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 そうして、居間の人数は普段と同じになった。
 ――人数は同じ。そう、桜や藤ねえが来てる日と同じ、四人。ただし、内訳が違う。
 俺とがいるのはいつもどおり、というか当たり前。ここは衛宮さんちなんだから当然である。が、残り2名は――今さら云うまでもないな。セイバーとランサーだ。
 家に戻るという遠坂を見送ったあと、俺たちは別に示し合わせもしなかったがそのまま居間に戻った。
 日は西に傾きつつあるものの、まだ夕食の準備をするには早い。かつ、何かしようにも気が乗らない。――昨夜殺されかけた分の体力は、まだ全部戻ってないんだろう。誰かに生き返らせてもらったあとも、遠坂の強襲を受けたり教会に行ったりバーサーカーに襲われたりしたから。
 ――だから、そう。
 昨日の夜から霧散しまくった日常を取り返そう、と、本能が命じてるのかもしれない。
 が淹れたお茶を片手に、俺は――俺たちは、何をするでもなく縁側に4人、腰かけていた。
 ああ訂正。は腰かけてるというより、へばってると云ったほうがいいだろう。俺と背中合わせに座って、ぐったりと体重をこっちに預けているのだから。
「……疲れた」
「疲れたな」
 ぼそりとつぶやくのことばに、やはり、ぼそりと同意する。
 少しばかりおどろおどろとした衛宮のきょうだいのやりとりに、両脇にいたランサーとセイバーが、大丈夫かと云いたげな視線をこちらに送ってきた。
「生きてるか?」
「“返事がない。ただの屍のようだ”」
 某有名ロールプレイングゲームのセリフなど云ってみる。――うむ、ふたりの表情を見るに、やはりこの時代の文化には疎そうである。
 まあ、しない人はしないんだろうけどな、コンピュータゲームなんて。実際、俺だって人から話を聞いただけで自分でプレイしたことはない。ただの屍ネタについても、同じクラスの奴が多用してたから、それはなんだと訊いたら元ネタを教えてくれたってだけで。
 と、セイバーが心持ち眉をしかめるのが視界の端に映った。
「疲れているのでしたら、休養をとってください。先ほども云いましたが、マスターと云えど人間なのですから」
「いや、体力的に問題はないんだ。どっちかっていうと、精神的な面かな」
「判らんでもないがな。昨夜まで聖杯戦争のせの字も知らなかったんだし」
 と、逆横からランサーの援護が入った。
 からかうときにはからかいまくるクセに、こっちが参ってるときにはかなり真摯に心配してくれている。
 いい奴だよな、ランサーって。とても昨夜、容赦なく俺を串刺しにしたのと同一人物とは思えん――――……って、そういや。
「なあ。俺たちを殺せって云ったのは、やっぱりあの神父なのか」
 そう。
 が令呪を引っぺがした相手は、昨夜面会した言峰神父だ。監督役のくせに、ランサーのマスターとして参加しようとしてた反則野郎。いや、監督役は聖杯戦争に出るなって明文化してあるかどうかまでは知らないけど。
 そうして、問いにランサーは頷いた。
「まあ……そうだな。魔術師は一般人に姿を見られるな、見られたら殺せってのが今の原則なんだろ?」
 ふむ。ゆえに、神父はきっちりかっちり、ランサーにもそれを命じていたというわけだ。
 ランサーは、謝ったりしない。それがそのときの奴の仕事だったんだし、当然と云えば当然。冷たいと思うより、その潔さに胸が透く。
「……」
 は、つぶやきのあとは何も云わず、俺に背を預けたまま。神父の話を出したとき、少し肩が震えていたくらいだ。疲れているのもあるんだろうが、ランサーを懸念してる可能性が大きい。
 ランサーは、言峰神父のサーヴァント“だった”。――サーヴァントはマスターを選べない、と本人が云ったように不本意だったのだろう、毛嫌いしまくってたみたいだが。かつ、昨夜のの様子を見るに、それ以上の因縁だか何だかがありそうだ。でなけりゃ、うちのきょうだいがそうあっさり涙浮かべたりするものか。
 ……うむ。の情操のためにも、あんまり神父の話題は出さないほうがいいな。俺にしたって、思い出すだけでなんか不吉な感じが否めないし。
