- 何が面白いのか。 「ク」 差し出してた腕を引っ込めて、神父さんは低い声で笑い出す。 その彼を、遠坂さんが睨みつけた。――それまでの比なんかじゃない。視線だけで誰かを殺せるなら、きっと、彼女のそれこそが該当するだろうってくらい。 「綺礼、あんた」 「早まるな、凛」 腰を低く落とし、今にも何かの魔術を発動させんと身構えた遠坂さんを、神父さんは冷静に制する。 「見て判らんか。これは、すでに令呪としての用を成さん。魔力の欠片も残らぬただの痣だ」 云うなれば、ただの抜け殻。 「……、――――ッ」 遠坂さんは、何か云いたそうにわたしたちを振り返る。 判ってる。 判ってるよ、遠坂さん。あなたが何を云いたいか。 でも。 衛宮はあのとき、こんな事実が待ち受けてるなんて知らなかったんだ。 遠坂さんが関ってて、聖杯戦争なんてやってて、兄弟子だっていう神父さんが、まさか――――――だったなんて。知るわけがなかった。知ってたとしても、あの状況下、生き延びるためにやったことは同じだろうけど。 「ふむ、やはりか」 わたしたちの反応は、予想どおりだったんだろう。別段表情も変えずに神父さんは頷いた。顎に手を当てて、得心顔。 その視線は、遠坂さんには向いてない。真っ直ぐに向かってるのは、衛宮のふたりへ。 そりゃそうだ。遠坂さんは少なくとも、今夜より前にアーチャーと一緒に行動するようになってたはず。神父さんが監督役だって云うのなら、それくらい知ってたろう。 じゃあ。 今夜現れたセイバーと、今夜■■を■■■たランサー。 どちらもが、ここにいる衛宮のきょうだいに由来するものなのだと、予想するのは容易いことじゃないか―――― 士郎が、少し足をずらす。 神父さんと遠坂さん、ふたりからわたしを隠すみたいに。……でも、士郎。それちょっと、あからさまだぞ。 「あんた――判ってて」 「いや。半信半疑だった」 君たちふたりが揃って来るまではな。 何がおかしいのか。 ことばの端々に、浮かぶ喜悦。 「……そう。君たちが考えたとおりだ。私は、此度の聖杯戦争にマスターとして参加する“予定だった”」 ――それを、衛宮がぶち壊したわけか。 「君たちも魔術師なら、聖杯を求める気持ちは強かろう。だが、“ランサーは私のサーヴァントだったのだ”よ」 じん、と。 鈍くうずく手の甲。 それは果たして何を告げようとしてるのか。 令呪を手放そうとしない、衛宮へ。 抗議なのか、同意なのか。 判らない、けど。 「……」 “これ、元のマスターさんに” さっき家で話してたとき、たしかに、わたしはそう云った。 だって、これは奪ったものだ。誰か――目の前の神父さんから、力任せに剥いじゃったものだ。ほかでもないわたしがやったことなんだから、同意のうえなんかじゃなかったこと、はっきりしている。 じゃあ返さなきゃ。 頭の隅っこがそう云うけど、どうしてか、それに従えない。 ……神父さんが嫌いだから、とか、そういうんじゃない。 ……聖杯が欲しいわけじゃない、からじゃない。 ……士郎とおんなじじゃなくなるから、とかいうわけじゃない。 従えないのは、たったひとつのことばのせい。 “俺は、あんたにあんたに俺のマスターでいてほしい” ランサーが云った。 あのきれいな赤い眼で、真っ直ぐにわたしを見て云った。 それに、笑ったんだ。 “契約成立でいいんだな?” 嬉しそうに、しあわせそうに。 ランサーは、そう、笑って云った。 ――――それは、あの夜あのひとの浮かべた笑みに似て―――― ――切嗣。衛宮切嗣。 わたしと士郎のおとうさん。大好きな魔法使い。 本来の意味の魔法使いではなくても、何かもをなくした子供に新しい居場所と家族をくれた、それは、やさしくてあたたかい魔法。 “君たちの心が目指すゆめを” その彼が、最後にくれたことばがあった。 “正義でない正義を” 単純に正義をと云うのなら、わたしは、神父さんに令呪を返さなくちゃいけないんだろう。そもそも、人様のものをかっぱらうのは法律でだって禁止されてるんだ。泥棒だぞ、泥棒。 「…………」 前に立つ、士郎の背中を見上げる。 一人だったら、いくら切嗣のことばがあったからって、こんなこと選べない。――だって判らない。かがみがいない。この心をちゃんと映してくれる、ものがない。判断が出来ない。だから。もしもわたしがひとりだったら、選んじゃうのは大衆道徳で――そしてたぶん、あとでこっそり後悔しちゃうんだろう。 ……でも、わたしには士郎がいる。 衛宮にはちゃんと、どうしようもなくバカなことやったら怒ってくれるきょうだいがいる。 ……うん。こわがるな、わたし。 何より――あのときのランサーの笑顔は、けっして嘘でも幻でもなかったんだから。 ごくり。 唾を嚥下する音が、内側から、やけに大きく鼓膜を震わす。 士郎の背から、一歩前に出る。 「言峰神父さん」 つむいだ声は、信じられないくらい淡々としてた。心臓は、とうの昔にレッドビート刻んでるのに。 「わたしが――ランサーのマスターです」 |