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流れる血の故に 3


 あの日もこんな雨だった。
 水を撥ねる音も高くイーストシティの大通りを目指し、は走る。
 ――グラン准将が殺された日も、たしかこんな雨だった。
 その日具体的に何をしていたか、今となっては殆ど覚えていない。
 ただ、今でも鮮やかに脳裏に焼き付いているのは、おびただしい量の飛び散った血と、准将をそんな姿に変えた男の姿。
 褐色の肌、服の上からでも判る鍛えられた体躯。
 サングラスごしの鋭い視線に――
 鉄血の錬金術師に次いで朱金の錬金術師を狙って繰り出された攻撃を、一度弾いたそのはずみで、男のサングラスが飛んだとき。
 真正面から見た、その奥の瞳の色。
「・・・『二度と目の前に現れるな』・・・か」
 そうして告げられた一言を、まだ自分は覚えてる。
 隔世遺伝なのだと、昔親から教えられた自分の目の色を、ありがたいと思うべきかよけいなものだと思うべきか。
 まだ答えは出ていない。けど。
 その目によってその血を認めた男に、あのとき命を断たれずにすんだのなら。
 今、大事なあの幼馴染みたちを守るために走っていけることを、ありがたいと思うべきだろう。
「――『スカー』」
 つぶやくのは、男の呼称。
「あなたがそれを続けるなら……二度でも三度でも、何度でも、目の前に現れてやるわよ……」
 走りつづけるの目は、感情の昂ぶりのせいだろうか――本人もそれと気づかぬうちに、朱金を通り越し殆ど紅く染まっていた。

 あの日もこんな雨だった。
 あの日も天は泣いていたんだろうか。
 ――何に? 誰に?



 そうして。
 街の人たちには有名な待ち合わせ場所である、大通りのほぼ中央に位置する時計台まで辿り着いて、はほっと息をついた。
 遠目にも判る、大きな鎧。その隣に座る、赤い上着の少年。
 エドワードとアルフォンスだ。
 良かった――
 走りつづけでそろそろ疲れてきていたが、彼らの無事が判って再び気力を取り戻す。我ながら現金なものだ。
 少しだけスピードを落として、声が届く場所まで行こうとして。
 ふと、に先んじて彼らに近づいて行く人影に気がついた。
 の着ている軍服とは色違いのものを着た、おそらくイーストシティの憲兵のひとり。彼の歩いてきた方向に、エンジンのかかったままの車。
 ・・・考えてみたら、も免許はあるのだから、車で出たほうが早かったわけで・・・・・
 まあ無事に見つかったから結果オーライなんだろうけど。
 その憲兵は口の横に手を当てて、大きな声で、時計台に座る少年に呼びかけた。

「エドワードさん!」
 エドワード・エルリックさん!

 うつむいて膝を抱えていたエドワードが、顔を持ち上げた。
 憲兵は足を速めて、エルリック兄弟のところに近づいて行く。
 そしてその後ろからもうひとり――
「・・・・・・!」
 雨にけぶる、その背中。
 不意に覚える既視感。
 が思わず立ち止まった間に、憲兵とエドワードが話している後ろから、男は無造作に歩いていった。
 ――そうして。
 その存在に気づいた憲兵が、銃を抜くよりも早く。
 エドワードが何かを叫ぼうとしたより早く。
 が声をかけるよりも早く。

 ゴパァ、と、生きた臓物のひしゃげる嫌な音がのところまで響いてきた。


 ・・・既視感。
 血を撒き散らし、倒れる憲兵に、いつか見たグラン准将の姿が重なる。
 血の海に倒れていた、ショウ・タッカーの死体が重なる。
 それがの身体を金縛りのように硬直させた。
 赤い霧雨の向こうで、エドワードとアルフォンスが動けないでいるのが見えた。
 ゆっくりと。
 その彼らに近づく――『傷の男』。

 ・・・動け・・・動け!

 冷や汗と焦りの嫌な感覚に襲われながら、凍りついた手足に力を入れる。
 ひたすらに。念じて。

 動け――動け、動け……動け動け動け!!
 動け――動いて! 逃げて!!


 ゴォォォン、
    時計台が正午を指し示した。

 それがきっかけ。
 の金縛りが解けると同時に、エルリック兄弟もその場から逃げ出す。『傷の男』は、それを追う。
 四肢に残った痺れを振り払い、も走り出した。
 前を逃げるエドワードたちやそれを追う『傷の男』のように、は錬金術を使う必要がない。
 全速で追いかけるうちに、距離は徐々に詰まり出した。
 何をしようというのか、アルフォンスが細い路地にエドワードを呼ぶ。
 それを見た『傷の男』が。なお足を速めようとした――刹那。

「『スカー』!」

 そう大きくないの声は、『傷の男』の背中をかすかに震わせた。
 サングラスごしに向けられる視線の鋭さはあのときと同じ、いや、それ以上。
「・・・おまえか」
 云うや、いなや。

 ゴォン!

「わ・・・っ!?」

 無造作に側の壁に手を押し付け、『傷の男』は壁を砕いて瓦礫を作る。
 下敷きになるのを避けるべく、飛んで避けたと同時に、もうひとつ。
 エドワードたちの逃げた方から、似たような音。地面から石壁を作り上げたらしい、の目の前に積みあがった瓦礫のてっぺんの向こうに、石壁の頭だけが見えた。
 だが、刹那さえの間もなく、破壊音。
 見えていた石壁は、あっという間に、こちらにあるような瓦礫と同じ姿になる。
「エド君! アル君!?」
 叫んでも、たぶん、この瓦礫ごしでは届かない。
 立て続けに建築物が叩き壊されるような音が、見えぬ向こう側から響く。
「――チッ・・・!」
 とても年頃の女の子とは思えない(よけいなお世話だ)舌打ちをもらすと、は身をひるがえす。
 エルリック兄弟が飛び込んだ路地は、、たしか一本道。
 ひとつ向こうの通りまで、繋がっているはずだった。
 いつぞやロイを捜して街を駆け抜けたことが、こんな形で役に立つことに感謝して、再び全力疾走に入ろうと体力を総動員する。
 その間にも響く破壊音や、交じって聞こえるあの3人のうちの誰かの声が、神経を苛んだ。

 ギキキキイイイィィッッ!

 地面を蹴った瞬間、すぐ横に急ブレーキの音もけたたましく、車が一台止まる。
 驚いてたたらを踏んだの目の前で、バタンとドアが開いた。

「乗れ!」
「ロイ兄さん!?」

 一瞬呆然としたの腕を、その時間さえ惜しいと思ったのか、マスタング大佐は思いっきり引っ張った。
 ほとんど力任せに後部座席に投げ込まれると同時にドアが閉まり、再び車は発進する。
「大丈夫?」
 勢いがつきすぎて、反対側のドアにぶつかりかねなかったところをキャッチしてくれたホークアイが、を覗き込んでそう尋ねた。
 けれどそれに頷きを返す前に、運転席のハボックの声が飛ぶ。
「どっちだ!?」
「ひとつ向こうの通りに抜けるはずです!」
 誰が、も、どこから、も、主語さえないやりとり。
 どれだけ切羽詰った状況か、お互いよく把握しているからこそ、それだけで意味も意志も伝わる。
 果たして、運転手であるハボック少尉がそれを聞いた瞬間、の乗せられた車はエンジン全開で通りに抜ける道に突っ込んだ。

 



■BACK■



傷の男との因縁。
同じ血を(半分だけど)ひいてる故に、生かされた皮肉。
だけど、今彼らを助けに行けることに、ありがたいと思いながら。
雨の中、誰も彼もが一生懸命に走ります。