ? ここに駆け込んできたとき、あんたがこいつらの顔も知らないと、お互い余計な手間も増えそうだし」

 発掘ですか、遠坂さん。

 古生代の地層から掘り出されたというわたしたちに、綺礼、と呼ばれた神父さんが目を向けた。
「ふむ」
 頭のてっぺんから足元まで。しみじみと、しげしげと。
 ……ううう。なんか怖いぞこのひと。
 長身故の威圧感だけじゃない。教会の雰囲気や、遠慮のない視線や、重厚なくせにしんと佇むところ。数え上げればいろいろあるけど……なんか、もっと単純なところで怖い気がする。
 どう、云えばいいのか。
 ありえない、モノが。ある、ような。
 いつか見た、それが。ある、ような。

 ――――それは。まっくろな、おつきさま――――

 ふらり。目眩。
「――っ」
……!」
 傾いだわたしの身体を支えんと、あわてて士郎が腕を伸ばした。もともとすぐ傍に立ってた士郎の腕は、易々とわたしをキャッチする。
 ……予定、だったけど。
「え?」
 それより先に伸ばされた、誰かの腕が。
 横から、わたしの背を包んでた。

 細いけど、ちゃんと筋肉ついてる腕。たぶん、男の人。
 肩が当たってる場所からして、身長は士郎よりずっと高い――この場で士郎より身長高いのって神父さんだけだけど、あの人は正面から動いてないから違う。
 それから、視界の上のほう。さらさら揺れる金の髪。
「――――何、あんた」
 遠坂さんが、わたしの――いや、わたしを支えてくれた誰かを睨んでる。強い敵意が、突き刺さる。視線はわたしに向いてないのに。
 彼女はそのまま、神父さんを振り返った。
「綺礼。まさかこいつ、マスター?」
「――ん? いや」
 ク、と喉を鳴らして神父さんは即答。
 遠坂さんは、むっ、と顔をしかめた。
 天地がひっくり返ってもありえないことを訊かれて笑った、そんな笑みだったのだから遠坂さんが不機嫌になるのもしょうがない。でも、彼のことばに嘘はないだろう。うん、それくらいは判るぞ。
 だけど遠坂さんは怯まない。
「そうなの? それにしちゃ、やけに魔力溢れてるじゃない。――――どう見ても、並の魔術師じゃないでしょう」
「彼は私の旧い知人でな。今回の仕事に際して、少々助力を請うたのだ」
「へえ? あんたに友達なんていたんだ、意外。十年以上妹弟子やってるけど、聞いたのは初めてよ」
「あえて告げることでもないからな」
 遠坂さんの“隙ひとつだって見逃さないわよ”オーラを、神父さんは軽々といなす。
 ていうか今。
 会話の流れで、さらりと無視できないモノがあったんですけど。
 しかしそれを問うより先に、だ。
「すいません。ありがとうございました」
 そう。
 どこのどちら様かは知らねども、支えてくれたお礼を云わねば。
 というわけで、傾いてた重心を戻す。士郎にありがとって目で告げてから、くるりと反転。斜め後ろにいた――たぶん、わたしたちの後から教会に入ったんだろう――ひとに、頭を下げた。
 その、下げた頭のてっぺんに。
 ぽん、と、手の甲が置かれる。
 手のひらじゃなくて、手の甲。
 手の甲は、なんだか遊んでるみたいに、ぽん、ぽん、ぽん。

 ……え、えっと。頭が上げられないんですが……

 おおよそ45度姿勢を保ったままで、わたしは硬直。
 それが、十回を数えたころだろうか。
「おい……いくらなんでもやりすぎだ」
 冷や汗が滲み出したわたしを自分のほうに引っ張って、士郎が抗議。うう、ありがと士郎。君がきょうだいで本当に嬉しいよ。
 頭を上げる。
 今度こそそのひとの顔を視界に入れ――ようとしたら。
「あ」
 そのひとは、さっさと歩きだしてわたしたちの傍らを通り過ぎて。礼拝堂の奥、さっき神父さんが出てきただろう扉のほうへと歩き出してた。
「――あ、あの……っ!」
 あわてて呼びかける。
 と、