 なので、話をまた転換。
 時間はまだある、今のうちに昨夜からの疑問は全部解消してしまおう。
「そういやセイバー、切嗣を知ってるんだっけ?」
「え――あ、……はい」
 凛とした佇まいに似合わず少し躊躇ったあと、セイバーはこくりと頷いた。
 と、背後でがもぞもぞと動く気配。
 一度背中が離れて、ずるずるとポットを引きずる音。こぽこぽと急須にお湯を注ぐ音。――で、
「お茶どうぞ」
 ぐったりと俺におぶさって、肩越しに、茶の満たされた急須を差し出してきた。無気力に淹れてるくせに、香りはいつもと変わらない。味もきっとそうだろう。すでに神秘ではなかろーか。
「士郎のごはんもね」
 ちらりと俺を見て、が笑う。む、感情を読まれてしまった。
「ありがとうございます」
 即座にセイバーが湯飲みを差し出した。湯気を立てて注がれるお茶を、実にしあわせそうに見つめている。
 ――ああ、うん。
 昨日の凛としたこいつもかっこよかったけど、こう、のお茶で和んでる姿のほうが、なんとなく年相応って感じでほっとする。
 が、その表情は、
「……さて……キリツグのことでしたね」
 次に口を開いたときには、跡形もなく消えていた。
 鮮やかな碧の双眸が、数度、宙を彷徨う。どこから話すか迷っていたのか、それとも、何か別の理由だったのか。
「――――他の地ではどうあれ、この聖杯戦争におけるサーヴァントは召喚されればそれきりの存在です」
 召喚される英霊は、座より切り離された端末。役目が終わればそこに映し出された人格は消滅し、ただの力として本体に戻る。
「故に、その折何を体験し、何を感じようと、その記憶は本体までは届きません。世界の外に固定された本体は、それ以上の成長や変化など基本的に望めない。ただ送り込んだ端末の記録を知識として持っている程度です」
「……む。つまり、セイバーが今回役目を終えて戻った後、仮に何かの弾みで俺たちがセイバーを召喚しても、今こうして話してることはなかったことになってるのか」
「――――――それってやだ」
 むう、とがうなる。至極同感。
 聖杯のための生贄って時点で気に入らないことこのうえないのに、今こうして話したり感じたりしたことも、終わったあとには消えちまうなんて、それは由々しき自体である。
 せっかく、この時代、本当なら居ないはずの人物と共にいるのだ。俺たちも、そして相手にも、いつか別れが来るとしても、何かを持ち帰ってほしいと思うのに、それさえも叶わないなんて。
「ま、いいじゃねえか。その分、今を楽しめりゃ」
 少し重くなった空気を、ランサーが払拭した。
 が、そこにセイバーが食ってかかる。
「ランサー。マスターたちの方針は方針としても、聖杯戦争は戦いです。そんな気楽なことでどうするのですか」
「何云ってんだ。戦いこそ楽しむもんだろ。死地だろうが窮地だろうが、そこに互いの全力がありゃ、それだけで楽しめら」
 ……ううむ。
 俺たちなぞ、誰かの命がかかっているということがあるから、どうしても逼迫しちまうけど、ランサーはそれをも含めて楽しいという。なんか、根っからの戦士なんだな、こいつ。
 そうしてセイバー。彼女の戦いに対しての真摯な姿勢は、こちらも感嘆すべきものだと思う。
 結局どっちも、戦いにおいて己を昇華する点において差異はないんじゃなかろうか。セイバーは剣の騎士、ランサーは槍の戦士。うん、云いえて妙。
「とにかく」、
 セイバー、話題をちょっと無理矢理軌道修正。
「前回の聖杯戦争において、キリツグは私のマスターであった記録があります。彼が私に与えた情報のなかに、昨夜告げたような部分がありました」
 彼女は、まるで他人事のようにそれを話す。……が。
「……?」
 が、小さく首を傾げる気配。俺と同じ違和感を感じてるんだろうか。
「アインツベルンの依頼――か。それで、白い嬢ちゃんとの因縁が推測出来たってことか?」
 ふむ、とランサーが頷いた。
 だが――
「ちょっと待ってくれ」
 切嗣が前回の聖杯戦争に参加してたなら、そうして聖杯戦争が通算四回、この地で行われていたというのなら。

