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 ――雪みたいだ。
 そう思って、気がついた。
 月の光を浴びて輝く銀の髪、ロシアを思わせるそのいでたち。あどけなく微笑むその少女は、いつかの夕暮れ、わたしに意味のつかめないことばを投げかけて消えた、あの女の子だってことに。
「こんばんは、みなさん」
 小さな手のひらでコートの裾をつまみ、わずかに膝を折って、その女の子は頭を下げる。
 この間と一分のズレさえなさそうな、丁寧で繊細なその仕草。
 坂の上に立つ彼女をぽかんと見上げるわたしの表情も、たぶん、この間とそう変わらないだろう。
「……」
 違う所を探すとすれば、今が夜であるということ。
 衛宮は一人ではないということ。

 そして。

 銀色の少女も一人ではなく。その傍らには、身長3メートルはありそうな巨人が佇んでいるということだ――――

 そうして。
 その巨人を、目の当たりにした瞬間。
 ……死を。連想した。

 勝てない。

 わたしたちは、
 俺たちは、
 あの巨人に勝てない。

 強いイメージ。もはや一種の未来視。
 先刻、ランサーと校庭で相対したときのそれよりも遥かに強い――それは、強い強い死の具現。

「……バーサーカーか!」

 さっきまでセイバーと何か話してたはずなのに、いつ移動してきたのか。防虫剤臭い浴衣はどこへやったのか。
 そんなもろもろの疑問はさておいて、気づけば隣にいたランサーが、真紅の槍を片手にその巨漢を見据えていた。
「――ランサー。あなた、こんなところで何してるの?」
 怪訝そうに、少女が眉をしかめる。
 ……ほんの僅かだけど、侮蔑にも似た感情が、そこにはあった。
「一度は逃げ帰った奴に、用なんかないわ。それとも、やシロウを狙ってきてた? ――だったら残念ね、たちを殺すのは私なんだから」
 その割には仲良く話し込んでたみたいだけど。戦いの前に、別れの挨拶でもしていたわけ?
 腰に手を当てて少し前かがみ。
 そんな姿勢でランサーを睨みつける少女の仕草は、普段なら、かわいらしいとか愛嬌があるとか、そんな印象を伴うもののはずなのに。
 何故か。
 ランサーとはまた違う、その赤い双眸に。
 わたしは、どうしようもなく不吉何かと――そして違和感を感じてた。
 ――ランサーが前に出る。背中にわたしを庇うように。
「生憎だが、アインツベルンの嬢ちゃん。こないだとはちょいと事情が変わったんだよ。今度はちゃんと戦ってやれるぜ?」
「――事情? そんなの知らないわよ。だいたいね、横からしゃりしゃり出てきてたちを殺そうなんて、ずるいにも程があるってものじゃなくて?」
 あの女の子はともかくとして、なんでランサーとセイバーはそんな平然と会話してられるんだろう。
「……モテモテだな、俺たち」
「……やだよこんなモテ方」
 硬直しきった身体を動かそうと、そんなふうに茶化してみたけど……まあ、効果はない。他のひとたちに聞こえなかっただけ幸いか。聞こえてたらきっと絶対零度の冷気で見られてただろうな。
 などと、遠い目でつぶやく士郎とわたしの横、
「――――アインツベルン――――!?」
 何故か、遠坂さんが瞠目と共にそうつぶやいた。
 それは、単にどこかでその名を聞いたとか、そんな単純なものじゃない。なんだかいろいろな因縁のありそうな、そういう複雑な感情のこもった声だった。
「遠坂さん、あの子知ってるの?」
 なので、そう訊いてみたところ、
「アインツベルンはアインツベルンよ! ――ああもうっ、あんたたちって本当に何も知らないのね……!」
 ことばこそわたしたちを非難してるものの、遠坂さんの目は、真っ直ぐに銀色の少女を見たまま。逸らされることはない。
 バカって云われたも同義で、ちょっとむっとしたけど。知らないものは知らないのだから、遠坂さんのセリフは、しょうがないんだろう。彼女の憤りっぷりを見るに、たぶん、魔術師の間じゃ有名なんだろうし。
 そんなわたしたちを見て、当の銀色の女の子がくすっと笑った。
「そっか。知らないのなら教えてあげる」
 コートの裾をつまみ、お辞儀。そのたびに、銀色の髪がさらさらと流れて揺れる。

