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 俺たちの記憶にある切嗣は、いつも穏やかに微笑んでいた。
 料理が下手で掃除が苦手で斜に構えてるくせにどこかヌケてて、子供の心を持ったまんま、大人になったようなオヤジだった。

 “正義の味方に”、
 そんなゆめを抱いたまま、逝ってしまった魔法使い。

 最期のときでさえ、微笑んでいた男は――けど、一度だけそれを崩した。
 微笑みのなかにすべてを閉じ込めていた男は、ただひとりだけにはそれを看破されてしまってた。
 しかも、最初の最初に。

 衛宮士郎と衛宮が、衛宮切嗣の家族になったあの日に。

 ――魔法使いは、たったひとりの女の子に、抱えた闇と矛盾と傷を読み取られてしまったのだ。



「……一度だけ」
 が口を開く。イリヤスフィールの視線を、ちゃんと、正面から受け止めて。
「一度だけ。わたし、視えた」
 感じた、って、云ったほうがいいのかもしれないけど。
「視えた……? でもあなた、ノウブルカラーなんかじゃ――」
「? そんなんじゃない。単に感じ取っちゃうだけ」
 強く思ってるもの、深く抉られた傷。
 隠そうとしてる何かさえ、綻びの糸の端が覗けばそれだけで事足りる。
「――感じ取る?」
「……なるほど」
 赤の主従が、のセリフにそれぞれ正反対の意味合いを持つ独り言。
 ム、と遠坂がアーチャーを見た。
 何がしか掴んでるっぽい弓兵に、説明しろと目で迫ってる。
 ――ああ、そうか。それで思い出した。
 たしか、“散歩”してて遠坂やアーチャーに逢ったって云ってたな。
「……巫条の血筋ってこと?」
 少し考えて、遠坂、再度つぶやく。
 あそこはたしか、感応力者を多く輩出してるって聞いた気が――などと腕組みしてブツブツ。
 でも、遠坂。
 思考を悪いこととは云わないが、そんなして内にこもってると、本人からの答えを聞き逃すんじゃなかろうか。
 他の面々はそれを待っているのだろう。身動きもせず、とイリヤスフィールをただ凝視する。
 が、
「なるほどね」
 が何かつづけるより、むぅ、と腕組みしたイリヤスフィールがつぶやくほうが早かった。
「魔眼持ちじゃないのは認めるわ、。――それに、魔術回路も見当たらないし。魔術師じゃないのも本当ね」
「え、あ、うん」
 ずばり云い当てられて、のほうがうろたえる。
 動揺も露に後退しようとした我がきょうだいは、だが哀れ、イリヤスフィールにがっちり腕を捕まれた。
「わ」
 よっぽど不意打ちだったんだな、ありゃ。
 自分より小さな少女に腕を引かれ、はそのまま前かがみになる。なんというか、倒れなかったのが奇跡に近い。
 イリヤスフィールは、周囲の俺たちなんてどうでもいいとばかり、しか見てない。
「……」
 ――いや、訂正。
 なんだ今こっち見たときの意味ありげな視線は。
 心持ち細められた赤い目には、子供が玩具を見つけたときのような楽しそうな感情が宿っていた。イリヤスフィールはその目で、もう一度を見る。
「――っ」
「……そっか、そういうことなんだ」
 こくこく頷くイリヤスフィール。
「だから、は私と通じちゃったんだね」
「……通じた?」
「うん。通じたの。だから見えたんだわ、あのときも今も。あなたたちの名前、あなたの視たもの。――泣いてるキリツグ」

 つつつ、と、ランサーが俺に近寄った。
「おい。“キリツグ”ってな、誰だ?」
 ぼそぼそ。
 小声の問いに、やはり小声で答える。
「俺たちの育ての親だけど」
「なら、なんでおまえさんたちはあの嬢ちゃんのことを知らなかったんだ?」
 あっちはその“キリツグ”を知ってるみたいだってのによ?
 首を傾げるランサーに、俺は答えるすべを持たない。
 だって、俺たちは俺たちを引き取ってくれたあとの切嗣しか知らない。そこにイリヤスフィールの名が出たことはない。俺たちを引き取る前に何をしてたのか、どこにいたのか、切嗣はあまり話してくれなかったし。
 だが、答えは別のところから出てきた。
 それも、思ってもみなかったところから。
「――シロウたちがキリツグと縁を持ったのは、前回の聖杯戦争が終了してからでしょう。ならば知らないのは当然です。当時、彼はアインツベルンの依頼で戦っていましたから。イリヤスフィールが何者であれ、アインツベルンの名を抱くのならキリツグを見知っていてもおかしくはない」
 ……一息に。
 まるで、口にすること自体が忌々しい行為であるかのように。
 早口にそれをつむいだのは、セイバーだった。
「セ、セイバー……?」
「――なんだなんだ、いったい。あんたもアインツベルンと因縁持ちか?」
 ぽかんとする俺、呆れた顔になるランサー。
 二人分の視線を受けて、セイバーは気まずそうに視線を逸らす。
「……なんだかなあ」、
 そこに割り込む、遠坂の声。
 あっちでもこっちでも疑問符が大量発生しているというのに、遠坂の口調はいつもと変わらない。ちょっと疲れてはいるようだが。
 唐突なそれに振り返った俺たちを眺め、赤の主従は揃って腕を組んでいた。
「もう、すっかり戦いどころじゃないし、この光景。……、あなたもしかして、聖杯戦争キラー?」
「はい?」
 ぽかんと瞠目する我がきょうだい。
 それを見て「はあ」と、苦笑する遠坂。

 ……うん、その気持ちは判る。ちなみに遠坂のほう。

 なんて云えばいいのだろう。
 衛宮さんちのさんは、俺の自慢のきょうだいなので。
 ――あの炎に灼き尽くされた、俺の何かの根っこに水をくれたのが切嗣なら、それを一緒に育てなおしてきたのはなので。

 ……うん。だから。
 衛宮士郎にとって、衛宮は、たいせつなおんなのこなのだ。
 家族とか恋人とかそういうのでなくて――たとえば、衛宮士郎っていう木が立つための根っこって感じ。
 むしろ、同じ根っこから生えてるたけのこ同士。がいなけりゃのいる根っこもないってことで、つまり当然その根っこの先にあるべき衛宮士郎も存在してない、そんなふうなものなのだ。

 それがたとえば、綱渡りレベルの危うさの上にあるんだとしても――

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