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第0夜 四
lll 黒騎士と弟は語る lll



 その晩、早速申請書を片手に、はルヴァイドの部屋を訪れる。
 時間が遅いという誰かのツッコミは、思い立ったが吉日という神のことばで相殺された。
 昼間の根回しが効いたか、それはさっさと申請され、処理済の書類箱に放り込まれた。
 明日になれば、箱に入ったほかの書類ごと、さらに上部の者の手にわたるだろうが、にとってはルヴァイドの承認印さえもらえればどうでもいいのである。
 いざとなれば、「ルヴァイド様が許可くれたもん!」という必殺技もあることだし。

 良い子は人様を隠れ蓑にしてはいけない。

「それで……本当に行くのか?」

 用事を済ませ、とっとと部屋に戻って荷造りしようとしたを、茶の一杯でも飲んでいけ、と誘ったルヴァイドが、暖めたミルクを手渡しながら問う。
 お茶って云ったじゃないですか……
 と、らちもないツッコミを入れながらも、両手で受け取って冷ましながら、はこっくりうなずいた。
 ふー、ふーと、口を尖らせてミルクを冷ましている間、どこかでパチリ、と音がしたようだが、幸いそれは、ふたりには聞こえなかった。
「はい」
 こくり、一口ミルクを飲み、は改めてうなずく。
「ルヴァイド様は総指揮官だし、イオスも特務隊隊長。ゼルフィルドは、ルヴァイド様の傍を離れさすわけにいかないし。あたしがいちばん、身軽ですから」
 それ以上、は何も云わない。
 ルヴァイドも黙って、6年前、自分の頭上に――とか思い出すと未だにこみ上げる笑いをこらえつつ――落ちてきた少女を見つめた。

 大泣きに、泣いていた。
 見知らぬ土地へひとり、おそらくは召喚術の事故で。
 奇妙だったのは、その近辺一帯で召喚術を使った痕跡はなかったと、後にレイムが報告したことだ。
 性格はともかく召喚師としての腕には定評があるレイムのことばに、嘘はあるまい。
 結局その件は、どこぞ遠くで暴走した召喚術が、場所さえも狂わせて彼女を招いたのだという結論に落ち着いたのだけど。

 最初に見たのは泣き顔。

 けれど、ゼルフィルドにぎこちなげに抱かれた頭をなでてやると、すぐに笑顔を見せた。
 まるで花が咲くように。
 そして名を問うた。おまえの名は、と。
 そして彼女は応え、、と告げた。

 ――召喚主がわからない以上、彼女が元の世界に戻る手段は皆無だったから、引き取ろうと決めた。
 偵察兵としての訓練を積ませたのは、暮らし出して1年が過ぎた頃、が自分も役に立ちたいと云ったせいもある。
 最初は猛反対したが、結局折れた。
 デグレアにひとり、残して行くのもためらわれたのが主な理由だけれど、断りつづけた場合、とんでもないことをしでかしそうな予感もあったからだ。というか、実際しでかしてくれたが、この娘は。
 それに、そのころにはあからさまにちょっかいをかけ出していた、顧問召喚師とその3人の部下のそばに置いておくのは、養い親としては許し難いことでもあったし。
 だから剣の使い方を教え、身を護るすべを教えた。
 戦場に同行させるに足る理由付けのために。

 それがいつの間にか……立派な、部隊の一員か。

 ふう、と、ひとつ息をついて、ルヴァイドは、の頭に手を伸ばした。
 わしゃわしゃ、となでてやると、髪が乱れるのも気にせず、心地よさげに目を細める。
 どこかで誰かがハンカチを噛み締めていたようだが、幸いふたりは気づかない。当たり前だ。
 妹が居たらこんな気分だろうか、と、穏やかにルヴァイドは微笑う。
「そうだな。……おまえは、おまえの選んだ道を行くといい」
 伊達に6年、親代わりをやっているわけではない。
 が本当は何を狙って、今回有休のまとめ取りなどという暴挙に出たかはルヴァイドも判っていた。
 その結果、可能性として待ち受ける未来も。
 それでも。
 寧ろそれを判っているから、ルヴァイドはの決断を後押しするように、頷く。
 それを見て、も頷いた――深く、大きく。
 うつむいた少女の眦に、薄く涙がにじんでいたのを、だから、彼は気づかずに済んだのかもしれない。



