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 霊体になったサーヴァントは、ひとの目でとらえられるものではない。それは、これまでの聖杯戦争を通じての常識であり、今まさに霊体であるアーチャーにとっても常識であった。
 が、それは今、晴れやかに打ち破られる。

「あ、アーチャー見つけた」
「…………」

 なにやら阿鼻叫喚のわきおこっていた居間が静まり返って、しばらくの後。昨夜の仕切り直しとばかりに土蔵の屋根にたゆたっていたアーチャーを、庭に出てきたシラナイダレカがあっさりさっぱり看破した。
 ノリはもはやかくれんぼ。
 しかも鬼の発見率は百発百中。
 彼女の周囲に誰の気配もないことを認めると、仕方なくアーチャーは実体化した。
「何か用か?」
「うん」
 さっき彼女のきょうだいと最悪のやりとりをかました相手に、何を笑顔なぞ向けているのか。
 屋根からおりないアーチャーの傍にこようというのか、シラナイダレカは頷いたあと、手近な木によじ登り始めた。
「……」
 黙って、もとい呆れて見守る間に彼女は幹を登り、枝を伝い、屋根の縁に手をかけて「よいしょ」とその身をアーチャーの横に運ぶ。
 そよ、と風がふたりの横を通り過ぎた。
 つい目で追ったアーチャーをどう思ったのか、彼女が口を開く。
「あ、安心して。士郎や遠坂さんたち、居間片付けてるから」
「……何故」
「遠坂さんの魔弾再び」
 飛距離が短かったせいか威力があんまり死んでなくて、もう、見てられないくらいの壊滅ぶり。
「……む。マスターの非礼は詫びよう」
 毎度毎度犠牲になる衛宮邸の居間にささやかな黙祷を捧げた後、アーチャーは衛宮に頭を下げた。
 衛宮士郎はともかくとして、衛宮邸の居間に罪はない。当たり前だが。
 が、何がおかしいのか、そんな彼を見て彼女はくすくす笑う。
「――なにか?」
「え? ――ああ、うん。遠坂さんと同じこと云うんだなって思った」
 さっきのアーチャーの失礼は、あとで絶対詫び入れさせるから、って云ってたんだよ。
「……」
 あかいあくまならやりかねない。
 いつか来るであろうマスターからの詫び入れ要請を思い、アーチャーはちょっぴり戦慄を覚えた。
 それから、気を取り直してシラナイダレカを振り仰ぐ。腰かけた自分と立ったままの彼女では、どうしてもそんな体勢になるのだ。
「それで、君は片付けに参加しなくていいのか?」
 この家の住人なら、そうするのが妥当ではないかと思ったのだが、
「ううん、人手は足りてるし。――あと、ちょっとアーチャーに物云わせてもらおうと思って」
「私に? ……先ほどの件をやり返そうとでも?」
 ――ちり、と。己も、己の周囲も険を増す。
 思い出すだに――いや、もはやその名を浮かべるだけで走る嫌悪。不快感。それは気配だけでなく、物理的な質量さえともなって大気を騒がせた。
 だが、彼女は動じた様子もなく。
「ううん――士郎がいると、またケンカになるから、今のうちに誤解といておきたい」
 だからランサーもいないよ。一対一。
「誤解?」
「そう、誤解」
 おうむ返しのアーチャーのことばに、彼女は小さく頷いて腰を下ろした。
 ――何故だろう。
 ――だれだろう。
 シラナイダレカのはずなのに、この心はどんな理由で、この状態を穏やかに受け止めているのだろう。
「うーん……、でも、やっぱり、アーチャーって不思議だ」
「……む?」
 思っていたことをそのまま云われたような気がして、アーチャーは彼女を見下ろす。
 やわらかそうな薄い色の髪、そう濃いとも云えない色彩を持つ双眸。衛宮士郎にもその育ての親にも似ていない容貌の少女は、はっきりした日本語でこう告げた。
「こうしてると、なんか、士郎といっしょにいるみたいなんだな。アーチャー嫌がるかもしれないけど、よく似てる。だから、わたしはあんまり怒れないんだよね」
 なんだか、士郎が士郎を怒ってるみたいな気がして、と。
 困ったように、だけどあたたかく、ダレカは笑う。
 ――笑って、
「アーチャー?」
 凍りついた赤い弓兵を、不思議そうに見上げてきた。

「…………」

 似ているのは当然だ。
 彼女がそう思うのは当然だ。
 何故ならこの身はそのもの。
 何故ならこの身は遠い事象。

 だから、当然なのだ。
 愚かな道を歩んだ果てがこの身なのだから、彼女がそう思うのも当然なのだ。

 ――――キケン

 警鐘が。警報が。

 ――――コノ オンナ ハ キケン

 鳴り響く。

 ―――-エミヤシロウ ニ チカシイ モノ

 彼女の口からそれが零れれば。
 それを衛宮士郎が耳にすれば。
 ……どこで。解への糸が、姿を見せるか。
 ……どこで。彼の狙いに、気づかれるか。

 ――――イマノウチニ

 手が伸びる。
 悟られてはならじ、目を逸らさせてはならじ。
 故に、視線は真っ直ぐ彼女と合わせ。
 静かに伸ばす手のひらは、真っ直ぐにその喉元を目指す。
 片手だけで事足りる。
 その細い首を縊るのに、時間はほんの一息あればいい。

 そうだ。
 セイバーを得たと云っても、あれはまだ未熟。殻を破ろうともしていない卵以前。
 ――まして、奴には弱味がある。
 目の前の彼女。
 自分の命など捨て置いて難と思わなかった彼に反して、衛宮士郎には家族がいる。同然、などという枕詞の要らぬ相手がいる。

 “大事なものであればあるほど、失う可能性は大きい”

 ――誰が云ったか。云ったのはオレか。
 そんなものなどなかった男が、したり顔でほざいた愚詩だ。

 だが、それは事実。

 現にほら、目に見える。
 衛宮士郎が彼女の死体をつきつけられて、どんな狂相を露呈するか――容易く描ける未来図。
 それを数分後の現実とするために、さあ、もう一息で触れるその手に力をこめダレカは黄金の王に誓った。

「……え?」

 間抜けにも――本当に間の抜けた声を出して、アーチャーは動きを止めた。

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