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流れる血の故に 4


 ――ガァン!

 銃声は、まさに危機一髪のタイミングで鳴り響いた。
 機械鎧である右腕を破壊され、いったいどうしたのか動こうとしないエドワードと、その彼に向かって必死に叫んでいた、半身を砕かれているアルフォンス。
 鋼の錬金術師を弑するべく、その技を繰り出そうとしていた『傷の男』。
 3人が、いっせいに銃声の源・・・すなわち、たちの立つ方を振り返る。
 空に向けて銃を発射した大佐が、視線を受けて口を開いた。
「危ないところだったな、鋼の」
「・・・姉・・・・・・大佐まで」
 大佐の斜め後ろに立っているをさり気に先に呼ぶあたり、エドワードの性格の良さを物語っているというか。
 ちょっとこめかみを引きつらせて、マスタング大佐は『傷の男』を示す。
「その男は国家錬金術師連続殺人の容疑者――だったが・・・この状況で確定的になったな」
 タッカー邸の殺害事件も、おまえだな?
 眉根を寄せて問うた大佐のことばに、エドワードが、ぎっ、と、『傷の男』を睨みつけた。
 その視線を意にも介さず、男は身体ごと、たちに向き直った。
 片腕を失い、魔力を循環させることの出来なくなったエドワードよりもこちらを退ける方が先と判断したか。
「・・・錬金術とは、あるべき姿を歪め異形のものを造りだす邪法」
 ゴキッ、と、指を鳴らしながら。
 サングラスの奥の視線も鋭く、こちらを射抜くように。
「我は神の代行人として裁きを下す者なり!」
「それが解せない」
 冷静に、マスタング大佐が応じた。
「何故、国家錬金術師ばかりを狙う?」
 正にそのとおりである。中央で殺された5人、先日殺されたグラン准将もつい昨日のショウ・タッカーも。
 一度は狙われたも、そして、今正にその命を奪われようとしていたエドワード・エルリックも。
 いずれも国家錬金術師として名を挙げていた者ばかり。
 逆に云うならば、錬金術を修めていても国家資格を持っていない人間は殺されていないということだ。
 錬金術を邪法と云い、神の裁きを下すのならば、いちいち区別する理由は何だというのか。
 問いに、男は答えない。
 代わりに云ったのは、
「・・・邪魔する者があれば排除するのみだ」
 大佐の忍耐も、ある意味そこが限界だったのだろう。
「――おもしろい」
 先ほど発砲した銃を、背後にいたホークアイに放り投げ、取り出すのは発火布の手袋。
「マスタング大佐!」
「これでいい」
 その名に。呼びかけに。
 ぴくり、と、男が反応する。
「マスタング――焔の錬金術師か」
「いかにも。焔の錬金術師、ロイ・マスタングとは私のことだ」
 男の闘気が一気に膨らんだように、には見えた。
 
「神に背きし者が自ら裁きを受けに出向いてくるとは――」
 身体そのものが、巨大に思えるほどに。
「今日はなんと佳き日よ!」

 見た目の印象よりもはるかに俊敏に、『傷の男』は地を蹴った。
 迎え撃つべく、焔の錬金術師も動く。
「私を焔の錬金術師と知ってなお戦いを挑むか! 愚か者め!」
 ――が。
 ピン! とそれを思いついて、自覚するより前に、はホークアイを見る。
 同じことを考えたらしいホークアイと、刹那のうちにアイコンタクト。
「大佐!」
 とっさにしゃがんだ中尉が、大佐の脹脛あたりに回し蹴りを叩き込む。
「おわッ!?」
 予想外の場所からの一撃に、見事に大佐は体勢を崩し。
 それまで彼の頭があった場所を、うなりを上げて『傷の男』の腕が空振った。
 ――その横から。
 しゃがみこむ前にホークアイが投げてよこした拳銃を両手に、が飛び出す。

 ガァン!
 ガガガガガガガガッ!