 デグレアを旅立って、数日。
 すでには、再びとも云えるゼラム領内に到達していた。
 もともと、彼女の住んでいた処は聖王国との国境に近かったのもある。
 穏やかな草原をただ、延々と彼女は歩く。
 荒涼としたデグレアとは見違えるほど、生命にあふれた景色に心和ませながら。
 時折はぐれや野党に遭遇することもなかったわけではないが、伊達に軍人として認めてもらっていたわけではない。
 丁重にお帰りいただいて――結論として、しごく穏やかな旅を続けていられた。

 そうして――

 レルム村を見下ろすことのできる、小高い丘の上に、今、彼女はいる。
 聖女の奇跡を求めて集う人々の、長い長い列を見て、ひとつため息をつく。
 誰もが癒されることを求めている。
 身体に負った傷のみでなく、その心に抱える痛みまでも和らげてしまう、奇跡の聖女。
「……ルヴァイド様やイオスにも、逢わせてあげたいなぁ……」
 勿論そんなこと、出来ようはずもないのだけど。
 今から自分がやろうとしていることは、それとはまったく道を異にすることなのだから。
「ううん」
 首を大きく横に振り、しぼみかけた気持ちを揺さぶり起こす。
「そのとき癒されても、根っこがどーにかならなけりゃ、結局そのままだもんね!」
 それに――
「ルヴァイド様は、聖女の癒しなんか要らないって云いそうだしなー……」
 養い親の性格を思い出して、くすくすと笑う。
 それから、すっと笑みを引っ込ませ、真摯な瞳でもう一度、村を見下ろした。
 さて、と、つぶやく。
「それじゃあ、行きますか……」
「おい」
「え!?」
 気合を入れようとした瞬間、不意に後ろから聞き覚えのある声で呼びかけられて、はあわてて振り返った。
 目に入ったのは、ルヴァイドを思い出させる赤い髪。
 彼よりももっと、明るい色ではあったが、あわてまくったにはそこまで考えるのが限界だった。
 見知らぬ村人なら、驚きはしても落ち着いて対応できただろう。
 だが、は彼を知っていたのだ。相手がを知らなくとも。
 聖女の、血の繋がらない兄弟である双子の片割れ――

「おまえ、こんなところで何や……っておいっ!!!」

「うひゃあああああああぁぁぁぁぁっっ!!!??」

 あまりにも勢いよく振り返りすぎた反動で、はバランスを崩した。
 ここが平地ならばそのまま転んで終わりだっただろうが――あいにくここは、丘の上。
 リィンバウムにも万有引力の法則が成り立っているのかは知らないが、傾いだの身体はそのまま――

 ずがどげめぎしゃああぁぁぁあぁぁっ!!