「私の名は、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。バーサーカーのマスターとして、この聖杯戦争へ参加します。――よろしくお見知りおきのほどを」

 その語尾に重ねて、遠坂さんが告げる。
「……アインツベルンは、遠坂、マキリと並んで有名な魔術師の家系よ。聖杯戦争だって、この三家が始めたんだから」
「…………」
「シロウたち、驚いて声も出ないみたいよ、リン。――トオサカの現当主様」
 くすくすと、白い少女は微笑んでいる。
 ……えっと。うん、驚けとばかりに告げられた、イリヤスフィールって彼女のセリフと遠坂さんのセリフは、そのとおり、充分驚きに値するものだったと思う。
 でも、わたしたちが驚いてるのは、彼女たちが思ってるだろうそれと、たぶん違うんだ。

 だって。
 わたしたちが、驚いたのは。
 イリヤスフィールみたいな小さな女の子が。まだ、十をやっと越えたかどうかってくらいの彼女が、マスターとして聖杯戦争に参加してる、って、ただそのことだったのだから。

 呆然としたままのわたしと士郎を面白そうに眺めたあと、イリヤスフィールは遠坂さんを一瞥。
「云っておくけど、貴女にもシロウたちは殺させないわ。終わるまで、ちょっと待っててくれる? その後でいいなら遊んであげるから」
「へえ――云ってくれるわね、イリヤスフィール。他人の意向を無視してぽんぽん話を進めるのが、アインツベルンのしきたりなのかしら?」
「進めてなんかないわ。これは最初から決まってたこと。私は、それをしにきただけよ」
 それは、わたしと士郎を殺すってことなんだろうか。
 なんで初対面――いや、わたしの場合は二度目だけど――の、しかもあんな小さな子から、殺すだのなんだの云われなきゃいけないんだろう。
 ……真っ白な髪。雪の色。
 ……鮮赤の瞳。紅玉のよう。
 最初、雪の精みたいだと思ったあの子には、そんなことばは似合わないって。思ったのは、ただそれだけ。
「シロウ。退がっていてください」
「――セイバー?」
 見れば、雨合羽を放り投げたセイバーが、その手に風を構えたところだった。
 ――風? ううん、違う。
 あれは剣。不可視の刃。
 セイバーの手に握られた風は、それだけでも強い魔力の渦なんだけど、それは本当の目的じゃない。あれは、その奥に、もっと強くてもっときれいな何かを隠すための風。
 結界のようなものなのだろうか。
 大源の側からなら、その姿も見えるかもしれないけど――今のわたしの眼じゃ、そこまでを見てとるのが精一杯。
 加えて、
「逢って早々殺すとかなんとか。物騒だな、お嬢ちゃん。俺が行ったときには、そこまで好戦的じゃなかったろうに」
 真紅の槍をしならせて、ランサーがセイバーの横に並んだ。
 その姿を見て、けど、イリヤスフィールは答えるでもなく首を傾げる。
「……何してるの、ランサー」
 最初に投げかけた問いを、再度、少女はつぶやいた。
「何って、なあ。サーヴァントはマスターを守るもんだろ?」
「――だったら! なんで、そんな、シロウたちがマスターみたいなことを――――……え?」
 に、と。
 蒼い槍兵の口の端が持ち上がる。
 それを見て、白い少女は自分のことばが真実なのだと気がついた。

 この場に佇む人影と、人でないものの影。
 それは、きちんとイコールで結ばれるのだから。

 きょとん、と、目を見開いて、イリヤスフィールは放心する。
「……なんで?」
 だって、ランサーの後に逢ったは、マスターじゃなかったわ。
 つぶやいて、そして。
「…………貴方たち、何したの!?」
 まるでこの世ならざるものを見るような表情で、わたしたちを凝視した。

 ――――――この身が。それほどに大きな異端だというのなら。

 ――――――何を成すために、こうして形を得たのだろう。

 きり、と、少女が唇をかむ。
「……判んないけどいいわ、別に。――どうせ、シロウもも殺しちゃうんだから」
 つぶやいた後、白い少女は真っ直ぐに、衛宮のきょうだいを指さした。

「やっちゃえ、バーサーカー!」

「━━━━━━━━━━━━━!!!!」

 応えて。
 それまで沈黙をもって佇んでいた巨人が、吼えた。

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