 ひらひら。

 左手を黒ずくめズボンのポケットに入れたまま、そのひとは右手を持ち上げて。
 ひらひら。
 それが返事だとでも云うように、振り返りもせず、扉の向こうに姿を消してしまったのだった。
「……なんだ、あいつ」
 その後ろ姿を見送って、士郎がつぶやく。
 むむ、どうしたんだろう。ちょっと声が固い。
「なんだじゃないわよ」
 そして、遠坂さんも不機嫌継続中。
 眉根を寄せたしかめっ面のまま、あのひとの出てった扉を見てた。
「遠坂さん、あのひとがどうかしたの?」
「どうかしたのじゃないっ! あんた気づかなかったの!?」
 吼える遠坂さん。……学校でのイメージが怒涛の勢いで壊れてってるけど、なんだかこんな彼女もかっこいいなあ、なんて考えちゃうわたしは、きっとどこかがおかしいんだろう。
 なんて思いつつ――これがばれたら、たぶん遠坂さんの魔弾再びだろう――、とりあえず士郎を振り返る。
 そしたら、
「――――」
 士郎の表情は、さっきの声と同じ。固い。原因はたぶん、遠坂さんといっしょ――なのかな?
「?」
 けど。
 今のひと、何かそんなにおかしなところ、あっただろうか?
 顔――というか眼を見てないからなんとも云えないんだけど、そんなに危険って感じはしなかった、ように思う。
 ランサーやセイバーみたいな半霊体じゃなくて肉体を持ってるみたいだったし。あ、けど、存在感とかはやけにあったなあ。さっき頭叩かれてたとき、無理矢理姿勢を直そうって思わなかった。
 うん、あれってたぶん、そう出来なかったんだ。
 あのひとの醸しだしてた雰囲気は、うん、なんだか有無を云わせない感じ、たしかにしてたから。
 いやまあ、それはそれとして。
「士郎。さっきのひと、どこか変だった?」
 自分で判らなかったところは、きょうだいに訊くに限る。
 袖引っ張って問うた士郎は、けど、首をひねることで答えに代えた。
「……いや、どこが変っていうか……とにかく変っていうか」
「顔が?」
「いや。結構整ってた。おまえ好みじゃないか?」
「なんでさ」
 会話はあっさり脱線した。
 ぺち、と裏拳繰り出すわたしと素直にくらった士郎を交互に見て、遠坂さんが肩を落とす。
「……あんたら……」
 がっくり、脱力。
「いいわよもう、判ってないなら。――そんなとこまで教えるのって、心の贅肉だし」
「「?」」
 さらに首を傾げるわたしたちを尻目に、遠坂さんは神父さんに向き直る。……さっきと違って、ちょっと疲れてるみたいだ。
 わたしたちのせいなのかな、やっぱり。
 だとしたら申し訳ないです、ごめん。……理由判らないけど。
「どう。実に見事な初心者でしょ」
「ああ。まったくもって初心者だな。素晴らしい、実に初心者然とした初心者だ」
 うっわ。
 士郎とふたり、今度は別の意味で顔を見合わせる。
 いくらなんでもこれは判るぞ。
 たしかに初心者だってのは認めるし、聖杯戦争のことだって全然判ってないけど、何が哀しくて初対面のひとにまで化石扱いされなきゃならないんだー!
 などと不機嫌になったのが判ったのだろうか。神父さんがわたしたちを見て、ふ、と肩をすくめていた。
「失礼。自己紹介もまだだったな」
 ――いや、もっと失礼なコトやらかしといて何云うか?
「私は言峰綺礼。肩書きは――今回の聖杯戦争の監督役、だ」
「本業は?」
「教会と協会の蝙蝠よ」
 ついでに云うなら、私の兄弟子。
 素早く突っ込む士郎に、間髪入れず答える遠坂さん。……いや、それって士郎の聞きたい答えじゃないんだろうけど、とても息の合ったコンビじゃなかろーか、今のこのふたり。
 ああ、でもちょうどよかった。
 さっき訊こうと思ってたことがまた出てきたから、このまま流れで訊いてしまおう。
「遠坂さんって誰かに弟子入りしてたの?」
 うん、これが訊きたかったのだ。
 妹弟子。兄弟子。
 おんなじお師匠さんに弟子入りしてたと思われる、そんなことば。
「違うわよ。こいつがうちの父の弟子だったの」
 あっさり否定して、遠坂さんはそう教えてくれる。
「ああ。私は彼女の父君に世話になっていたのだ。――もっとも、その彼も十年前に亡くなってしまったが」
 淡々と、神父さんは云う。
 ――十年前。
 わたしたちにとって、軽々と触れられる場所ではないそれを。事も無げに……いや、まるで反応を見るみたいに。
 それは穿ちすぎた考えだ。すぐ、そう思い直した。
 だけど、また――くらりと。
 起こりかけた目眩を堪えて、立ち尽くす。
「十年、前?」
 士郎の声は少し震えてた。
 ええ、と頷く遠坂さんは、奇妙に張り詰めたわたしと士郎の空気に気づいてないんだろうか。……それもしょうがないかな。だって、もう十年も前のことなんだから。
 火はとっくに消えちゃったし、壊れた建物の瓦礫は除けられちゃったし、焼け野原はきれいに復興しちゃってるし――――

 ちりちりと、背が焦げる。
 ――そんな、錯覚。

 いけない。
 この話、あんまり長くするわけにはいかない。
 ここでは。
 この場所でだけは。
 ――この男の前では――

 またたき、ひとつ。
 それから小さく首を振る。
「そっか。変なこと訊いちゃって、ごめんなさい」
「え? ああ、あなたたちが気にすることじゃないわよ」
 ちょっと苦笑して、遠坂さんはそう云った。
 ごめんね、と視線に乗せてわたしも苦笑。士郎は、後ろ頭に手をやって、同じように首を上下させてた。
 それから、衛宮のきょうだいは言峰神父へと振り返る。
「衛宮士郎だ。こっちは、衛宮
「――――――」
 そのときの。
 わたしたちの名を聞いたときの。
 神父さんの表情を、なんと表現すればよいのだろう。

 それは驚愕であり憐憫であり哀悼であり――
 歓喜であり、愉悦であった。

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