 ……すっさまじい音を立てて、丘の中腹から一気に転がり落ちる顛末を迎えたのである。


 でっかい木が、途中にそびえていたのが幸いした。
 クッションの役目は果たせないが、それ以上少女が落ちることだけはふせいでくれた木に感謝しつつ、双子の片割れことリューグは山歩きに慣れた足で、急ぎその場に走り寄る。
 愛用の斧をかついだまま、ひょいひょいと駆け下りる彼は、さすがというかなんというか。
「ったく……!」
 まさかあそこまで驚かれるとは思わなかった。
 自分はただ、こんな山奥で何をしているのだろうと――まぁおそらく、聖女の奇跡を頼ってきたのだろうとは思ったのだけど――、軽く声をかけただけだというのに。
 衝撃で気絶している少女を抱き起こしかけ、はたっと動きを止める。
 腕を持ち上げたり、足が変な方向に曲がっていないか確かめてから、どうやら大怪我はしていないことに安堵した。
 勿論、途中の草木にひっかけたりして、あちこちにかすり傷は出来ているが。
 盛大な音を立てたにしては、意外に軽くすんでいる被害に、落ちる際に受身をとったのではないかとふと考える。
 だとしたら、怪我の方はあまり心配しなくてもいいだろう――打ち所さえ間違えていなければ、の話だが。
 それから、上身だけを軽く抱えて、頬をぺしぺし叩く。
「おい……おい!」
「…………ん……?」
 何度目かの呼びかけに、ようやく、少女が応じた。
 うっすらと目を開けて、ぱちぱちと何度かしばたかせ、それから焦点がリューグに定まる。
「うわっ!?」
 目の前に人の顔があって驚いたのか、のけぞった弾みにまた、彼の腕を離れて転がり落ちそうになるが――今度はがっしり、つかまえることに成功した。
「馬鹿野郎、おとなしくしてねえとまた落ちるぞ!」
「うっ……」
 さすがにその叱責はこたえたか、彼女もおとなしく、リューグの腕に身体を預ける。
 とりあえず体勢を整えてやってから、リューグは腕を放してやる。
 様子を伺うと、多少ふらふらしているようだが、自分の足で立つことは出来るようだ。そのことに、少なからぬ安堵を覚える。
「……大丈夫か?」
 深いため息とともに発された質問に、あちこちの擦り傷に顔をしかめていた少女も、はっとしてリューグに向き直った。
「はい、大丈夫です。ありがとうございます!」
 ぴょこんっ、と元気に頭を下げる様子を見て、
「あ、いや……結局あんたが滑り落ちるのは止められなかったんだし……」
 妙にどぎまぎして、ちょっとずれた返答をしてしまうリューグだった。
 が、すぐに声をかけた本来の目的を思い出す。
「レルム村に用事なんだろ? 聖女の奇跡か?」
「え? 用事?」
 てっきり頷かれるものと思っていたのに、逆に怪訝そうに聞き返されて、一瞬反応に困る。
「え、じゃなくて……あんた、レルム村に用事なんじゃないのか?」
 でなければ、他にここにいる理由など思いつかない。
 ――いや。
 他に理由があるとすれば、それは……?
「……名前は?」
 声音が固くなったのを自覚しつつも、少女に問いかける。
 ゼラムに向かうにしろファナンが目的にせよ、ただの旅人がこんな山奥を通るわけはない。
 まさか――と、不快な考えに思考が及んだときだった。
 少女が妙に呆けた顔で、自分を見つめていることに、リューグは気がついた。
「なまえ……」
 ぽつり、と、少女が単語をこぼす。
 それはただ復唱したというよりも、何を云われたのか、わからないといったふうに。
「……え……?」
 ぼんやりとしていた瞳が、ゆっくりと、驚愕を宿す。
「あたしの……なまえ……?」
「おい……?」
 さすがにただならぬものを感じて、声をかけたリューグを視界にとらえた少女の瞳から――ぽろりと一筋、雫がこぼれた。
 ――げっ。
 実を云うと女性の涙に慣れていないリューグは、あわてて、とりあえずそれをぬぐおうと、手を差し伸べた。
「何で?」
 ふらり、とその腕に少女がしがみつく。
「空っぽだ……なんで!?」
 その黒い瞳を占める感情は、恐怖にも似たもの。
 それでも彼女は、リューグを真正面から見つめる――まっすぐに、不思議と迷いなく。
 視線にからめとられたような錯覚に陥ったリューグに、少女は必死にすがりついていた。
 目の前にいる人は彼だけなのだから、それも当然か。
 さすがに、とんでもないことになったんじゃないかと……しかも考えうる限り、原因は自分にあると云っても過言ではないという現実に、思わず頭痛を覚えたリューグだったが、
「あたし……何……?」
 ずるずる、と、力が抜けてくずおれる彼女を見て、我に返った。
「きゃ!?」
 ぐい、と少女を抱き上げる。
 いわゆるお姫様抱っこというやつだ。
 いくら記憶がなかろうと、さすがにこの行為は恥ずかしいらしく、少女はじたばたと暴れ出す。
 けれど、
「俺の知り合いに、なんとか出来るかもしれないやつがいる」
 連れて行ってやるから、おとなしくしてろ。そう告げるリューグのことばに、ぴたりと抵抗をやめた。
 おそるおそるといった態でリューグを見上げ、そして――

「よろしくお願いします……」

 微笑った。
 初めて。

 状況も忘れて立ち尽くしたリューグを、彼女は不思議そうに見上げてくる。
 その顔にはもはや、怯えはない。
 信じてるのだろう――なんとか出来るかもしれない、というリューグのことばを。
「……俺に何が出来るかわからねぇけど……出来るだけのことはしてやるよ」
 勿論、こんなことになった責任は感じていたけれど、なにより。
 先刻のまっすぐな瞳と、今の微笑みと。
 ――守ってやりたいと思った。不意に。
 それはアメルに対するのと同じ、いやそれよりももっと、どこかが純粋な。
 自分で考えて心なし恥ずかしくなってしまったリューグは、
「よいせっと」
 わざと声を出して少女を抱える腕を安定させると、そのまま山を下りはじめた。


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