 立て続けの連射。
 当てるつもりはなく牽制のそれに、男は目論見どおり、一同からもエドワードたちからも離れた場所に距離を置いて対峙する。
「どうだ?」
「いえ、当ててはいません」
 当てようと思っても難しかったでしょうけど。
 ハボック少尉の問いに、空になった弾装を放り出しながら答える。
 その少し横では、すっころんだままの大佐が中尉に盛大に文句を云っていた。
「いきなり何をするんだ君は!」
「雨の日は無能なんですから大佐は引っ込んでいてください!」
「・・・あ、これだけ湿ってちゃ火花出せないか」
「そーゆーことです」
 降りしきる雨に目を向けてつぶやいたハボック少尉に、はへにゃりとうなずいた。
 『無能』とでっかい書き文字を頭にクリーンヒットさせられたロイが、縦線背負って落ち込んでいるのが視界の隅に映る。
 そうして、今のやりとり(漫才もどき)は、当たり前だが『傷の男』にも聞こえていた。
「わざわざ出向いてきた上に、焔が出せぬとは好都合この上ない」
 いや、火花出すだけは出せると思うんですけどね。
 たぶん出した瞬間雨でかき消されて終わりだと思います。
 とか素直に解説してやる義理は当然なく、故に、は無言で銃を構える。
 実際、こんな片手で扱える銃よりか、敷石あたりからべらぼうに連射しまくる投石器だか大砲だか作ったほうが威力はありそうだが。
 そんなことしたら、ただでさえ破壊されまくったこのへんがますます――
 そう思ったとたん。
「国家錬金術師! 我が使命を阻む者! この場の全員滅ぼす!!」
 そう、『傷の男』が吼えたとたん。

 投石器造らなくても、大砲製造しなくても、この辺一帯はきっとますます破壊されると、は確信した。

「ならばやってみるがよい」

 いつの間に、『傷の男』の背後にまわりこんだのか。
 大きく振りかぶり、おそらくは男を狙って振り下ろされたその拳は、残念ながら標的ではなく壁に激突する。
 ――だが、ある意味当たらなくて良かったのかも知れない。
 拳の命中した壁は、そこを中心としてあっという間に亀裂が走り出したのだから。
 あんな攻撃が人間に命中したら、まず死ねる。
「・・・新手か!」
「ふぅーむ、我輩の一撃をかわすとは、やりおるやりおる」
 壁にめり込んだ拳を引き抜いて、攻撃を仕掛けた張本人は、ぐるりと『傷の男』に向き直った。
「この場の全員滅ぼす・・・と云ったな。笑止!」
 ならば、まずこの我輩を倒してみせよ!

 ドガガガガガガッ、と、すさまじい音を立てて、壁が崩壊を始めた。
 降り注ぐ瓦礫を屁とも思っていないのか、悠然と、少佐は両手のガントレットも勇ましく名乗りをあげる。

「この『豪腕の錬金術師』――アレックス・ルイ・アームストロングをな!」

 ・・・豪腕っていうか爆腕っていうか・・・
 そんな失礼なことを思いながら、もそろりと立ち上がった。
 長身のライフルを車から下ろし、ホークアイに渡す。
 瓦礫の難を避けるべく、距離をとった『傷の男』は、アームストロング少佐と相対していてこちらにまで意識はまわっていないらしい。
「神に背きし者たちがこうも次々と出向いてくるとは・・・これも神のご加護か」
 あいかわらず降りしきる瓦礫の中でそのことばを聞いたアームストロング。
「ふむ、やはり退く気はないか」
 ならば見せてやろう。
 云うと同時に、少佐は瓦礫のひとつを無造作に掴み、放り投げる。
 ぐりんぐりんと腕を回し、頭上から落ちてくるそれにタイミングを合わせ――
「我がアームストロング家に伝わる芸術的練金法を!」
 ごすっと一撃。
 同時に瓦礫に錬成のための魔力が注がれる。
 刹那に大きな銛へと姿を変じた瓦礫は、『傷の男』のすぐ横をかすめて壁に突き刺さった。
「まだまだ!」
 続いて、今度は足元の地面に拳を叩き込む。
 生じた亀裂は一直線に男に向かい、その足元に辿り着いた瞬間、地面から突き上がる巨大な針になる。
 周囲をそれに囲まれた『傷の男』は、舌打ちしながら手のひらを針に押し付けて。
 恐らくアルフォンスの鎧を砕いたのと同じ術だろう、突き上がっていた針はすぐさま粉砕された。
 ぱっと見、アームストロングが『傷の男』を圧している。
 それはいい。
 それはいいのだが。

