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prologue04
- ひとときのお別れ -



 数日間の航海と幾つかの港への寄り道を終え、やってきました、お目当ての港町。
 海上交通のメッカ、とスカーレルが評しただけあって、大きな港にたくさんの船、ついでに山ほど林立した、貿易商の倉庫と思しき建物の群れ。
 吹き抜ける潮風はさわやかで、太陽の光も強すぎず弱すぎず。
 行き交う人々の顔も様々。晴れやかだったり、別れを惜しんでいたり。

 ――そんな港町の一角で、自称とおりすがりの不審人物は、カイルたちに別れを告げていた。


「本当にすみません。本来なら、私が責任を持って貴女を元いた場所に送らねばならないのでしょうが……」
 心底すまなさそうに頭を下げているのは、ヤード。
 黒一色の身の丈ほどのローブという、ちょっぴり怪しげな格好にも関らず、下げた眦と口調が見事にそれを裏切っている。
「いえいえ。気にしないでください」
 そんなヤードに、ぱたぱたと、彼の目の前の少女が手を振った。
 こちらは、ヤードとは対照的に、実に色鮮やか。
 宵闇近い茜空、というのだろうか。暗めの赤い髪に、細めた翠の双眸。
 船の上で数日暮らしたせいか、ほんのり日に焼けた腕を振って、笑ってみせている。
「とりあえず、聖王国に行ければ帰る目処が立つと思いますし」
 ここまで送ってくださっただけでも、本当に感謝ですよ。
「すまねえな。いっそ聖王国まで送ってやれたら、話は早かったんだけどよ」
 その語尾に被せて、カイルが小さく苦笑い。
「まさか敵国の、しかも海賊船なんて、寄航さしてくんないもんね」
 手持ち無沙汰なのだろう、腰のホルスターから引き抜いた銃を、くるくるまわしてソノラが云う。
 彼女の少し後ろに立って微笑んでいるのは、スカーレル。
「いーい? 酒場に行って、フォックスハウンドって男を捜すのよ。カイル一家の名前を出せば、聖王国行きの船への便宜を図ってくれると思うわ」
 優しげに告げるしゃべり方も、またその仕草も女性然としているが、その実、身体は立派に男性である。
 オカマさん? と訊いた直後に飛んできたダーツの勢いを、そしてそのときの彼のあでやかな表情を、は決して忘れることはないだろう。
 以後、彼の性別については絶対に口にするまいと、強く心に誓った出来事であった。
 そんな彼に、少女は再び笑って頷く。
「判りました。フォックスハウンドさんですね。何か特徴はありますか?」
「すぐに判るぜ。左の二の腕に、ド派手なキツネの刺青をしてるのがそいつだ。ちっと見た目はいかついが、話せばすぐに打ち解けるさ」
 威勢良く自らの腕を叩いて、カイルが答えた。
「はい。何から何まで、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ、本当にお世話をかけました」
 ぺこりとお辞儀する彼女に、再び頭を下げるヤード。
 彼はもう一度少女を見て、やっと、表情を和らげた。
「私のやるべきことが済んだら、また、お逢いできることを祈りますよ」
 そのときには、ゆっくりとお茶でもごいっしょしましょう。
「はい。……帝国軍相手って、大変かもしれないけど……がんばってくださいね」
「ええ……ありがとうございます。あなたのかけてくれた労力を、無駄にはしません」
 ヤードは、カイルたちに告げた。
 自分は、とある組織から二本の剣を持って逃げてきたと。
 その剣は、使い方を誤れば、世界さえ破滅しかねない強力な魔剣だと。
 逃亡の途中、その剣の存在に勘付いた帝国軍にも追っ手をかけられ、剣を奪われてしまったと。
「・・・何があっても、取り戻さなければ。あれは、世に出てはいけないものなのですから」
 ヤードが彼女と出逢ったのは、剣を奪われた後だ。
 追っていたのは、剣はまだヤードの手にあると思っていた組織側の暗殺者。
 その後については、いわずもがな。
 旧知の間柄であるスカーレルと、そして、彼が身を置くカイル一家に、ヤードは客分として迎えられた。
 ――帝国軍に奪われた魔剣を、彼らの手を借りて取り返すために。
 そこではどうするのか、というのが持ち上がったが、彼女自身はとっくに身の振り方を決めていた。
 ヤードと結んだ誓約はさておいて、自分には帰りたい場所がある。だから、聖王国への行き方を教えてくれ――そう云う彼女を、カイルたちは親切にこの港町まで運んでくれた。

