- 子供が気を失っていた時間は短かった。もしくは、男が気付かなにかをしたのかもしれない。 ともあれ、目を覚ました子供が見たのは、男の途方に暮れた顔。 その次に見たのが、傍に倒れている女の子だった。 ……このへんのやりとりは、あまり覚えていない。 何が起きたんだと食ってかかる子供に、男は悲しそうに首を振るだけで。 ただ、搾り出すように告げられたことばだけは、はっきりと。 「士郎……この子の心が逃げ出した。――僕じゃまだ触れられない、君が探してきてほしい」 そのことばが、どんな意味なのか。子供ははきとは知らぬまま。 ただ、このままでは女の子がいなくなることだけは感じて、 「判った!!」 そう勇ましく応じて、走り出した。 地理もまだよく判らない街並みを、子供は無我夢中で走った。 「 !」 家族になったばかりの女の子の名前を、懸命に叫びながら。 周囲の人たちの好奇の目も、気にならず。もはや、己と探すべき女の子のことだけが、そのときは子供のすべてだった。 「 ――――」 街並み。 住宅街。 公園。 川べり。 子供の足で行ける場所さえ越えて、ただ、ただ走って。 「 ――――ッ!!!」 空高くにあった太陽が傾いても。 空や街が橙に染まっても。 呼吸器官がこれ以上動けば破裂してやるとヒス起こしても。 膝が笑って、走ってるというよりはよろめいてると云ったほうが早くなっても。 ――――だって。これは再現なのかもしれない。 ――――あの炎のなかを彷徨った俺。走ったあの子。 ――――誰もが死んだと思ってた業火のさなかを、延びた、ふたり。 ――――たすけて、と。 ――――求める声も、すがろうとした手も、横に見て。通り過ぎた。 ――――あんな、ことは。あんなのの、再現は。 ――――ごめんだ。 「もう…………二度と…………ッ!!」 搾り出す。搾り出す。搾り取れ。 もう、絞り尽くして構わない。 眺めて見捨てた手。聞いて応えなかった声。 その代わりなんかじゃない。 だけどもしかしたら、あの女の子のそれをも置いて、歩いていたのかもしれないと思ったら。 ……あの、あたたかくてやわらかな手が。焼け焦げた黒いカタマリに変わっていたのかもしれないと思ったら。 「――なくして……たまるか――!」 代わりなんかじゃない。 そうしたことは消えなくて、だから、その償いなんかじゃ決してない。 ただ。失ってたまるかと。 これ以上、目の前から、何かをなくしてしまってたまるかと。 それだけを、強く思っていた。 ――――だから。再現なんかじゃない。 ――――だって、再現だったら、子供は女の子を置いて行ったはずだから。 「 ……ッ!!」 とある坂道の途中にある、裏道に抜けるための薄暗い路地。 そこで叫んだ子供は、違和感を感じて立ち止まる。 門の前から駆け出して、一度も止めなかった足を止め、その薄暗がりを覗き込む。 街はとっくに夕暮れに染まり、子供の全身もまた、赤トンボのよう。 「…… ?」 自分でも判らないまま、何もいない暗がりに呼びかけた。 呼びかけてから、確信する。あの女の子はここにいる。 何もいないけど――たしかに、ここにいるんだと。 「 、……いるよな?」 子供は何を感じ取れるわけでもない。ただ、唯一感じた違和感が、呼びかけるたびに強くなる。 うずくまってるイメージ。 ふるえてるイメージ。 それは、たぶん、さっき見た泥のせいだろう。 子供は気絶で済んだけど、女の子はそれじゃ済まなかった。だから今、ここにいる。 「 」 違和感は強くなる。 届いてないわけじゃないんだと、子供はそれで安心した。 そしてはじめて、もう立ってもいられないほど疲弊した自分の身体に気づいて、そこに座り込んだ。 「 」 呼びかける。ちょっとずつ強くなる違和感だけが、頼りだった。 「 。迎えにきた」 それだけを告げて――休憩。 破裂せずに動いてくれた呼吸器官にお礼。深呼吸。酸素が足りないと嘆く身体中に、新鮮なそれを送り込む。 だって、そうしないと。 必要なことを告げただけで、倒れてしまいそうだった。 まだ、やらなきゃいけないことがあるのに、それじゃあ情けない。 そこに、 「あ」 ふわりと風が過ぎてった。 きれいな、澄んだ、――――純粋な。風。息吹。 「あー……」 怖くて逃げたのに。俺の心配なんかしてる場合じゃないだろ、と。おかしくなって、子供は笑う。 膝を抱えて頭押しつけて、肩もちょっと震えてしまった。 それから立ち上がる。 本当は、まだちょっときついけど――倒れてたまるか。 云うべきことは終わったけど、やるべきことは残ってるんだから。 「心配するな。俺は元気だから」 違和感を一番強く感じる場所に、まっすぐまっすぐ視線を当てて。まっすぐまっすぐ手を伸ばした。 「迎えに来たぞ。帰ろう、」 |