「少佐!! あんまり市街を破壊せんといてください!!」

 この街を守るという使命もある東方司令部勤務の軍人の責任感を発揮したのか、エドワードの護衛に移動したハボック少尉ががなる。
 で、当のエドワードもその横でなんとも云えぬ顔になってアームストロング少佐の攻撃を見ていた。
「ふふふ・・・創造の裏に破壊あり。破壊の裏に創造あり! 破壊と創造は表裏一体!」

 脱ぎッ

「壊して創る! これぞ錬金術の本領よ!!」

 盛りッ!

 ・・・・・・それは判る。
 それはよーく判るんですけど。少佐。
「何故脱ぐんですか・・・」
 とほほ。
 見れば、『傷の男』も呆気にとられているというか白くなっているというか。
 嘆きながらそうつぶやいたの横で、ホークアイがいつになく間の抜けた顔で云う。
「ていうか、なんて無茶な錬金術……」
「あ、いや中尉そんなことは」
 脱いだのはともかく、少佐の云っていることは正論だ。
「なあに、少尉の云うとおりだ。同じ錬金術師同士なら、無茶とも思わんさ。――そうだろう? 『傷の男』よ」
「――」
 『傷の男』は何も云わなかった。
 ただ。
 一瞬震えたその肩を、肯定ととるか否定ととるかは、見ていた者次第だったろうけれど。

「同じ錬金術師・・・? あの男もそうだというのか!?」
 いつの間にやら復活していたマスタング大佐が、つぶやいた。
 再び始まった、アームストロング少佐と『傷の男』の戦いから、目を離さずに。
 戦いの巻き添えにならないようにとハボックが移動させてきたエドワードが、こちらは予想していたらしく、「やっぱりか」と云った。

 錬金術の過程は大きく3つに分けられる。

 理解。
 分解。
 再構築。

 つまり、
「あいつは、2番目の分解の過程で錬成を止めてるんです」
 手の保護用に、特殊金属で出来たグローブをはめながら云うの横で、ハボックが怪訝な顔になった。
「・・・ってこたぁ、あいつ自身もその神の教えとやらに背いてるんじゃないのか?」
「ですね。自覚はしてるはずなんですけど」
「……
「はい? なんでしょうか大佐」
 無言で指差される両手のグローブ。
 トントン、と、数度つま先を打ち付けて確かめているブーツの具合。
「やめておきなさい」
 ただ一言。
 そう云われて。
 普段なら頷いたそのことばに、けれど、は何も応えなかった。
 それを見た大佐が、眉をしかめて何か云う――よりも、先に。
 ホークアイ中尉が、ライフルを構える。

 ドン! ――銃撃。

 追い詰められたところから、逆に人体破壊を目論んでいた『傷の男』の狙いは、アームストロングが寸前で大きく間合いをとったことで外れた。
 瞬間体勢を崩した『傷の男』を狙って、ホークアイが再び引き金を引く。

 ドン!

 『傷の男』は飛び退る。

 ドン!

 かけていたサングラスが、音を立てて路上に転がった。

 ドン! ドン!

