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「衛宮」

 その名をつぶやく言峰神父の表情――なんて、昏い歓びに満ちていることか。
 知らず飲み下した生唾は、まるでごつごつした岩のようだった。ランサーに飲まされた何かの石なんて、まだかわいいって思えるほど。
 だけど、それも一瞬。
「――衛宮士郎に、衛宮か」
 刹那のうちに表情を消した神父は、平坦な声音でわたしたちの名を繰り返す。ただ微妙に持ち上がった口の端が、さっきの名残を抱くばかり。
 ……正直云って、なんか、あんまりこの人に名前を呼んでほしくない。だけどそれを面と向かって云うのは、それこそ失礼極まりない。ならば我慢するしかない。
 うう。なんで、こんな、この人嫌うんだろう、わたし。
 だけども。
 ちらりと見上げたきょうだいもこれまためずらしく、嫌悪を露に神父さんを見てた。
 士郎が誰かをあからさまに嫌悪するのは、本当にめずらしい。……なんなんだ、このひと。初対面にして、衛宮さんちの天敵か?
 神父さんは、微少な笑み――微笑みとは云いたくない――を浮かべたまま、両手をゆっくりと持ち上げて。
 それから、云い放った。

「ならば、改めて歓迎しよう。――ようこそ、衛宮切嗣の後継者」

 その仕草に。
 その表情に。
 そして何より、そのことばに。

 これまでの比じゃない、嫌悪を覚えた。

 云うな。
      その名を。
 告げるな。
      その口で。

 おまえが。
      ――――くろいつき。
 きさまが。
      ――――あかいそら。

 わたしの、
      ――衛宮
 俺の、
      ――切嗣

 だいじなひとのなまえを、くちになんかするな――

 強い不快感。
 だけど、同時に強い疑問。
 気持ち悪い。
 不快とイコールのそれじゃなくて、不快に思っちゃうのが気持ち悪い。
 どこか、自分の奥深いところがそれを感じてるんだけど、表層が理由を理解出来てないから。理由のない不快感は、感じてる本人だって気持ち悪いんだ。
 ぐるぐる。頭がまわってる。
 ぐらぐら。意識は茹ってる。
「凛。聖杯戦争の如何については彼らに説明しているのか」
「ある程度ね」
 神父さんと遠坂さんの声は、遠い。
 目の前で話してるのに、一歩ずれた世界のことみたいだ。
 だけど。
「待って」
 そこへ繋がる糸を手繰り寄せて。
 問わないと。
「……あんた、切嗣の知り合いか?」
「うむ。世辞にも仲がよいとは云えぬ間柄であったが」
 そらっとぼけた口調が、癇に障る。
 気持ち悪い。なんで、こんなにぐらぐらしなくちゃいけないのか。
 神父さんは、切嗣のことについてそれ以上説明する気はないようだ。すぐに話を切り替えた。
「さて。君たちはこれより聖杯戦争に参加する。それで間違いないかね」
 ……正直、そうしてくれるとありがたい。
 この嫌悪感の正体を掴まないうちは、このひとと深みの話をするのは危険だと何かが云ってる。
「ああ」
 こくり、と、わたしの分まで士郎が頷く。
 けど、神父さんは怪訝そうに首をかしげた。……それが、ちょっとだけわざとらしく思えたのは、偏見のせいだろうか。
「――まだ召喚されずにいたのは、一体のみ。セイバーのサーヴァントだ。まさかと思うが君たちは、一体のサーヴァントを共有しているのかな?」
「そんな話、あるわけないでしょ」
 嘆息混じりに遠坂さんが答えた。ちらり、と何もない――いや、かすかに大源の凝ってるあたりの中空を一瞥。それから、わたしたちを見た。
 その意図は、単純にして明快。

“云う必要があると思うなら、あんたたちが云いなさい”

 ……うん、それはそうだ。
 こればかりは、遠坂さん任せになんて出来ない。
 だって、これはわたしがやったことなんだから。
 と。
 いざ口を開こうとしたときだ。
 ぬっ、と、わたしたちの前に神父さんの手が差し出された。
「これに。見覚えはないかね?」
「…………ッ!」
 灼けついたような。
 変色したかのような。
 輝きこそ失せているけれど、それは。

 ――そこに刻まれた紋様は、見間違いようなんてない。

 だって、それと同じモノを、衛宮は持っている。

「令呪……!?」

 わたしと、士郎と、遠坂さん。
 三人分の声が、重なった

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