 もっとも、魔剣を持つ帝国軍が、この港から出航するという情報を手に入れたからという理由もあるのだが。

 で、その誓約を結んだサモナイト石だが……
「これはどうします?」
 折りよくヤードが取り出したのが、そのサモナイト石。
 あまり気にしたことはなかったが、どうやら誓約を結んだサモナイト石には、その相手の真の名が刻まれるようだ。しかも、各界の言語で。
 “”と、綺麗な日本語で刻まれたそれを見て、少女は別の意味で苦笑する。
「そうですねー……使わないでいてくださるなら、そのままヤードさんに預かってもらおうかなって思ってるんですけど」
「いいんですか?」
「はい。あたしが持っててもしょうがないし、その妙な剣と一緒にどっかの海底にでも沈めといてください」
 人為的に割れるほど、誓約を結んだサモナイト石はやわではない。
 原石から研磨するのにはさほどの手間もかからないのだが、一度誓約を結んだ石は、本当に同じ鉱物かと疑わせるほどの強度を誇るようになる。
 何度か割れないものかと試したが、力自慢のカイルでさえそれをなすことが出来なかった。
 となれば、もう、それこそ海にでも沈めてしまうしかあるまい。
 もしくは、決して使わずにしまいこんでおいてもらうか。
「それに、ほら」
 にっこり笑って、少女は付け加える。
「帝国軍との戦いで、万一『とおりすがりの不審人物』の力が必要になるかもしれませんし」
「え!? ですが、そんなことをしたら、また貴女が……」
「ですから、どーしても必要なときは、です」
 正当な理由だったら、あたし、ちゃんとお手伝いしますから。
「……いいんですか?」
「はい。ヤードさん、そういうのには誠実そうだって思いますし」
 少女の答えを聞いて、スカーレルが肩を揺らす。
「そうね。ヤードって、昔っから生真面目が服着て歩いてるようなもんだったものね」
「スカーレル!」
「何あわててるのよ、持っておけばいいじゃない」
「ですが……」
「それに、お茶のお誘いにも使えるわよ? そのときだったら、もう、アタシたちだってのんびり航海して聖王国に運ぶ余裕だってあるかもしれないんだし?」
「あ、それいいですねー」
 ぽん、とが手を打てば、
「おう、そりゃ楽しみだな」
「一方通行のお誘いだけどねー」
 カイルとソノラも、声を立てて笑う。
 ――召喚のみ、送還不可、という、なんともけったいな事実の判明した誓約の要であるサモナイト石が、一同の笑い声に応えるように、陽光を反射して淡く輝いた。
 手の中のそれを眺めて、ヤードもとうとう、苦笑ながら笑みをつくる。
「そう、ですね。それでは、これはお預りします」
「……と、そのことなんですけどね」
 懐にしまおうとした手を止めて、ヤードは不思議そうに少女を見下ろした。
「はい?」
「もしも応えがなかったら、それは、あたしが無事に帰れた証拠だって思ってください」
「……それは、誓約を解けるような方がいるということですか?」
 さすが召喚師、あいまいには終わらせてくれないか。
 目を丸くした彼の問いに、彼女は小さく頷いた。
 それから、いたずらっ気たっぷりに笑ってみせる。
「ぶっ飛んだ知り合いがいますんで」
「…………名のある召喚師なのでしょうね」
 言外の『企業秘密です』を感じ取ったか、ヤードは、深い苦笑を浮かべたのだった。


 さようなら。
 さようなら。
 またいつか、どこかで。
 またいつか、どこかで。

 ――そんな爽やかな挨拶で別れたことにより、すべてが片付くなら、世の中にゃ召喚術も送還術も要らなかっただろうけれどね。



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