 連続して撃ち込まれる銃弾。
「やったか?」
 装填されていた弾を撃ち尽くし、空になった薬莢を捨てた中尉に、から視線を動かした大佐が問う。
「――速いですね」
 一発当たっただけです。
 その視線の先で。
 『傷の男』が顔をあげた。
 サングラスの外れた、何にも阻まれていない素の顔を。

 眼光鋭く一行を睨みつける――赤い目。

「・・・褐色の肌に赤目の・・・!」
 追い打ちをかけようとした少佐が、動きを止める。
 同じように身体を強張らせた大佐が、動揺も露につぶやいた。

「……イシュヴァールの民か……!!」

 は、小さく頷いた。
 それは誰の目にも止まることはなかったけれど。

 『傷の男』は、もはやこちらに攻撃を仕掛けようとしない。
 大きく跳んで間合いをとり、鋭い視線はこちらに向けたまま。
「・・・やはり、この人数が相手では分が悪いか・・・」
 それは撤退を予感させるつぶやき。
「おっと」
 察した大佐が、右手を上げる。
 先ほど、アームストロング少佐がドンパチやってる間に整えた包囲だった。
「この包囲網から逃げられるつもりかね」
 一瞬にして、『傷の男』の周囲に展開された憲兵たちの壁。
 すわ捕獲なるか、と、そう思ったのも束の間に。
 『傷の男』は、足元の石畳に、バン、と手をついた。

 ――バキッ! ベコッ! ゴガアアアアァァァッ!

 手をついた場所を中心に亀裂が走り、半径数メートルがあっという間に瓦解し始める。
「おわああぁっ!?」
「だー!!」
 淵ギリギリにいた憲兵たちが、あわてて後ずさるなか。
 ――今なら・・・!
 が、走り出した。
 『傷の男』に向かって。
 混乱を極めた現場のなか、誰もには気づかない。
「『スカー』!」
「・・・・・・!」
 まさかこんなトコロで接近されるとは思わなかった『傷の男』が、驚きも露にを見た。
 ――その赤い瞳を見開いて。
 そうして、刹那の間を置いて発された怒号。

「二度と目の前に現れるなと云ったろう!!」

 その声の大きさと、含まれる感情の苛烈さに、それまでひび割れる地面に気をとられていたロイとエドワードが、同時に声の発された方を向く。
 それは、道路が完全に瓦解する前、たかだか数秒もない間。
「ふざけるな!」
 立った今『傷の男』が発したそれに、負けずとも劣らずのの怒声。
 感情の荒ぶるままに、それを抑えようともせずに。
「おまえがそれを続ける限り、わたしはおまえを止めるために前に立つ!」
 崩れかけた石畳が、落ちる前にそれを蹴る。
「殲滅されたイシュヴァールの民を裏切るか!!」
「おまえがそうだったように、わたしにも大切な人たちがいるんだ……!」
 それを、むざと失うなんて、もうごめんだから。
 そう。もう二度と。


 手を伸ばした。真っ直ぐに、男に向けて。

「同じ血が流れてるからこそ、わたしは――!」

! 引き返せ!!」

 ビクリ、身体が震える。神経の一部が集中から逸れた。

 その背後からの叫びに、一瞬、瓦礫を蹴り飛ぶのが遅れる。
 その一瞬が致命的。
「しま……ッ!」
 ずるり、足が滑って身体のバランスが崩れる。
 死ぬ?
 とっさに思ったのは、単語たったひとつ。
 おそらく何らかの処置を講じているだろう『傷の男』ならともかく、今のままでは、は確実に地下水路に真っさかさまになった挙句に瓦礫の下だ。
 死ぬ――こんなところで?
 妙に実感がわかないその考えに行き着いたとき。
「二度はないぞ」
 低くつぶやく男の声。
 同時に、腕を強くつかまれて声の主に引き寄せられる。

 ――血のにおいがした。

 



■BACK■



そして、少佐の戦いとか『傷の男』の正体とか。
そして、同じ血を抱き、一度邂逅した因縁とか。
感情が昂ったとき、人間どういう行動とるか判らないという、いい例です。
そして、騒動の一段落。