ぱたぱたぱた、と、廊下を走る。
なじみの兵士から分けてもらった、有給休暇申請書を片手に、は自分の部屋へと戻るべく、広い城内を出口に向かって走っていた。
走ってばかりだなあ、と、なにとなく思う。
「あー、ちゃーん♪」
それを見つけて、声をかける者がいた。
「あ、ビーニャ!」
とっとっと、と、通り過ぎかけた身体をあわてて反転させて、は笑顔でそれに応えた。
この反応からしてもそうだが、ビーニャが実は人ではないなんてこと、は知らない。
知っていたら、こんなにのほほんと笑いかけないだろう。
と、そこまで思ってふと、ビーニャはそれを否定した。
笑いかけちゃいそうだなァ、ちゃんなら。
まァいいけど。駆け寄ってきた彼女に、自分から笑いかけた。
「どうしたのよ? そんなに急いで。滑って転んじゃうわよ? きゃはははははっ」
「むー。それじゃ、あたしがおっちょこちょいみたいじゃないっ!」
「あっれ? 違うのー?」
きゃはははは、と、至極ご機嫌そうに笑うビーニャに反比例して、の顔は見る間にふてくされていく。
「ビーニャ、あまりさんをいじめてはいけませんよ?」
ふたりの傍の扉が開いて、たしなめに入った人影が……ひい、ふう、みい。
「レイムさん、キュラーさん、ガレアノさん」
は律儀に全員の名前を呼んで、やっぱり律儀に、こんにちは、と頭を下げた。
この城においては、最初に名を呼ばれたレイムが顧問召喚師、残る三人がレイムの配下としての地位を確立している。
ルヴァイドやイオスは彼らを嫌っているようだが、だけはそういうことはなかった。なんとなく、たまに得体の知れない雰囲気を感じることはあるが、それを突き詰めて考えるような性格ではないし――また、鋭くもなかったし。
ここまで鈍いとある意味、大物かもしれない。
さすがの人外カルテットも、ここまであっけらかんと接されて、嫌な気分はしないらしい。というか、するわけもない。
実のところ、彼らは彼女に好意を持っているといっても、過言ではなかった。
「こんにちは、さん。今日もお元気そうで何よりです」
にっこり、にっこり――
イオスあたりから云わせれば、『腹に一物も二物もありそうな』笑顔――だがから見れば、優しい笑みを浮かべてレイムが云った。
「はい! レイムさんも!」
にっこりにっこりにこにこにこ。
ルヴァイドあたりから云わせれば、『レイム相手にそこまで笑顔をばらまくな』と云われそうだが――
とにかく、満面の笑顔で応じたを見て、レイムはいきなり、「はぅっ」とうめくと、に背を向け、手のひらで鼻のあたりを抑えて天を仰ぐ。
(レイム様……鼻血ですね……)
(さっきもの写真を血に染めたばかりと云うのに……)
(やっぱり、生の威力はすごいってことね!)
以上、その光景を見た部下三名の心の声。
だがそれは、当然に届くことはない。
ゆえに、彼女は純粋に、レイムの具合を心配して声をかける。
「ど、どうかしました……?」
おずおずとレイムの前に回りこんで、胸のあたりで手を合わせ、とどめに身長差から云えば当然だが、上目遣いで彼を見やれば、
(クリティカルヒットおおおおおぉぉぉ!!)
思わず、懐から隠し撮り用のカメラを取り出して激写したくなったレイムだったが、はあくまで『まじめでやさしい顧問召喚師のお兄さん・レイム』を心配しているのである。
此処でその信頼を壊すわけにはいかない。
壊してしまえばもう二度と、竪琴を弾いている自分の傍で居眠りをしてそのかわいい寝顔を見せてくれたり、お風呂上りの無防備な格好で理性をまどわせてくれたり、あまつさえあまつさえ……!! ――以下、都合により割愛。
仕方なく、それは心のメモリアルにとどめておくことに決定し、噴出しかけた鼻血の発作をとどめると、レイムはに向かってまた、にっこり微笑んでみせた。
「いえ、さんがあまりに可愛らしくまばゆいので、正視していられず思わず……」
思わず拉致して部屋に連れ込んでそのまま一気に押し倒して(自主規制)して既成事実をつくりたくなったんですが、とっさのところでこらえたのですよ……
だが、もちろんに、ことばにならないレイムの思考まで届くわけもない。
「あははー、やだー! レイムさんてば、もー!」
べし! と背中を豪快に叩いて、照れ隠しのためか、はそのまま廊下を走って逃げ出した。
通り過ぎざま、キュラー、ガレアノ、ビーニャに一礼していくことも忘れない良い子である。
「ふ……光源氏計画万歳」
実行中なんか、おまえ。
実は他にも一名様いるだろうことをすっかりと忘れ果て、ぐ、とこぶしを握り締めたレイム。
だがその直後、
「あ、忘れてたー!」
廊下の端から聞こえてきたの声で、その愉悦は打ち砕かれた。
「あたし、早ければ明日にでも今年とそれから今までの分の使ってない有休、まとめ取りしますんでー!」
デグレア離れますからしばらくお逢いできませんけど、お元気でいてくださいねー!
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「なああぁぁにいいいぃぃぃ!!??」
長い長い思考停止をくぐりぬけ、我に返ったレイムが思わず地を出して絶叫したときには、すでに遅く。
の姿は、遥かかなたに消え去っていた。
「レイム様、地が出てます」
冷静に突っ込むキュラーを、レイムは無言のまま、竪琴のカドで殴り飛ばした。
ごがす……ッ、と、実に心地よい撲殺音のハーモニー。
ベル○ンフィ○ハーモニーとも張り合えるに違いない。無理か。
「しかし、良いチャンスではありませんかレイム様」
そう云ったとたん、ぎろっ!! と睨まれるガレアノ。
思わず一歩退きかけるが、自分の命も惜しいため、恐怖を乗り越えて話を続ける。
「がデグレアを離れていれば、我々も誰の目を気にすることなくアルミネ獲得に集中出来るのではないですか?」
「そうねー♪ 要はちゃんにアタシたちの本性がばれなきゃいいだけのことなんだしー」
ルヴァイドやイオスなんて所詮、捨・て・ゴ・マ! 高らかに宣言するビーニャ。声の調子は至って軽いが、云っていることは実に不穏だった。
「名誉の殉死って云っちゃえば、ちゃん素直だから信じるって! キャハハハハハ!」
素直で信じる、は、単純でだまされやすい、と同義である。
「そ……それもそうですね……」
今回の作戦に絡ませてルヴァイドやイオスを葬ってしまえば、もはや私とさんの間に何の障害もなくりますしね!
ついでにアルミネも獲得して禁忌の森の封印を解き、本来の力を取り戻せば恐れるものはありません!!
アルミネ捕獲に関る本来の目的は『ついで』かい。
「そしてそして……ゴールはやはり、さんとのヴァージン・ロード……ッ!!!!」
純白のドレスに身を包んださんをエスコートして、神の前に永遠の愛を誓い合う光景が、ほら、もうそこに見えるようですよ……!
悪魔が神に何を誓う気だ。
完全にトリップしたレイムを見て、キュラーとガレアノは『これさえなければな……』と盛大にため息をついた。
ビーニャにいたっては、それを指差してキャハキャハ笑う始末であったという。