「それは“いつ”行われたものなんだ――――?」

 何故か、それがひどく気になった。

 あかいそら。
 くろいつき。

 背中に寄りかかっていたの重みが消えた。身体ごとセイバーに向き直った俺の隣、やはり居住まいを正して彼女を見ている。
「――――」
 セイバーは、話しにくそうにしている。無理に話させるのは正直気が引けなくもないが、どうしてか、今、確かめなければいけないような予感がする。
 今、ここで。
 今、彼女に。
 告げておいてもらわねば、きっといつか、もっとも嫌な相手からそれを聞かされることになるような。
「詳しく時代を確認した、わけではありません」
 そうして、セイバーは告げてくれた。
「ですが――私は、この屋敷を知っています。この周辺の街並みは、私の記録にあるそれと酷似している」
 それは。そう遠い昔のことではない、ということだ。
 俺たちが切嗣の養子になってから――魔術の領域に足を踏み入れてから、そんなことが起こったなんて話は聞いてない。切嗣が耳に入れないようにしてた可能性もあるが、それはたぶん違うだろう。
 何故なら。

 ただれただいち。
 もえあがるほのお。

 俺の見た世界。が視た赤い地獄。
 燃えさかる炎、黒々と散乱していたいろいろなモノの残骸。
 苦悶する人々。

 ……の見た世界。俺が視た赤い地獄。
 爛れてゆく大地。次々に刈り取られていたたくさんの命。
 黒い、――呪い。

 ――――ああ。そうだ。

 俺たちのくぐりぬけたあの世界は、
 天をも焼かんと滾る赤い炎の世界は、
 視覚出来る黒い呪いに満ちていた。
 すべてを呪えと叫ぶ魔力が、
 蟲毒の壺から溢れ出ていた――

 ……黒い月。
 ……赤い空。

 ほら。だって神父が云っていたじゃないか。
 第四回聖杯戦争において、この街には甚大な被害が出たと。
 俺たちの知っている限り、冬木市で“甚大”なんて冠した災害が起きたのなんて、あの火災以外ないんだから――――
「――――」
 が、小さく震えた。
 ――まずい。

 ちょっと乱暴に、肩を掴んで引き寄せる。行かないように。抜け殻になってしまわないように。
 俺にとっては火事だった。
 にとっては呪いだった。
 同じものを見ながら、まだ魔術を知らなかったガキと、片足でも神秘の領域に足を突っ込んでいた女の子とでは、とらえたものが違う。
 あのとき――初めてと逢ったとき起こった情報の奔流、互いに流れ込んだ風景、互いへと流れ出した記憶で、共有した俺たちの記憶。
「――へいき」
 うん、とひとつ頷いて、は俺の腕から抜ける。
「大丈夫。……もう昔のことだし」
「本当か?」
「わたしが士郎に嘘ついたことある?」
 少し顔色が悪いながらも、俺の不信を責めるようには云った。
 ――むう、まあ、たしかに。やせ我慢ってのもアリかもしれないが、それが出来ないくらいまでに参ってたら素直に折れる奴だし。
 と、その背中にランサーの手のひらが添えられた。
 ふわり、と、何かの魔術が働く感じ。
「ランサー?」
「ん? ただのまじないだ、気にすんな」
 ランサーはそう云うが、の顔色は明らかに改善されていた。サーヴァントとの契約でそれが可能になったのか、槍だけ使うと思ってたランサー自身、そういった回復系の魔術を有してるのか。
 む。後者だとしたらなんてオールマイティな。
 ともあれ、が大丈夫なら、このまま話を進めても問題ないだろう。
「じゃあセイバー、確認させてくれ。神父が云ってたんだが、第四回聖杯戦争でこの街に大きな災害が起こったらしいんだ。詳しくは訊いてないんだが――それは、火災じゃなかったか」
「――――――――」
 セイバーが瞠目する。
 何よりも、それが肯定の証だった。
「……はい」
 頷くセイバーの表情は、硬い。
「戦いの最後が――火の海であった記録は、たしかにあります」
「じゃあ」
「おそらく、神父の告げた災害というのはそのことでしょう。ですが“何故”そうなったのか、それは判りません。記録は何があったということを教えるだけで、その理由までは付属していないことが多々ですから」
 表情と同じくらいの硬質さを保った声で、セイバーは云い切った。
 そうなってしまうと、俺たちとしてはそれ以上何を問うことも出来ない。出来ない、が――――
「そうか」
 ひとつ、判ったことがある。

「……聖杯を求めた戦いの末に、あんなことが起きるのか……」

 赤い炎。
 黒い膿。
 炎上する空、爛れていく大地。

 それまでと同じ明日が来ると、根拠もなく信じていた人々の夜を、無慈悲に塗り変えたあの地獄――――

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