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- 迷子の事情 2 -



、です」

 そう名乗ったに、村長は不審な目を向けたりはしなかった。
 旧王国の兵をひとりで倒した、というくだりに関しては、さすがにこんな少女が、というような視線を周囲からもらったけれど。
 おそらく、ここは、本当に平和な村なんだろう。
 子供を助けたことへの感謝で、すべての不審はぬぐわれてくれたらしい。
殿ですな。感謝します」
 あなたがとおりかからねば、あの子たちの命さえ潰えていたかもしれません。
 頭を下げられて、はあわてる。
 心をよぎるのは後悔。
「そんなこと……あたしが、もっと、早く、あそこに着いてたら……」
 それは叶わないと判ってる。
 元々、素直に道を歩いてとおりかかったわけではないのだ。
 早い話が、ぽっと空中からわいて出た先が、血煙のあがるあの場所だったというだけ。
 最初は目を疑って。
 次に、兵たちが旧王国の者であると知って。
 その刃の先にいるのが、武装もしてない民間人の親子であると知って。
 それだけの状況を把握するために、要した時間はおそらく数十秒。
 ……すでに、親のほうは事切れていた。
 あまりの非道に、どこか神経が切れたのだろう。どうやってあの兵たちを絶命させたか、今となっては思い出せない。
「いいえ。本当に感謝しております」
 両親のことは残念ですが、子供たちに未来が残された。
 そう云って、村長は薄く微笑んだ。
 苦いものが混ざっているのは、その子供たちの今のありさまを、彼も知っているから。
「……ただ」、
 村長は続ける。
「結果として、あなたをこの村に留め置くことになってしまったことは――」
「それは、いいんです」
 ふと、壁に掛けられた時計を見上げて、はゆっくり微笑んだ。
 つられたように、村長も時計を見る。
 長針と短針の示す時刻を見て、ふ、とに目を戻した。
「・・・時間ですかな」
「はい」
 村への仮逗留を決めて、すでに数日。
 すでにそれは、の日課となっていた。

 小ぢんまりした、素朴な、だけどどことなく暖かみのある木作りの家。
 そっと扉を開けて、中に滑り込む。
 物音は奥まで聞こえたのだろう。すぐに、ぱたぱたと小さな足音が聞こえ出した。
 間をおかず、小さな子供がふたり、の目の前にやってくる。
「おかあさん」
「おかあさんっ」
 ぎゅ。ぎゅうっ。
 両側から抱きつかれる、心地好い重みも、にとっては万力の鎖に等しくて。
 だけど、凍りつきそうになる身体を無理矢理動かして、ふたりを腕に閉じ込めた。
「ただいま」
「「おかえりなさい!」」
 至極――至極。
 うれしそうに、子供たちは微笑んで。

 ぱた。

 倒れる。
 まるでそれは、ひとときネジを巻かれた人形の、動力が切れたかのように。
 奥から成り行きを見ていた村の女性が、それをたしかめ、ようやく姿を現した。
「……ごめんなさいね」
 謝罪は、何に対して?
「いえ」
 淡く微笑って、は、子供のひとりを女性に手渡した。
 さすがに、ふたりまとめて運ぶのは難しい。
 幼いとはいえ、ちょっとした麦袋くらいの重さはあるのだから。
 女性も、慣れた様子で子供を抱き上げる。
 奥の部屋――子供たちの部屋に、ふたりを寝かせ、足音を忍ばせて廊下まで。
 そしてやっと、息をつく。
 やりきれない、と云いたげに、女性は、もう何度かに話して聞かせたことを、今日もまた繰り返す。
「日課だったのよ。毎日、この時間、母親が仕事を終えて帰ってくるの」
「それで、日が暮れる頃に父親が……ですね」
「そう……」
 女性の視線は、の赤い髪に向いていた。
 せめて髪の色が違っていたら、こんなことに付き合わなくてすんだろうに。
 最初にそう告げ、困惑顔になったを見て以来は、口にしなくなったことだけど。視線は、雄弁にそれを語る。
 赤い髪。
 翠の目。
 まだ、元に戻してない。
 焦げ茶の髪と、黒い目が、本当の姿なんだけど。
 いつか、今ははぐれた魔公子に施してもらった術の魔力は、未だ切れる様子を見せない。……が、この状況下で、それは逆にありがたいことかもしれなかった。



 それにしても、傍から見たら、これは喜劇でしかないだろう。
 まるで紙芝居のようだった夕食の後片付けをしつつ、は本日十数度目のため息をついた。
 この村にやってきたときから数えたら、もう百回越してる。確実に。
 父親役として選ばれた、赤銅色の髪の青年は、とっくに自宅に帰っている。
 家にいるのは、また、虚ろな瞳で椅子に腰かけている、ふたりの小さな子供たち。それから
 ……子供たちは認めきれていない。
 父親も、母親も、あの赤く染まった場所から、もう帰ってはこないのだと。
 こうして共に過ごすは、母親ではないのだと。
 先ほどまでいた青年も、父親ではないのだと。
 目には映っているだろう。だけど、心がそれを呑み込めないでいる。
「アティ」
 呼びかけに、小さく、子供の肩が揺れた。
 今のと似た、赤い髪がさらりとこぼれる。
「レックス」
 もうひとりの子供が、ゆっくりと、俯かせていた頭をもたげる。
「……聞こえる?」
「おかあ……」
「違う」
 幸せな夢にひたる時間は、一日にほんの少しだけ。
 それ以外はすべて、閉じこもったままの彼らに、は幾度も呼びかけた。話しかけた。
 それは夢だよと――現実では、ないんだよと。
 夢には付き合う。そうじゃないと、この子たちは食事もしないで水も飲まないで、本当に壊れてしまう。
 でも、それ以上に、現実を見てくれと願いつづける。
 子供たちに、酷なことをしてると思う。
 だけど、それじゃいけない、と。
 外界を拒絶して、現実から目を背けて、それじゃあ生きている意味がない。
 だからは、呼びかける。
「――あたしは。あなたたちのお母さんじゃない」
「……?」
「そう。
「おかあさんは……?」
「死んだの」
「しんだ?」
 しんだって、何?
「……もういなくなったの。帰ってこないの」
「どうして……?」
「いい子にしてなかった、から?」
「きらいに、なったの?」
 虚ろな目で、子供たちは問う。
 それでも、最初に比べれば随分マシになった方だ。
 押しても退いても反応ナシ、つついたらそのまま重力に引っ張られて倒れ、床とごっつんこ。それでも声さえ出さなかったのだから。
 根気よく――根気よく。
 続けるしかない、この呼びかけを。
 だけでは疲れるだろうと、村人も入れ替わり立ち代わりやってくる。
 みんな、心配している。
 そして、望んでいる。
 この子供たちが、再び、外の世界に目を向けてくれることを。
 また、歩き出してくれることを。
「嫌いなんかじゃないよ? ……お父さんとお母さんからの、好きって気持ちは、届かないけど」、
 だからは、ことばを紡ぐのだ。
「あたしがいるから――みんながいるから」

 あたしとみんなが、あなたたちを大好きだから。

「だから、戻っておいで」

 両親が死んだこと。
 兵士を剣で貫いたこと。
 ……認めなきゃいけないことは、その小さな肩にはきっと、何より重く、辛い事実。
 自失していたとはいえ、人の命をこの子たちは奪った。
 回復が遅いのは、そのせいもあるのだろう。精神科医ではないけど、それくらいは予想の範囲。
 それでも、戻っておいで。
 認めて、呑み込んで、乗り越えて。
 その先にまた、歩き出せる道はきっとあるから。
 子供たちを抱きしめて、ただ祈る。
 たぶんそれは、子供たちへ。
 たぶんそれは、自分の心へ。
 あのときの自分の過ちを償えるときがもしあるというのなら、それは、この子たちの心が戻ってくるときだ。
「…………おかあさん……」
 小さく、レックスがつぶやいた。
 自らを抱え込んだの腕に頬を寄せ、目を閉じて。
「・・・・・・」
 そんな様子を見て、気長に行くしかないか、と、苦笑する。
 苦笑して――
「死んだの?」
「……」、
 確りと。
 を見上げる、青い双眸に。息を呑んだ。
「…………もう……逢えないの?」
「――、……うん」
 すがりつく、ふたりの身体は震えていた。
 だけどそれは、おそらく、あの事件以来初めて見せる、ふたりの動揺。
 不意に、子供たちの重みが現実感を増す。
 それはたしかに、生の証。
「……っ、う……」
 まるで堰が切れたように、それこそ瞬時に、ふたりの眼に涙が浮かぶ。
 またたく間に、それは、ぼたぼたと頬を濡らし、顎を伝い、滴り落ちた。
「……ふっ……うえ……っ」
「ぐ……っ、うう……っ」
 戻ると同時に、記憶も甦ったんだろうか。
 目を見開き、嘔吐感を覚えたらしく、まずアティが口をおさえた。
 けれどすぐ、そのおさえた手を放し、まじまじと見つめる。
 ・・・覚えてるのか。
 持ち上げた、剣の重みを。
 あの、人の肉を貫いた、感触を。
 ・・・忘れなかったのか。
「――――ッ!」
「げ……っ、うぐ……っ」
 の手を振り解き、ふたりは床にしゃがみこむ。
 食事からある程度時間が経っていたせいか、こぼれるのは黄色がかった胃液ばかり。
 ……それでもいい。吐き出してしまえ。
 あのときこぼせなかった涙も、発露できなかった感情も。
 全部。
 今。
「ふぐ……ッ、あっ……ああぁぁぁぁぁ…………ッ!!」
「おとう……さ……ッ、おか……さん――」
 涙と、吐瀉物と。
 交互に同時に、床にこぼれて。
 嗚咽で空間を埋めて。


 ――再び静寂が戻ったときには、もう、月が中天に昇りつめていた。

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